「開拓使・札幌県時代の懐古図」という札幌の地図がある。開拓使庁が函館から札幌に移った1871(明治4)年5月から、北海道に三つの県(札幌県・函館県・根室県)が置かれた時代、1886(明治19)年1月までの道都を再現した図だ。この時代の市街の北端は官営幌内鉄道(現・函館本線の一部)で、南は東本願寺のあるライン。西は現在の北大植物園のあたりにとどまり、東の端はいまの北海道神宮頓宮の先だ。現在の札幌からは想像できないが、1886年に北海道道庁が発足する前、頓宮の少し先は豊平川の枝流が流れる広大な川原で、本流はいまより少し西に振れていたのだ。
頓宮は1878(明治11)年に札幌神社遥拝所として建てられた。当時の札幌の通りには、現在のように数字を当てただけの記号名ではなく、後志(しりべし)、厚田(あつた)など道内各地の地名が当てられている。こんな奇妙なことをしたのは北海道庁初代長官で当時は開拓使判官(高級官僚)だった岩村通俊。岩村はこれによって、移民が押し寄せる道都の民に、新開地北海道のことを少しでも知らせたかったという。遥拝所が位置したのは、様似通(現・東3丁目通)と渡島通(現・南1条通)が交わる角地だ。
札幌神社では、市街地から離れている円山の社地では厳冬期には参詣が難しくなることもあり、この遥拝所を建てた。地図でわかるように、当時は西の本殿からもっとも遠い、市街のほぼ東端だ。
『北海道神宮史(北海道神宮)』によれば、当初は後志通(現・大通)と胆振通(現・西2丁目通)交差点近くの用地の払い下げを開拓使に要請したが、うまく進まなかった。ならばここを使ってほしいと所有地を提供した人物があらわれる。建築請負人の中川源左衛門(1838〜1913)だ。この中川の仕事をたどると、幕末の箱館(明治期から「函館」)から近代都市札幌誕生への歴史の流れがよく見てとれる。中川源左衛門は阿波の人だ。もともとは田村家の長男市兵衛として江戸に出て深川材木商の買出方となり、さらに諸国をわたり歩いたあと、幕府小普請方中川伊兵衛の世話になる。
建築土木や鍛冶(かじ)から石組みまでを広く善くした中川組は四男の伝蔵が跡を継いだが、この若き伝蔵に箱館奉行所建設の幕命が下った。五稜郭公園に全体の三分の一ほどが復元されているあの大きな木造建築だ。
伝蔵はまだ経験不足だったので、父の伊兵衛の助けを受け、実際に箱館に渡って現場を仕切ったのは伊兵衛だった。しかし箱館に来てみると有力者の中に同姓同名の者がいたので、以後源左衛門を名乗る。札幌に来る源左衛門の先代だ。このとき大工頭として腕をふるったのが、草創期の札幌の建築史に欠かせない名棟梁、大岡助右衛門らだ。
この先代源左衛門は羽州能代(秋田県)で良材を求め、下ごしらえをして海路箱館に送り、多くの職人たちを束ねながら箱館奉行所庁舎を完成させていく。竣工は1864(元治元)年。京都では新撰組の池田屋襲撃があり、幕府が長州出兵に踏み切ったころだ。
一方で工事のさなか、中川組跡継ぎの伝蔵が江戸で若死にしてしまう。そのため源左衛門は田村市兵衛を中川家の養子に迎えて技能を仕込みながら、現場で力を発揮させていた。明治になると源左衛門は江戸に帰って隠遁し、ほどなく病死した。そこで跡を継いだのが、市兵衛。市兵衛は2代目中川源左衛門を襲名した。
2代目源左衛門は大岡助右衛門や水原寅蔵らとともに函館で中川組の事業を継続した。開拓使が札幌のまちづくりをはじめると、岩村通俊は彼を御用請負人と定めて、札幌建設を丸ごと任せる。2代目源左衛門は東京や奥羽をまわっておおぜいの職工、大工、山子(造材人夫)などを集めて札幌に送った。その数は千人を超えたという。
中川組は札幌近郊の山々から材を取り、南部(岩手県)のヒノキや秋田のスギなども大量に買いつけながら、開拓使仮庁舎と官舎、札幌神社、札幌最初の都市公園偕楽園や遊郭、監獄などをつぎつぎに建てていく。入植する農民のためには、平岸や円山、丘珠、篠路、花畔(ばんなぐろ)、生振(おやふる)、対雁(ついしかり)などに農家を普請した。市中の街路や銭函、篠路などへの街道開削も担う。『さっぽろ文庫50開拓使時代』はその盛業を、「この期の札幌開府にかかわるすべての建築、土木工事をその支配下に遂行した」と書いている。市中で最初の消防組を作ったのも源左衛門だ。
こうして請負人としての栄華を独占した中川源左衛門だったが、盛者(じょうしゃ)には必ず終わりが来る。幌内鉄道の工事(1880〜82)で大きな損失をこうむり、やがて廃業を余儀なくされてしまった。
北海道大学附属図書館北方資料室には、1871(明治4)年に撮られた中川源左衛門の大きな家や倉庫の写真が残されている。住まいは現在の大通東2丁目13番地とあり、頓宮(南2条東3丁目)にほど近い。源左衛門が540坪もの土地を札幌神社(現・北海道神宮)に寄進したのは、幌内鉄道の工事がはじまる2年前。人生の絶頂期にあったころだろう。
1枚の地図からはじまる時空の旅は、僕たちにいくつもの札幌の細部を指し示してくれる。