北大総合博物館界隈-1

記憶の旅程をめぐる研究

博物館中央部の吹き抜け白天井、通称「アインシュタインドーム」。1929(昭和4)年の竣工時の姿のまま維持されている

「北海道大学総合博物館」は、研究者と学生をはじめ、事務職や技術職員、ボランティアなど、さまざまな人が深く関わりながら、札幌キャンパスの中枢で今日も来館者を迎えている。この大きなミュージアムに、少し見慣れない入り口から入ってみよう。
谷口雅春-text&photo

「記憶の中の博物館」

カズオ・イシグロ(1954〜)の小説にはいつも、記憶の肌理(きめ)や手触りをめぐる主題が織り込まれている。例えば2005年に発表された、『わたしを離さないで』だ。
臓器を提供するためにクローンとして生まれた若者たちが、その運命を静かに受け入れながら物語を展(ひら)いていくこの濃密な作品で、主人公キャシーの意識はつねに、少女時代をおくった田園の中の寄宿学校、ヘールシャムでの日々と共にある。イシグロはアメリカNPRラジオでのインタビューで、私たちはみな、世界が実際にはどんなものであるかが分かるより前に考えていた、もう少しぬくもりのある場所としての世界の記憶を心に抱いているのではないか、と言っている(『Conversations with Kazuo Ishiguro』)。そんな郷愁は、知性にとって理想主義が重要なように、心や感情にとってとても重要なものだ、と。

北海道大学総合博物館に、湯浅万紀子教授(博物館教育・メディア研究系)を訪ねた。
湯浅さんは、「記憶の中の博物館」というテーマで、博物館と館をめぐる人々の関わりを研究している。
人々とは、まず一般の来館者だ。公立ミュージアム(博物館・美術館・科学館など)の社会的評価では、もっぱら入館者数や企画展の回数などの計数が基本になるが、湯浅さんの関心はそこにはない。それよりも重視したいのは、「来館することでその人に何がもたらされたか」、という問いだ。それは予算をいくら投下した結果、人がこのように動き、ひいてはミュージアムがこういう経済効果を生み出したといった、いかにも表層的な次元とは異なる評価軸を探求する取り組みといえるだろう。
きっかけは、大学人となる前、民間のシンクタンクに勤めていた時代の仕事にあった。
企業博物館の構想をまとめるそのプロジェクトで湯浅さんは、ある科学館で子どもたちが楽しそうに学んでいるようすに感銘を受ける。目を輝かせながら本格的な実験器具を自在に使いこなしたり、興味のままに自由研究に熱中しているようすに触れながら、「この子たちはいったいどんな大人になるだろう」、とあたたかい気持ちになった。
「人はミュージアムからどんなことを得ることができるか—。やがて、それを長期的な時間軸で調べて研究したいと思うようになりました」
ちょうど東京大学大学院に文化資源学研究専攻というコースが新設されると、シンクタンク勤務から進路を改め、大学院を受験。そのコースの1期生となった。計数ではなく、関わる人の「主観的な評価」からミュージアムの活動を捉えることができないか。そこを切り口に、ミュージアムと社会との関わりを探求したい。それが現在まで通じている研究の出発点だった。

東京大学総合研究博物館のリサーチフェローを経て、2006年に北海道大学に着任した湯浅さんは札幌に腰を据え、北海道大学総合博物館で、博物館教育と博物館コミュニケーション分野の研究者・教育者となった。
まず取り組んだのは、来館者から協力者を募って行った面接調査。それまでは10年、20年と長期にわたる記憶をたどっていた湯浅さんだが、この調査では来館直後とひと月後、半年後、一年後と4回に渡って聞き取りをすることで、来館した記憶がまず短い時間の中でどのように変わっていくのかを論考していった。加えて、この博物館をめぐる思い出のエッセイを募集して、人々の長い記憶の中にあるこの館の存在を読み取る取り組みも進めた。
北大総合博物館を体験したことをめぐる語り(ナラティブ)を聞き取りながら、その人が単なる知識の学びといった次元にとどまらないインパクトを、どのように受け取ったのか。その記憶を持った人が、それから後の未来まで、館とどう関わっていくのか—。記憶の質的な中味や長いスパンで捉えた「変容」を分析することで、社会にとってミュージアムが存在する意義が、新たな視座の上に見えてくるだろう。
しかしほぼ主観に根ざしたその調査データをもとに、実証的な学問が成立するのだろうか—。湯浅さんは東京大学総合研究博物館に在籍した時代から周囲のそうした声を聞かされてきたが、そんな問いに量的な分析を踏まえたアカデミックな回答を返しながら、針路がゆらぐことはなかった。

