毎年6月中頃から、道南地方では祭りが始まります。厳粛の中、拝殿の中で行われる神事の最後に行われる神楽が「松前神楽」です。
地元の被写体で長く撮影できる被写体を探しており、名前だけ知っていた「松前神楽」をまずは見てみようと、カメラを持って撮影に入ることにしたのが2004年8月でした。
撮影に入る前、神楽には、厳かで物静かなイメージを持っていたのですが、実際に目にしたのは「動」でした。拝殿の中で宮司による祝詞奏上、玉串奉奠と続き、最後に松前神楽が奉奏されます。腹に響くような大太鼓、高音で奏でられる龍笛の音、次々と行われる神楽舞の姿を見て、想像していた以上の感動と衝撃を受けました。このような素晴らしい伝統芸能があるのなら、多くの記録や写真が残っているだろうと感じつつ調べてみると、意外にもそのような文献も写真も数冊しかない事実を知りました。それならば、松前神楽のことを勉強しながら写真で表現してみようと本格的に撮影を始めました。わからないことは、松前町の学芸員の方、神楽の達者な神職に聞き、各地で見て、そして学ぶことでだんだんと松前神楽の魅力にひきこまれていきました。
神職により伝承された松前神楽は三十三座(演目)あり、そのうち十二座(演目)は鎮釜湯立の神事に入っており、神楽舞二十一座(演目)のうち現在通常に行われているのは、十六〜十七座程度です。宵宮祭・本祭で行われる神楽の舞いはだいたい決まっており、ほぼ毎年同じ舞いをみることになります。それ以外の神楽舞に出会えるチャンスは、少なくなってきています。中でも、滅多に行われない「鬼形舞(きがたまい)」や「十二の手獅子舞・御稜威舞(みいつまい)、獅子の鈴上」を見ることができれば幸運に恵まれたといえます。
1カ所の神社では見ることが難しいので、他の神社の宵宮祭・本祭に足を運ぶことになりますが、それでも確実に「鬼形舞」「十二の手獅子舞・御稜威舞、獅子の鈴上」に巡り合える保証はありません。ふとした拍子に舞うこともあり、舞い手次第、神社次第という、つまりはやはり運次第であり、数年間に渡る取材が必要になりました。
一番人気のある舞は「十二の手獅子舞」です。獅子は観客を周り、観客の頭を噛んで厄を祓います。その後に、猿田彦が出てきて獅子と観客と戯れて、会場内は大いに沸きます。「〆引(しめひき)、注連祓舞(しめはらいまい)」は最初に軽く扇子を真上に投げ、手に取り舞いが始まります。扇子での舞が終わると、真剣を抜き四方に張った注連縄を切り祓う舞は、舞い手だけでなく見ている側も緊張します。
松前神楽は、様々な人を通じて北海道の北部まで伝承されています。日本海沿いに渡り伝承されているのは、ニシン漁との関わりが大きいといわれています。ニシン場ができると人が多く集まる。そして心の拠り所として、神社が建てられ神事が行われ、さらにニシン場は活気づき、北海道南部出身の出稼ぎ労働者によってニシン場でも松前神楽が行われたという流れで伝承されていると考えられます。最終的には、利尻島まで伝わりました(今は利尻島で松前神楽は行われていないようです)。現在、小平町鬼鹿地区で行われているのが、松前神楽の北限です。
日本海沿いから内陸に保存伝承はうまくいかなかったようで、しばらくの間は小平町鬼鹿地区で止まっておりました。数年前に、内陸部の神社の祭りの取材の際に松前神楽行列の曲が流れており、神職に尋ねると、旭川市の上川神社で松前神楽を行っていると聞きました。神職以外の祭り関係者はこの曲のことは知らないようで、神輿をトラックで次の御旅所に行く間に流しているとのことでした。
その後、上川神社では周辺の神職が集まり、松前神楽が執り行われていることを知りました。今年の7月末、上川神社でついに拝見する機会があり、舞・楽も立派な松前神楽を奏上されておりました。伝承が停滞していた状況から内陸部へ、ゆっくりと動き出したことを見られた瞬間でした。「松前神楽」の歴史が動いた一つの事象です。
現在も南北海道を中心に、各神社の宵宮祭・本祭で松前神楽が行われています。幾世代もの人々によって受け継がれた松前神楽。それを支える氏子も見る参拝者も笑顔です。神楽を見ることで、その地の風土、歴史、文化が伝わってきます。それを写真で記録しておくことは、撮影を始めて時間が経つにつれ、大事なことだと改めて実感しています。
神楽に魅せられ、撮影と取材を始めてから十数年が経ちました。神職の世代交代も少しずつ進んでいます。これからも松前神楽の行方を見続け、その魅力を記録することが、私のライフワークだと思うようになりました。
及川 修
1971年 北海道函館生まれ。プロラボを経てフリーに。北海道指定無形文化財である「松前神楽」や郷土芸能、文化財・祭事、現在も行われている風習などを撮影中。
※日本旅行写真家協会 正会員