厚いページを開くと、見開きの片側には一人ひとりの顔写真。もう片側には、その人の言葉が日本語・スペイン語・英語の3カ国語で記されている。ちょうど視線の先に置かれた言葉を見つめ、思いをはせるような表情の人々に親近感を覚えるのは、彼らが「日系メキシコ人」と呼ばれる人たちだからかもしれない。
フォトブック『きおくのなかのくに』は、室蘭出身の美術家・はぎのみほさんと、日本とメキシコにルーツを持つ建築家・タロウ・ソリジャさんのユニットによるアート・プロジェクトから生まれた。2008年から5年をかけ、日本からの移民やその子孫である日系人を訪ねてインタビューを行い、ビデオ撮影したものをもとに映像作品を制作。映像とともに展示していた写真と言葉の作品が、このたび書籍としてまとめられ、2019年春に出版、発売予定だ。
フォトブックでは、111人の日系メキシコ人が、ルーツである日本や移民の祖先から学んだこと、アイデンティティなどについて語った短い言葉が、顔写真とともに載せられている。
「『心からきれいに、まず心からきれいにしましょう。』一番、まだ頭の中にあること。」「恩と感謝を忘れてはいけませんよ。」
日本では特別とは感じられないそれらの言葉を、“大切ななにか”として祖先から受け継ぎ、さらに子孫へ伝え続けようとしていることに、はっとさせられる。はたして日本人であるはずの私たちは、受け継ぎ、伝えるための“言葉”を持っているだろうか、と。
はぎのさんが日系移民をテーマにするようになったのは、現代美術への違和感をいだき始めたころだった。「メキシコにおける現代美術は西洋文化と密接に関わって作られるものが多く、共有が難しい、と感じていました。たとえば、社会の背景にある宗教的なことを感じ取ったり作品へ反映させ、自分なりの表現をしたつもりでも、本当には理解されていない、受け入れられていないと思ったのです」
しかし、あるときキューバで出会った日系人が、はぎのさんに転機をもたらした。その人の立ち居振る舞いや言葉の美しさに、「自分の中にあるもの」に気づかされたと、はぎのさんは言う。2005年、はぎのさんは美術活動を一度リセットした。「自分の中にあるものを知ろう。そして自分の手法で現代美術の表現をしよう」。こうして、日系メキシコ人へのインタビューの旅が始まった。
ごく簡単に、日系移民の歴史をひもといてみよう。
メキシコおよび中南米への移民の歴史は、榎本武揚の海外殖民構想に始まる。明治に入り、増加した人口に比して国内の産業は乏しかった。これを補うため、国が海外に購入・借用した土地に邦人を定住させ(定住移民)、農地などに開拓して財源を得ようという経済政策である。
実は、この構想のベースになったのが北海道の開拓だった。初期には屯田兵や旧士族の開拓団、1890年前後には農民などおもに困窮した民間人を北海道へ送り、資源の開発や土地の開墾により定住させた。北海道殖民、つまり“国内移民”である。開拓使にいた榎本の頭には、次は海外へ、という考えが当然あっただろう。
1891(明治24)年、外務大臣に就任した榎本は、移民課を設置しメキシコの調査に乗り出す。外務省退任後は榎本の個人事業として殖民協会を立ち上げ、1897(明治30)年、中南米初の移民開拓団がメキシコの太平洋沿岸のチアパスへ送られた。結局、資金不足や逃亡者続出で失敗に終わったが、この榎本殖民地開拓団が中南米への移民の嚆矢となる。1906、07(明治39、40)年にかけてメキシコには約9千名が送られ、1970年代まで移民となる人は続いた。
日系移民を通して、はぎのさんは日本の中の北海道を見つめ直すことにもなった。それは、“日本”の多様性を認識しなおしたことでもあった。「外に発信されていたり海外の人が期待する“日本”と、自分が知っている北海道の“日本”は、少し違う。同時代に移民政策が行われた北海道とメキシコ、それぞれの土地に根を下ろした人々には“日本”で括れない部分がある気がします」
メキシコなどへの移民たちは、「日系」という言葉を作り出し、自分たちで培った新たな文化にアイデンティティを見出してきた。はぎのさん自身もメキシコに移住して20年以上経ち、日系人という意識があるという。
しかしフォトブックでは、すべてモノクロで撮影され、その人が日系何世なのかといった個人的な情報は極力排除されている。顔を見ただけでは、日本語で話したのか、スペイン語で話したのかもわからない人が多い(映像作品を見ればわかる)。
はぎのさんは「言葉のみで、彼らの存在を表現したかった」と言う。「彼らの語る日本は私が生まれ、生活し、経験した日本とは違う、想像のどこか、理想の国のようだった」という感覚は、「あの国」などという表現となった。
はぎのさんたちが作り出したのは、移民の歴史のアーカイブでも、一部の権力ある日系人のドキュメンタリー作品でもない。個人のなかにある小さな歴史(マイクロヒストリー)を表したものである。“記録”を排除して抽出した個人の“記憶”の言葉は、日本やメキシコ、日系といったバックグラウンドを越えて我々の胸に届く。これこそ、時と場所を越えて共有できる財産であり、はぎのさんにとっての現代美術だったのだ。
2009年、はぎのさんはNPO団体「ソーシャルランドスケープ基金(スペイン語名:フンダシオン・パイサヘ・ソシアル~Fundacion Paisaje Social)」をタロウさんとともに設立。ディレクターとしてメキシコの社会問題とアートをつなぐ活動を行っている。性暴力、経済問題、家族問題などで生命の危険に関わるような環境で困窮している若者たちのシェルターでのワークショップや、地震で被災したフチタンでの復興活動などに取り組んでおり、メキシコ社会に自分の居場所を作り上げつつある。
フォトブックのあとがきでは、ある男性の言葉が印象深いものとして引用されている。2018年に札幌で行われた出版記念トークでも、はぎのさんが取り上げていた言葉だ。日本で、そして北海道で生きる私たちへのメッセージとして、ここに記しておこう。
「自分は誰か、何か、ということをはじめて理解したら、いろんな事が、いい事が出てくると思います。」
(参考)
メキシコ・日本アミーゴ会 ポータルサイト
国立国会図書館「ブラジル移民の100年」
『榎本武揚とメキシコ殖民移住(Ⅰ)』角山幸洋(関西大学学術リポジトリ)
はぎのみほ
『きおくのなかのくに』 はぎのみほ タロウ・ソリジャ
*2019年春に出版・販売予定