道外に赴いた、名古屋市科学館と明石市立天文科学館の調査では、対象を来館者に加えて、学芸員や、事務方、そしてボランティアや友の会会員などに広げた。するとさらに新たな気づきがあった。
「子どものころ親に連れられて博物館に行くうちに博物館が好きになり学芸員をめざしたとか、館の職員になりたいと思った、という人がいました。明石の天文科学館は古くからプラネタリウムが人気なのですが、かつてプラネタリウムの解説員に憧れたまま高齢になった婦人が、いまはプラネタリウムの運営ボランティアとして関わっている、ということもありました。ミュージアムをめぐってさまざまな人々の人生が交差していることに目を開かれました」
ミュージアムをハブ(結節点)として、いろいろな人々の夢や嗜好、そして仕事や暮らしが、時空を超えて立体的に結ばれている。行政のデータなどには表せないそのことの複雑な豊かさは、社会をもっと深みから強くぶ厚くしていくリソースになるはずだ。
「聞き取り調査ではしばしば、私に問われるままに博物館の思い出を語るうちに、かつての自分や家族を思い出してうれしくなった、などと喜ばれます。ミュージアムは多くの人にとって、あたたかく思い出される魅力的な場所と時間の入り口であり、大切な記憶を意味づけていける施設なんですね」
湯浅さんは、認知心理学や科学教育などの研究者との共同研究も進めながら、論文を発表していく。

来館者を迎える、ノーベル化学賞受賞の鈴木章先生のメッセージ

生きることの基盤としての記憶

一方で記憶には、あたたかなノスタルジーの対極にある、苛烈なものもあるだろう。個人の場合、それは長くその人の心に刺さる刃となるかもしれない。あるいは大きな枠組みでは、災害や戦争という巨大な悲劇も、現代の社会を構成する重要なレイヤーになっている。
湯浅さんがあげるのは、例えばいまふれた明石市(兵庫県)の例だ。
1995年1月17日。阪神淡路を直下型の激震が襲い、6千人以上もの命を奪った。1960年に開館した明石市立天文科学館でも、天体望遠鏡が倒れ、展示は大破。まちのシンボルだった、高さ47.5mの時計塔の時計は地震発生の時刻午前5時46分を指したまま止まってしまった。天文科学館とその時計塔は、日本の標準時を定める東経135度子午線上にある明石市のアイコンともいえるものだった。長期の復旧工事を終えて、大時計は3年後の98年1月17日、悲劇が起こった午前5時46分に再稼働した。少しあとの3月には、全館が再オープンしている。
天文科学館の再生はまちの復興の象徴的な事業となり、館の歴史をなぞるように、そこで体験したことや科学館を訪れた旅行をめぐる思い出が、市の内外から寄せられたという。湯浅さんも、小学校のときに祖父母に連れられて来たとか、昭和の時代に家族でここを楽しんだ思い出を愛おしそうに語る人々の声を、直接たくさん聞き取った。ミュージアムは、大きな悲劇や喪失から立ち直るための、共同体にとっての強い弾性(レジリエンス・再起力)にもなる。

