「コワーキングスペース」という場が世の中に定着して久しい。仕事場やイベント会場、起業する際の簡易オフィスとしてなど、誰もが低料金で利用できるのが魅力で、道内では札幌を中心に続々とオープンしている。
長沼町中心部にある「ながぬまホワイトベース」も、一般的なコワーキングスペースと変わらない。ただ一点、ほかと違っているのが2023年11月から「地域おこし協力隊」の拠点が置かれていることだ。
「地域おこし協力隊」とは、おもに都市部から地方に一定期間移住して地域の魅力の掘り起こしを行い、事業を創出して定住を目指すという制度。役場など行政施設内に拠点を置くケースがほとんどで、民間の施設の中に、それもコワーキングスペースに拠点が置かれた例は少ない。
「行政主体でこういう場所を作ると窮屈になるんですよね。誰でもブラっと入ってこられるというのが重要なんです」。こう話すのは、仕掛け人の坂本一志(さかもと かずし)さんだ。実は、自身もかつて長沼町の地域おこし協力隊の隊員だった。そのとき感じた疑問が、今回のコワーキングスペース活用のきっかけになっている。「ずっと役場の中にいても、地域の人との交流は限られていて仕事につながらない。だから定住もなかなか進まないと考えます」。聞けば、2009年に制度が始まってから10年あまりで実際に定住したのは、坂本さんを含め2、3人ほどだという。「フルタイムで役場の中にいて、隊員の任期の3年が終わったからあとは自分でやってください、と放り出されても無理です。将来の仕事も含め、様々な人たちとのつながりを作らなければ定住なんてできません。その点、コワーキングスペースなら地域の人と自然に交流が起き、関係性が構築できて定住につながる。定住しなかったとしても、長沼町とのつながりが維持されて関係人口をつくることになるはずです」
坂本さん自身、隊員だったときはグリーンツーリズム事業を担当していたが、役場の中にいては個人で自由に動きたくても限界があり、できることも限られていると感じ2年で隊員を卒業。それまでに培った農家の人脈を生かし、インバウンド中心のグリーンツーリズム事業を立ち上げたという経緯がある。
定住率の課題を解決するため、町では隊員募集を一時停止して地域おこし協力隊の活動の仕方を根本的に見直した。コワーキングスペースの活用は、町と坂本さんが対話しながら作り上げた定住率向上の取り組みの一つだ。そして2023年に隊員募集を再開。希望者を対象に町のツアーを行い、坂本さんは移住者の先輩としてネガティブな面も包み隠さず話した。
2023年11月1日、新体制になって初の隊員2名が着任した。
徳留正也(とくどめ せいや)さんは、フリーミッション型という、自身で活動の内容を決めて事業の立ち上げ準備を行う枠で採用された。首都圏の企業に勤めていたときから地方へ移住したい気持ちがあったという徳留さんは、一時住んでいた東北地方と北海道全域を見て検討した結果、長沼町を選んだ。「決め手は、札幌にも新千歳空港にも近くてアクセスが良いこと。私はリモートワークの人材サービスの事業化を目指しています。そうした仕事の面と自分のライフスタイルに、位置的に合致していたのがこの町でした」。徳留さんは、基本的に役場ではなく「ながぬまホワイトベース」で仕事をしている。
江藤誠洋(えとう まさひろ)さんはアウトドアが趣味。東京で住宅メーカーの設計担当として働いていたときは休日に自然豊かな土地を訪れていた。「夫婦ともに自然豊かな環境で育ったことから、結婚を機に移住を決めました。北海道らしい景色の中で生活できて、新千歳空港や札幌も近く、仕事や休日の過ごし方の選択肢が広いのが長沼町に移住した一番の決め手です。年齢や業種関係なくチャレンジしやすい街だと思います」。江藤さんは移住・定住促進担当として、午前中は役場、午後は「ながぬまホワイトベース」で仕事という半日スタイルである。
そして坂本さんはまちづくりを担う「一般社団法人ながぬま」の一員として、町と連携しながら隊員のサポートを行っている。隊員の2人は「坂本さんが隊員として活動する環境を整備し、道を切り拓いてくれたことはありがたい。役場の人も柔軟に対応してくれていると感じます」と話す。まだ着任したばかりだが、活動のしやすさをすでに実感しているようだ。
「ながぬまホワイトベース」を運営する側は、この取り組みをどう見ているのだろう。
元JA職員で、おもに農業関連の事業を手掛ける「マスケン」代表の増田健司(ますだ けんじ)さんが、このコワーキングスペースを立ち上げたのは2019年のこと。「JA職員だったころ、ホリエモンこと堀江貴文さんが、ビルの一室に各分野の人材を集めてロケット開発事業に取り組んでいるのを見て、『長沼でも専門分野を持つ人を集めて一つのことができないかな』と思ったのがきっかけです。たとえば、農業分野ならスマート農業の専門家が集うとか。農業分野以外でも、ここで知り合った人同士がつながって新しいビジネスが生まれる場にしたい、というのがはじまりでした」と話す。
隊員の拠点になったことは、安定した収入が得られるとともに、今まで接点のなかったさまざまな分野の人がここに集まることが期待できると増田さんは歓迎している。「長沼町は、農業のほか美しい景観や温泉といった観光面でもビジネスチャンスがある場所だと思います。そんな長沼町で、たんに多くの人が集まるだけでなく『あそこに行けば何か新しいことがある』と目指してくるような、人と人をつなぐハブの役割を果たす場にしたいと思っています」
2023年5月から「ながぬまホワイトベース」の個室に入居しているウェブライターの佐藤大地(さとう だいち)さんは、実際に人と顔を合わせるからこそのつながりに楽しさを感じるという。「ウェブは顔がわからない相手と仕事をすることが多いのですが、出入りしている人を増田さんに紹介してもらうなど、顔の見える相手と仕事をすることが増えました。実際にいろんな人とつながれる体験がとても新鮮で、これからおもしろいことが始まりそうだと仕事をしながら楽しんじゃってます」と笑う。
そのほか、道外からワーケーションで訪れた人と交流が生まれ、ワークショップ開催につながるなど、増田さんが思い描く「ながぬまホワイトベース」のかたちが少しずつ実現しつつある。
地域おこし協力隊の今後について、坂本さんは「もちろん、公務員としての制約や役場の業務もある。そうした中でも、自分たちで目標を立てて実行していくことが重要になる」と指摘する。まちの人が求めることを考えながら事業を組み立てることが、起業や定住への助走になると考えるからだ。「でも、もし起業や定住ができなかったとしても、そのことで隊員や町の人がネガティブにならないようにすることが重要です。この町で作った関係性を保持できればいいんですから」
慣例にとらわれず、変化を恐れず、行政と民間が手をたずさえるからこそできることがある。長沼町と坂本さんたちの取り組みは、始まったばかりだ。
ながぬまホワイトベース
北海道夕張郡長沼町本町北1丁目1-1
TEL:0123-76-7895
営業時間:10:00〜18:00(最終受付 17:00)
定休日:土曜・日曜・祝日
料金:コワーキングスペース(1時間550円、2時間1100円、4時間まで1320円。以降は1時間ごとに330円。そのほか1カ月料金、個室料金あり)※個室は現在満室
会議室貸切り 1時間1650円
※駐車場あり