だて歴史文化ミュージアム

まちを、出会いの「広場」となるミュージアムへ

向かって右が「縄文からアイヌ文化の道」、左が「亘理伊達家中の道」、正面が「ともに歩む道」のゾーン

2019年4月3日、伊達市に「だて歴史文化ミュージアム」が開館した。老朽化した伊達市開拓記念館からの更新というだけでなく、展示コンセプトや市民の関わり方も含めたリニューアルがなされている。歴史文化の資源が豊富な伊達市で、博物館はどのような「場」となり得るのだろうか。
柴田美幸-text 伊藤留美子-photo

順路のない展示室

「えっ、ここが博物館?」
建物に入ったとき、まずそう思った。1階の大きなガラス窓や白を基調とした内装は、カフェやギャラリーのような雰囲気。多くの博物館の場合、少々暗めの照明や色使いが重厚感をかもし出しているものだが、ここには当てはまらないようだ。

1階の「ラーニング・スタジオ」。現在は美術展が行われているが、研究発表やシンポジウムの会場となる。市の研究機関である「伊達市噴火湾文化研究所」の最新の成果がここから発信される予定だ

「ライブラリー・コモンズ」は、窓から中の様子が見える作りで、外の人の興味を惹き中へ入ってもらうのが狙い。壁面では市民のコレクション展示を行う。書籍のほかFREE Wi-Fiを完備

実は、展示室は2階に設けられている。階段を上がり展示室に入ると一転、歴史の空間へ。いざ展示を見ようとして立ち止まる。中央の通路の右側は縄文からアイヌ文化の、左側は明治期に宮城から開拓移住した亘理(わたり)伊達家中の展示ゾーンになっているが、はっきりとした区切りのないひとつの空間で向かい合い、順路もとくに示されていない。来館者はどちらからでも、あるいは2つのゾーンを行き来しながら展示を見ることができる。そして2つのゾーンは、アイヌの人々と亘理伊達家中との出会いの場面が映し出された中央スクリーンと、その奥の「ともに歩む道」というパネル展示で結びつけられる。

正面のスクリーンには、開拓移住者の画家・小野潭(ふかし)による、アイヌの人々と亘理伊達家中の出会いを描いた絵画が映し出されている。館の入口の自動ドアでも、この出会いの場面が表現されている

上のラインは亘理伊達家中の道、下のラインは縄文からアイヌ文化の道を表し、2つの道が交わり「ともに歩む道」となったことをパネルで立体的に展示

“多文化との接触”を感じる展示へ

だて歴史文化ミュージアムでは、なぜこのような展示スタイルをとったのだろう。学芸員の伊達元成(もとしげ)さんによると、“多文化との接触”を実感できる展示を目指したという。
「伊達のまちを語るとき、どうしても亘理伊達家中という移住者の歴史と武家文化の視点に偏ってしまいがちです。開拓以降も先住民のアイヌ文化はずっと続いていたのに、これまでアイヌ文化の視点が欠けていました。そこで、2つの文化の接触があって今日の伊達へつながっていることを、立体的に俯瞰できるようにしたのです」
伊達さんの言うように、開拓の歴史を持つ北海道ではとくに、まちや地域を1本のラインだけで語ることはできない。「約2千年前の続縄文時代の遺跡からは、南の海に生息する貝を使った腕輪などが見つかっています。アイヌの人々は北から大陸との交易品を手に入れていました。アイヌ文化やそれ以前から、多文化の人、物、文化が流入して接触し、土地の歴史を作ってきたことを知ってほしい。また、ひとつの視点からでなく客観的に歴史を見ることが、現代で多文化に接触したときの姿勢を養うと考えます」

「縄文からアイヌ文化の道」での有珠モシリ遺跡(続縄文)の展示。ベンケイガイやオオツタノハ、イモガイなど北海道には生息しない貝のアクセサリーは、南との交流があったことを示す