湯浅さんの研究からは外れるが、悲劇の共有と博物館、そして弾性というテーマでは、昨年(2021)話題になった『広島平和記念資料館は問いかける』(志賀賢治)という一冊も興味深い。ここでは、核をめぐる時代背景とともに変容してきたこの館(通称・原爆資料館)の位置づけや展示の歩みが、前館長の手で綴られていく。2019年に行われた展示のリニューアルでは、遺品や遺影、生前のエピソードなど、犠牲者ひとりひとりの人生の生々しい断片に触れる展示も注目されるようになったという。大きな数字や物語におおわれると見えなくなってしまう、その瞬間にまで現実にあった固有名をもった生こそが、人々の心を揺さぶっている。

「主観的な現実を重視すればこそ、過去の辛い体験であっても『いま思えば—』、と、現在をあらたに肯定的に意味づける糧になったケースも見えてきます。私はそうした長期的で多角的なアプローチを学術的に大切にしています」
湯浅さんは、北名古屋市にある昭和日常博物館の活動も興味深い、と教えてくれた。ここでは電化製品から日用品、食品パッケージ、まちの看板など、昭和30年代の日常から切り取ったさまざまな実物資料が展示されている。そして展示を活用して行われているのが、「お出かけ回想法」というプログラムだ。
高齢者たちが館を訪れ、展示を見て回りながら、自然に引き出されてくる子ども時代の思い出を楽しく語り合う。とうに忘れていた記憶の糸口が思いがけず見つかり、その時代を共有する人たちとの会話から、かつての自分やまわりの人々がいきいきと目に浮かぶことになる。衰えかけた精神にも活力がよみがえってくるだろう。そうした体験を、認知症や閉じこもりの予防や治療に役立てようとするのが、米国などで1960年代から研究が始まった、回想法という心理療法だ。

冒頭に戻ろう。
カズオ・イシグロは、「Living memories」と題された英国ガーディアン紙のインタビュー(2005.02.19)で、臓器の提供者として若者たちが諍(いさかい)もなく死を受け入れていくことになる小説『わたしを離さないで』をめぐって、その狙いは、人間がクローンとして生まれる時代をSF的に描くことにはない、と強調している。生まれ落ちた世界の中で彼らがどのようにして自分の生きる場所を見いだし、生きていく意味を主体的に探っていくのか。それは、許された時間の長さが違うだけで、いまこの世界に生きるわれわれにも共通した問題ではないだろうか。イシグロはそう語っている。
固有名をもった主体としての身体や心によって、人はこの世界と関わっていく。ほかの誰でもなくその人しかもたない固有の記憶は、そのための大切なリソースでありツールだ。さながら博物館を目的地や中継地にした記憶の旅程をめぐる湯浅さんの研究は、ミュージアムとの向き合い方に、あらたな構図をもたらすものだ。

開館20周年の2020年に湯浅さんらの手で発刊されたビジュアルブック、『北大総合博物館のすごい標本』(北海道大学総合博物館編・北海道新聞社)

教育現場としての大学博物館

湯浅さんの仕事のもうひとつの軸は、博物館教育学の教授としての教育活動にある。
北海道大学の博物館の歴史は、開拓使がその役割を終える最後の年、1882(明治15)年に牧羊場の一角に建てた、開拓使博物場を源流とする。牧羊場一帯はのちに札幌農学校に移管され、植物学者宮部金吾の設計で近代的な植物園として整備されていった。これが現在の北海道大学植物園・博物館(札幌市中央区北3条西8丁目)だ。当時の建物は博物館本館として現存している(園内にはほかに北方民族資料室や宮部金吾記念館がある)。
それとは別に、本稿で扱う札幌キャンパスにある「北海道大学総合博物館」(札幌市北区北10条西8丁目)は、長い構想の時代を経て、まず1999(平成11)年に第一期の開館を迎えた。1929(昭和4)年に、帝国大学にふさわしい重厚な理学部本館として建てられた建物の一部を活かしたもので、大学創立125周年を迎えた2001年に全面開館となる。以後ここでは、1876(明治9)年開校の札幌農学校の時代から重ねられてきた研究の素材である300万点以上に及ぶ標本類をベースに、研究と教育が行われてきた。2016年には拡張リニューアルされ、全12学部の最新の教育研究内容が横断的にわかる展示が増えた。さらに地域やツーリストに開かれたショップも充実して、ミュージアムカフェも新設された。いま北大総合博物館は、北大の中枢部にありながら、札幌観光の有力なコンテンツとしても幅広い人気を集めている。

