古い建物はまちの歴史をいまに伝える宝物。
時代が移り変わっても、大切に使い続けられている「愛され建築」を訪ねました。
井上由美-text
第5回

ふきのとう文庫

子ども図書館が未来につなぐ、「桑園博士町」の歴史

札幌市中央区の北6条西12丁目あたりは、明治末期から大正、昭和戦後期にかけて、北大の教授が幾人も暮らし「桑園博士町」と呼ばれていたそうです。
北大植物園を創設した植物学者の宮部金吾や、納豆博士と呼ばれた細菌研究の半澤洵、第三代の北大総長を務めた高岡熊雄、「新北海道史」を編纂した髙倉新一郎など、北海道のアカデミズムを牽引してきた重鎮たちの自邸が並んで建っていました。
それからおよそ100年、今はマンションが林立するこのエリアに2014(平成26)年に移転開館したのが、公益財団法人ふきのとう文庫が運営する「子ども図書館」です。

障がいのある子はもちろん、すべての子どもに開かれている「子ども図書館」。多目的ホールでは読み聞かせも行われています

この私設図書館は1970(昭和45)年に、小林静江さんという一人の主婦が、障がいのある子どもたちのために江別市の自宅で始めた子ども文庫が前身。1982年に小林さんが私財を投じて札幌市西区平和に図書館を開設し、そこを拠点に布の絵本づくりを続けてきました。
しかし、30余年が経過して建物が老朽化、交通の便も悪く利用者が減少してきたことから、小林さんの後を継いで代表理事を引き受けた髙倉嗣昌(つぐまさ)さんが、自宅の敷地の一部を無償で提供。札幌市の中心部へ新築移転したのです。新築にあたっては国の補助金に加え800もの個人や団体から2700万円の寄附が集まったといいます。

障がいのある子どもも楽しめるよう「布の本」を初めて制作したのが、ふきのとう文庫。今も6組の制作グループがボランティアで手づくりしています

図書館2階の工房では、ボランティアが「布の本」のほか、弱視の人向けに絵と文字を大きくした「拡大写本」を制作しています

「ふきのとう文庫」は単に子どもの本を集めた図書館ではありません。「すべての子どもに本の喜びを!」を基本理念に布の絵本や拡大写本を制作し、一般の子どもたちはもとより、心身の不自由な子どもたちへ貸し出しを行っているのが特長です。
図書館2階の工房では、全国からの注文に応じて、ボランティアのグループが手づくり絵本を制作して寄贈・販売。手を動かしてつくる人、読み聞かせをする人、寄附をして運営を支える人——と、たくさんの善意で成り立っている空間です。

案内してくれた札幌建築鑑賞会の杉浦正人さんは、こう言います。
「かつての博士町にできた私設の図書館。文化の拠点として、歴史的にもこれほどふさわしい地域はないでしょう。来館者は以前の4倍に増えたそうですが、私はできれば敷地の裏手にあり図書館の貴重な資料の保管にも使われている建物にも目を向けてほしいと思います」

築95年を超える大正時代の洋館は、1階が洋風、2階が和風の珍しい造り。トタンに葺き替える前は瓦屋根でした

確かに、子ども図書館の北側に2階建ての木造家屋がひっそりと建っていました。青いトタン屋根と真っ白い壁のペンキが鮮やかです。
果たして、この建物にどのような由来があるのでしょう。

「ふきのとう文庫」の代表理事、髙倉嗣昌さんが教えてくれました。
「この建物は私の祖父が大正10年頃に建てたものです。私が子どもの時分は父が1階を書斎兼応接室として使っており、2階は私たちが寝室にしていたんですよ」

嗣昌さんの祖父は帯広で農地の開拓や商業・電力供給事業などに携わり、帯広信用組合(現・帯広信金)の初代組合長を務めた実業家の髙倉安次郎さん(1873-1933)。そして父は「新北海道史」の編纂で知られる、郷土史研究家で北大名誉教授(農学博士)の髙倉新一郎さん(1902-1990)です。

無理をお願いして旧宅の中を見せてもらうと、まず天井の高さにびっくり。部屋に並んだ書架には、新一郎さんが執筆した原稿、参考にした資料や写真、8ミリのフィルムなどが封筒に入ったままぎっしりと詰め込まれています。かつて、文献の重みで床が抜け、床に鉄骨を入れ直して補強したこともあったそうです。

2階の座敷では、『こっくり会』と称して、更科源蔵、荒谷正雄、山内壮夫、河邨文一郎、田上義也、松島正人などが集まって酒宴を開いていたのだとか。
「おふくろが別棟の台所でつくった料理を、私がお盆で何度も運んだんです」と嗣昌さん。同じ座敷には民俗学の泰斗、柳田国男が泊まったこともあるというから驚きです。

1階の応接室の天井には豪華なレリーフの装飾。階段を上がったところにあるスイッチもレトロな味わいです

「2008年に他界した私の母は、この建物を新一郎の記念館にしてほしいと願っていました。私自身はこの古い建物をもてあまして、何度も壊そうかと思いましたが、子ども図書館となら一体的に運営できるのかもしれないと考えたのです」

当初は図書館を併設したマンションを建築し運営費にあてられないかと構想したものの、莫大な維持費に断念。図書館単独の新築移転に切り替えなんとか実現できましたが、髙倉新一郎記念館の方は棚上げ状態で、資料の整理もまだ手つかずだそうです。

「いつか実現できたらいいですけれど、私ももう高齢ですから‥」という嗣昌さんは80歳。「不特定多数の人に公開するとなると、耐火、耐震、バリアフリー化が求められ、新築以上に費用がかかってしまう」と、悩ましげです。
それでも、2017年には足場を組んで外壁の蔦を取り払い、白いペンキで化粧直しをしました。

古い建物を残し現役として活用するのは、簡単なことではないのでしょう。
けれども、マンションの谷間にメモリアルな建物がひとつ残っているだけで、まちの重層的な歴史の価値が目に見えるようになるのではないでしょうか。北海道の発展と教育に知力を尽くした人々が暮らした「博士町」の歴史、私たち市民の力で未来へつなげていきたいと思います。

「公益財団法人ふきのとう文庫」代表理事、高倉嗣昌さん(右)と、札幌建築鑑賞会代表の杉浦正人さん。杉浦さんにとって髙倉さんは、北大の教育学部の社会教育ゼミで指導を受けた恩師なのだそう

Writer's eye
博士町の一角、北6条西13丁目に、北大植物園の初代園長で札幌市名誉市民第一号である宮部金吾の住宅跡があります。こちらは1991(平成3)年に札幌市が取得し「宮部記念緑地」として整備されました。近くにはかつて植物園のメムから流れる川があり、イオン桑園店のあたりは戦後まで大きな池だったそう。嗣昌さんが子どものころは「トンギョやどじょうすくいをして遊んだ」と言いますが、今では考えられない、のどかな風景だったのでしょう。

●ふきのとう文庫 子ども図書館
北海道札幌市中央区北6条西12丁目8-3
TEL:011-222-4839
開館:日・月・火・水曜9:30〜16:00
WEBサイト

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