ミュージアムでは、導線に沿った見方が示されているわけではないので、来館者は自らの視点を持ち、森を分け入るように読み解いていかなければならない。「もしかすると、ちょっと体力を使う博物館かもしれません」と伊達さんが言う。だが、その行為こそ、かつてアイヌの人々と移住者が直面した多文化との接触の追体験といえる。過去を紡ぎ直すと同時に、多文化や多様性を理解する装置としての機能を、ミュージアムは担っている。

戊辰戦争に破れたあと、1869(明治2)年、伊達邦成(くにしげ)が政府から有珠郡(現・伊達市)の支配を命じられた書状。今年で150年になる

「亘理伊達家の道」では、移住とともに持ち込まれた家宝を展示。これまで武具などおもに男性の文化が展示の中心だったが、化粧道具や貝合せといった女性の文化も積極的に紹介している

特別展示室では、高気密の展示ケースの導入などにより、重要文化財や他館の史料の展示が可能に。現在、毛虫の前立がついた兜で知られる初代当主・伊達成実(しげざね)の企画展を開催中

だて歴史文化ミュージアム学芸員 伊達元成(もとしげ)さんは、亘理伊達家第20代当主。「今まで博物館にあまりなじみがなかった人や、子どもへのアプローチに力を入れたい」と話す

ミュージアムを、まちづくりの拠点に

森を歩くには、道案内がいたほうが心強い。その役割を果たすのが「ミュージアム・コンシェルジュ」だ。現在、伊達市民を中心に約40名の会員が所属し、ボランティアで展示ガイドを行う。このような活動は他所でも博物館友の会として盛んに行われているが、展示ガイドにとどまらず、ほかの文化施設への誘導やイベントの企画、ミュージアムグッズの開発など、市民が主体的に伊達の歴史文化の魅力を発信することで、まちづくりに関わる。
中心となっているのは30〜40代の現役世代。副代表を務める星麻美(あさみ)さんは、伊達の歴史文化に惚れ込み、札幌から伊達に移住して、まちづくり会社「永年(えいねん)社」を立ち上げたという人だ。これまで、迎賓館(旧伊達邦成邸宅)で期間限定のカフェをオープンしたり、亘理伊達家初代当主・伊達成実(しげざね)ゆかりの能の上演を企画するなど、歴史文化に根ざしたイベントの仕掛け人として手腕を発揮してきた。ミュージアム・コンシェルジュとしての活動は、4月の開館からまだ日が浅いが、民間ならではのフットワークの軽さを生かした活動を模索している。

「永年社」代表・コーディネーターの星麻美(あさみ)さん。ミュージアム・コンシェルジュのFacebookの“中の人”としても情報発信中。「歴史好きな私にとって、伊達は古いものが残されている魅力的なまちです」

星さんは、「伊達には、特徴ある観光のコンテンツになり得る素材が揃っている」と言う。それは、観光客がグルメやお土産を探し求めるだけの観光地ではなく、深い知識が得られる場としての価値だ。「独特の歴史文化は、たとえば企業研修などに利用できるはず。一般的な観光だけでなくビジネスとも結びつくことで、まちに人が集まり交流が生まれます。ミュージアムがその拠点となれば、コンシェルジュの活動もスキルアップされ、経済活動へつなげられると考えます」
こうした星さんのアイデアは、国際会議運営のコーディネーターとして、MICE(マイス)に長く携わっていることによる。MICEとは、企業などの会議(Meeting)、研修・報奨旅行(Incentive Travel)、学会などの国際会議(Convention)、展示会・イベント(Exhibition/Event)の頭文字で、ビジネスイベントを総称する用語だ。近年、多くの集客交流が見込まれるビジネストラベルとして注目されており、札幌でも、中島公園に国際会議施設の整備が計画されるなどMICEの誘致に力を入れている。星さんはコーディネーターの経験から、伊達では大都市の利便性の良さとは違うアプローチができると感じている。
「『歴史文化はお金にならない』という声もありますが、MICEで訪れるような知的好奇心の強い人には、大変魅力的なコンテンツ。市民がその価値に気づき、産業にもなり得ることを知れば、多くの人が歴史文化を大切にしようと思ってくれるはずです。そのためにも、ミュージアムをプラットホームとした歴史文化によるまちづくりが必要だと思います。歴史に興味がないという若い人も巻き込んでいきたいですね」