学術資料の保存管理と専門研究を目的としていた歴史のある大学博物館に新しい動きが起こったのは1990年代後半からで、湯浅さんも在籍した東京大学総合研究博物館が発足したのは1996年。北大総合博物館の立ち上がりは99年。学外の人々も対象としながら、大学が持っている膨大な資料群に新たな発想やテクノロジーを掛け合わせて、教育と研究、そして生涯学習などにもいっそう活用していこうとする動きだった。大学博物館は、大学の知を社会に開き、市民と共有していくための有効なインターフェイスであり、学生たちにとっても刺激的な学びの場であることが、大学の内外に意識されていった。現在ではさらに、大学の広報センターとしての機能も広く認知されるようになっている。

北大総合博物館2階の人気コーナー。ケナガマンモスの原寸大模型

学びの場としての北大総合博物館で取り組まれているのが、2009年度からはじまった「ミュージアムマイスター認定コース」という制度だ。
このコースを選んだ学生たちは、広い分野の講義や専門の実習などに加えて、館が主催するさまざまな活動にも参画することで、自分で課題を見いだして探求する力や、仲間や部外者に対するコミュニケーション力などを身につけることができる。プロジェクトを動かすマネジメントのセンスやノウハウも育まれるだろう。単に知識を習得するだけではたどり着けないマイスターへの道は、企画力やプレゼンテーション力も重要視される、学生たちにとって狭き門だ。
「私たちの目的は、この博物館で全人教育を行うことにあります。老若男女さまざまな人を相手に展示解説を行ったり、ショップで実際に販売するグッズの開発などにも取り組みます。うまくいかないことも当然あり、試行錯誤の連続です。その過程で、仲間たちとたくさんの学びや気づきが生まれます」
植物、昆虫、魚類、古生物、鉱物、天文、考古など、専門のちがう学生たちは博物館という場で出会い、さらに館の外から訪れるたくさんの来館者と交わっていく。

湯浅さんは博物館学の講義の冒頭で毎年、「自分が最も印象に残っている博物館体験」をテーマにしたエッセイを課題に出している。
「そこでは、たとえば家族や友人との楽しかった思い出が感情とともに綴られたり、思い出してみるとあのころの体験がベースになって現在の専攻に進んだとか、さまざまな意味づけがなされ、さらには、子どものころ行った博物館を再訪したい、と未来へ思いが馳せられます」
湯浅さんの視点は、記憶が掘り起こされさらに未来へと紡がれていく、その体験を持った人の内面の変容に向けられている。そのとき体験した自分と、それを想起した自分によって、博物館をめぐる多声的な対話が繰り広げられるだろう。そこに未来や他者(自分以外の人)との関わりが交われば、なるほど、「博物館という時空間だけがもつ世界」の実相が垣間見えるはずだ。

「ミュージアムマイスターをめざす人がみな、学芸員や博物館の職員になりたいと思っているわけではありません。博物館という場所がもっている学びの可能性があらたに広がれば、ここで体験するさまざまな試みや協働が、彼らの人生の背中を押してくれると思います」
このシリーズ稿の最後には、ミュージアムマイスターとなった学生も登場する。北大総合博物館の催しでそんな学生たちを見かけたら、ぜひ声をかけてみよう。

北海道大学総合博物館
北海道札幌市北区北10条西8丁目
10:00-17:00
入館料/無料
毎週月曜日休館
WEBサイト 

この記事をシェアする
感想をメールする