岩﨑真紀-text
vol.6

弦巻楽団『果実』、かつて好んだ夢ではなく

近年の札幌で、元ネタからの脚色・潤色ではなく完全なオリジナル戯曲の巧みな作り手ということであれば、弦巻啓太(劇作家・演出家、弦巻楽団主宰、札幌座ディレクター)の名前が思い浮かぶ。

時間軸の入れ換えや場面の繰り返しで生まれる謎を推進力として展開する構造、奇抜な設定から張り巡らせた伏線の手際よい回収、よく知られた小説・演劇・映画などを織り込んでの心情や結末の暗示・明示…。
私が観た弦巻戯曲の作品は8本だが、概ねこのような特徴があったと思う。

弦巻のプロフィールには「ウェルメイド・コメディが中心」とあり、トリッキー過ぎる設定もあるが「緊密な構成と、巧みに作られた状況によって進行する」という定義に添う方向性の作品が多いのは確かだ。センチメンタル色の強いもの、ミステリー調、SF的エンターテインメントなどもあり、いずれも抽象性や難解さはなく、わかりやすい。ファン層は広く、札幌演劇シーズン2016-冬に参加した弦巻楽団『ユー・キャント・ハリー・ラブ!』は1328人を集客している。

さて、8月末に弦巻楽団♯25として札幌で上演された、弦巻啓太作・演出『果実』の話をしよう。

『果実』は2003年の初演以降、再演を繰り返してきた弦巻の代表的な作品だ。2016年の札幌公演は8日間10回の上演、主役のダブルキャストという自信のほどが伺える体制。初恋をテーマにした物語は「切なくて泣ける」と評判を呼び、連日のダブルカーテンコール、キャストの違う回を再観劇する人が続出するという盛り上がりを見せた。
だが残念なことに私は、この作品で演出家が表現したものに共感できなかった。観たのは25日(深浦佑太主演)で、この日も会場の拍手は熱かったし、ハンカチで目もとを押さえる観客もいたのだが。

『果実』は、冒頭で「彼女の死」を予告してスタートする。
舞台は約10年前から脳死状態のヒロイン・杏の病室。杏の両親が、初恋の相手である桃太郎(主人公)を探しだし「娘と恋をしてください」と懇願する。
二人は高校の同級生だが、文化祭の前日に桃太郎家は夜逃げ。練習してきた芝居での共演は叶わず、その後、杏は交通事故で意識障害になる。桃太郎は自殺未遂を繰り返して生き延び、不満足な結婚を継続しつつ脚本家の仕事をして20代半ばを過ぎた…という設定だ。

「初恋ごっこ」に付き合ううち、脳死状態の杏の声が聞こえるようになり、かつての想いや動けない杏と比べて「生きること」の意味を考える桃太郎。やがて臓器移植のための生命維持装置の停止が迫り、ラジオ放送と思い出の図書館での奇跡が起こる、というのが大まかなあらすじ。
コント的なシーンや笑いを演出している場面が多く、設定の暗さは打ち消されている。恋と命の終わりに繋がるモチーフは叙情的だ。

父母が「娘に体験させたい」と言いつつ「自分たちが父母として体験しただろう場面」の「ごっこ」を繰り返す滑稽な展開には、「目覚めぬ娘を抱えた親の、エゴの混じった切実な心情」という内声となりそうなセリフがある。だが演出家は、それらも概ね滑稽な旋律に回収してハーモニーは作らないため、「心情」を歌い上げる場面の出現が浮き上がって感じられる。
また、桃太郎の怒りやとまどいの旋律は後半に向かって切なさへと変わるのだが、それらを底支えする「紆余曲折の人生」というベースラインの存在はほとんど聞き取れない。

観劇時には、桃太郎の8回の自殺未遂と妻の存在の唐突な登場は、劇作家が勢い余って加えたものと感じた。だが2009年に書かれたブログからは、弦巻が、このなくても良さそうな暗鬱な設定を重視していることがわかる。であるなら、なぜ演出家はそれを舞台上で表現しないのだろう。桃太郎のこれまでの人生のゆがみと疲れ、初恋を終えてこれからの人生にどのような想いを持つのかが見えれば、『果実』は、人生の半ば過ぎを戦う私にとってもファンタジックでセンチメンタルな「遠い日に好んだかもしれない夢」ではなくなる。

劇作家と演出家が同じ人間であるとき、劇作家にとってあまりにも自明なことには演出の彩色が鈍る、ということがあるだろうか? それとも、暗い声部を響かせることへの含羞があったりするだろうか。おもしろおかしく書かれている場面に、さらにおどけた演出を施して旋律を強調するのはそのためなのか。

あるいは単純に、私と演出家とでは脚本の読みの好みが違う、ということかもしれない。実は、4月に観た弦巻作品『サイレント・オブ・サイレンシーズ』でも同じようなことを感じたのだ。

私が観た中で最もおもしろかった札幌の演劇作品は、弦巻脚本の『茶の間は血まみれ』だ。脚本を削ぎ、抽象的な表現手法を取り入れつつテンポよく仕上げたイトウワカナ(intro)の演出、厳格な父親の振る舞いに潜む愛情を表現しきった柴田智之の演技があっての作品の完成度ではあるが、自身の成長期を赤裸々に書いた戯曲のインパクトは大きかった。人生の恥部を書くというイニシエーションを越えた劇作家は、北海道には少ないように思う。

劇作家・弦巻には、「その気になれば」書けないものはないだろう。私にはときに隔靴掻痒の演出ではあるが、弦巻楽団の新作が、いつか私という観客を打ちのめす日が来るに違いない。

stage006_01

stage006_02

2016年8月に上演された弦巻楽団#25『果実』より(写真上は村上義典、下は深浦佑太出演)撮影:原田直樹

弦巻楽団
http://tsurumaki-gakudan.com


岩﨑真紀(いわさき・まき)
情報誌・広報誌の制作などに携わるフリーランスのライター・編集者。特に農業分野に強い。来道した劇作家・演出家への取材をきっかけに、北海道で上演される舞台に興味を持つ。TGR札幌劇場祭2014~2016年審査員、シアターZOO企画・提携公演【Re:Z】2015~2016年度幹事。サンピアザ劇場神谷演劇賞2017年度審査員。