ミュージアムグッズはすべて、製作者を募集しミュージアム限定品として作られたオリジナル商品。定番の付箋やマステ、名産の藍染のほか、伊達成実の毛虫の前立付き兜を模した驚きのグッズも

ゴールデンウイークには、ミュージアム・コンシェルジュの企画で、迎賓館で書道のイベント「令和を書こう」や、旧伊達邸ガイドツアーなどを開催した(写真提供:だて歴史文化ミュージアム・コンシェルジュの会)

北黄金貝塚が伝えてきたもの

伊達には、以前からまちの歴史文化を象徴してきた場所がある。2001(平成13)年に史跡公園としてオープンした「史跡 北黄金貝塚」は、この地にあった約6千年前の縄文の世界が、住居や貝塚、水場の祭祀場とともに復元されており、「内浦湾沿岸の縄文文化遺跡群」として北海道遺産に選定された。現在、「北海道・北東北の縄文遺跡群」のひとつとして、世界遺産登録を目指している。

史跡公園では、発掘した貝塚を埋め戻したのち、上に現代の貝を敷いて復元。縄文のころもこのように見えていたと考えられている

湧き水のそばにある「水場の祭祀場」は、使わなくなったすり石などの道具を供養した場とされるが、他所で同じようなものが見つかっていない、謎多き遺構だ

「北黄金貝塚は縄文の“普通”のムラだったと考えられ、青森の三内丸山遺跡のように、巨大で特別なムラではありません。しかし、縄文の人々にとっての“特別ではない”ものが残されていることに価値がある、と思うのです」
こう話すのは、伊達市噴火湾文化研究所学芸員の永谷(ながや)幸人さんだ。北黄金貝塚は約20年前から、縄文文化の本質を伝えることを重要視した整備により、市民が歴史に触れ、集う場所を作り出してきた。地道に培った市民との関わりが、ミュージアムでの市民活動のベースともなっている。
「この遺跡は、人々の暮らしが6千年前からこの土地と結びついていることを実感できる場としてあり続けてきました。伊達という土地を媒介とした、はるか昔の縄文文化との接触は、ミュージアムのコンセプトである“多文化との接触”と重なり合います。ここで縄文を知り、そこから現在に至る過程についてはミュージアムで、というふうに連携することで、より深くこの伊達の地を理解できるはずです」

伊達市教育委員会 伊達市噴火湾文化研究所学芸員 永谷幸人(ながや・ゆきひと)さん。「世界遺産登録を視野に入れながら、ミュージアムと北黄金貝塚をどうつなげていくかが課題です」

ふと、「だて歴史文化ミュージアム」とは建物の名ではなく、伊達のまちに残る歴史文化の資源が区切りなくゆるやかにつながり合う「広場」のことかもしれない、と思う。だて歴史文化ミュージアムは、市民と外の世界が出会う場となり得るのか。ミュージアムと市民との関係は始まったばかりだ。

だて歴史文化ミュージアム

北海道伊達市梅本町57-1
TEL:0142-25-1056
開館時間:9:00〜17:00(展示室入場は16:30まで)
休館日:月曜(休日の場合は翌日以降の最初の平日)、12月31日〜1月5日
入館料:〈常設展示〉一般300円、小・中学生200円(小・中学生は最初の入館料で年間パスポート発行)※1階部分は無料で入館可
WEBサイト
だて歴史文化ミュージアム・コンシェルジュFacebook

史跡 北黄金貝塚公園

北海道伊達市北黄金町75
TEL:0142-24-2122(北黄金貝塚情報センター)
開館時間:9:00〜17:00
開館期間:4月1日〜11月30日(冬期間閉鎖)
入場料:無料
WEBサイト

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