「白い恋人」からはじめよう

北海道のお土産と聞いて多くの人が真っ先に思い浮かべるのが「白い恋人」だろう。製造元の石屋製菓は飴などの駄菓子が出発点。今年で販売40周年を迎えたお土産界の巨人について石水創社長にお話しを伺った。誰もが知るこのお土産の「へぇ~」も交えて改めて紹介する。
伊田行孝-text 黒瀬ミチオ-photo

「白い恋人」のトリビア

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製品開発

石屋製菓の創業は1947(昭和22)年。札幌市内で小さな駄菓子製造から始まった。しかし、昭和40年代の後半に入ると洋菓子が気軽に買えるようになり、駄菓子は衰退し始める。創業者の石水幸安と二代目の石水勲(現会長)が洋菓子開発を模索する過程で、当時ブームになっていたホワイトチョコレートと自社のラングドシャークッキー「シェルター」を重ねて食べてみると…。それが「白い恋人」誕生の瞬間だった。

ネーミング

食べやすく、北海道らしいお土産を追求し、たどりついたラングドシャークッキーとチョコの合体。しかし名前が決まらない。社員全員が頭を悩ませていた師走のある日、創業者が家に帰って玄関で「白い恋人たちが降ってきたよ」とつぶやいた一言で決まった。雪を見て1968(昭和43)年に開催されたグルノーブル五輪の記録映画「白い恋人たち」が思い起こされたのだろうか。二代目は後に「まさに運命的な一言だった」と語っている。

知名度

「白い恋人」は1976(昭和51)年に販売がスタートした。二代目は地道に百貨店を回り、その次に向かったのが千歳空港の土産店。そして飛び込みでANAのチケットカウンターにも足を向けた。「コネもなく、どこに売り込めばいいのか分からずにカウンターに行った」という。このときANAでは「でっかいどう、北海道」のキャンペーンを展開中。担当者を紹介され、試食してもらったところ「これはイケる!」。すぐに2週間の機内食として決定し、翌年にも採用。ここから口コミで広がって一気に全国区の北海道土産となった。

パッケージの「山」はどこ

「白い恋人」のパッケージにはヨーロッパを思わせる美しい雪山が描かれている。この山は海外の山でも、空想のものでもない。深田久弥の「日本百名山」の頭を飾る秀峰・利尻山(1721m)だ。最もパッケージに近いのは沼浦展望台からの眺望。その展望台は2014(平成26)年6月に「白い恋人の丘」と名付けられた。

「白い恋人の丘」から望む利尻山(提供:石屋製菓)

「白い恋人の丘」から望む利尻山(提供:石屋製菓)

小麦のこと

「白い恋人」のラングドシャークッキーは2012(平成24)年から道産小麦「きたほなみ」100%で製造されている。味や食感が変わっては本末転倒だし、何より安定供給へも不安もある。数年かけて試作を繰り返すとともに、自然災害へのリスクを、生産地を分散することでクリアして切り替えた。

こんな食べ方も

石屋製菓の社員の方に、おすすめの食べ方を聞くと「私は凍らせて食べるのが好き」という返答が。ぜひお試しあれ。

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