五十嵐: 「矩形の森」を発表する少し前、札幌で建築を学ぶ学生たちが卒業設計の合同発表会をするというイベントがあって、審査員に呼ばれました。その合同発表会がすごくいい試みで、ずっと続けたいと思って、2009年に「北海道組(※3)」を立ち上げました。活動は年1回の卒業設計展をメインに、そのほかいろいろなゲストを呼んで講演をしていただくレクチャーシリーズを続けています。
酒井:北海道の建築業界に人材を育てたい、という意識があるのでしょうか。若手に対していろいろ厳しいコメントもなさっていますよね。
五十嵐:「育てる」ではなくて、「きっかけ」があれば、くらいでしょうか。センスがある人は、きっかけさえあれば勝手に育ちます。なくても育つけれど、せっかくなら「より良いきっかけ」があったほうがいいに決まっている。
自分が東京に行くようになって、北海道の学生と関東の学生の差が大きいと気づきました。建築家の講演会がいっぱいあるし、学校でも気鋭の建築家が非常勤で教えてくれる。北海道ではめったにありません。だから、レクチャーシリーズで刺激を受けてほしいと思って。
それに、同じエリアに面白い建築家がいると、ワクワクするじゃないですか。「おまえ、すげーな」って言いたいんです。そういう人たちが数人でてくると、エリアとして注目されます。北海道がそういう土地になってほしい。
東京に認識されるのが「いいこと」とはまったく思いませんが、建築もアートも何の分野でも、都市がメディアの中心にあって、中央の系譜が批評にも影響しています。それって悔しいじゃないですか。
系譜がなくても、良い作品をつくっていれば評価される、ということを僕は経験しているので、そういうことも伝えたい。でも、本当に良いものを継続的に長い間、造り続けないとダメです。じわじわインパクトを与え続けないと、なかなか響きませんから。
酒井:五十嵐さんは現場で「ものづくり」を続けると同時に、作品を投稿し続けていますよね。建築雑誌って一般の人はほとんど見ないマニアックに閉じた世界で、そこには脈々と系譜があって、そういう部分を批判的に捉えながらも、ずっと向き合い続けている。そういう二面性を同時に包括しているような気がします。
※3 建築学生同盟 北海道組
北海道の地で建築を学ぶ学生が、学校という枠を越えた卒業設計の公表の場を設けるために2009年5月に発足した団体。五十嵐さんはアドバイザリーの1人。
酒井:また別の二面性ですが、五十嵐さんの建築の姿勢は、一方はクライアント、もう一方では「社会に新しいものを発信したい」という二方向を持っているように思います。この二つは同時に持ちづらいと思いますが、いかがですか?
五十嵐:そうですね、常に歯がゆさは感じます。社会が何を指すかにもよりますが、多くの人が求めるような、世の中で人気がある建物は、本当に良い建築、良い空間が共有されているわけではなくて、社会のキャパシティを越えていない「わかるもの」であって、そちらの需要が増加しています。僕はそっち側にどっぷり浸かってしまうのは絶対に嫌で、でもバランスは取らないといけないと思いつつ。いつも葛藤のなかで設計しています。
酒井:ずっと葛藤して、考えて続けて、ギリギリまで判断しないで、やっと最後にでてきたものが正解として形になる。それが五十嵐さんの魅力になっているのかもしれません。
五十嵐:僕はコンセプトを先に立てるのが嫌なんです。決めてしまうと、そこへ真っ直ぐ進むしかない。でも、例えばアジアの細い露地を迷いながら歩いていって、ようやくたどり着く場所のほうが面白い。そういう思考プロセスを辿りたいと思っています。面倒な方法ですけど、これは性分なので。
酒井:ぼくらが北海道という土地で、何か新しいものをつくるとき、どこかにアイデンティティを持ちたいと思いますが、五十嵐さんはそれをどんな風に捉えていますか?
五十嵐:よく「北海道らしさ」というけれど、この言葉には昔から違和感しかありませんでした。
明治時代に洋風建築が入ってきて、気候風土や政治的な背景やいろいろな要素があって、受け入れやすかった。札幌時計台のような下見板の建物がいくつか残って、それが「北海道に合う」といったって、オリジナルではないわけです。
僕が尊敬する北海道の建築家の一人、倉本龍彦さんが、ある時期から下見板張りの三角屋根の住宅を多く設計されるようになりました。倉本さんは才能とセンスのある方だから、それがすごく雰囲気のある建物になるんだけど、やみくもに模倣するビルダーが膨大に増えて、あたかもそれが一つの「北海道らしい建築」になってしまったと思います。これは強力なウイルスみたいなもので、ヘンな建物が増えるよりはずっといいですが、単純に「らしさ」というのは違います。
酒井:そうですよね。表面的な「らしさ」とは違う、もっと根本的に見えてくるものがあるんじゃないか、と思いたい。でも難しいですね。
五十嵐:そうなんですよ。建築だけの問題ではなく、エネルギーや産業や資本や、多様な事柄が複雑にからみあわないと、本当の意味での「らしさ」とか風土にはなりません。それは誰もが分かっているけれど、教育でどうにかなるわけもないし、やっぱり難しいですね。
酒井:たとえば住宅の窓をデザインするとき、五十嵐さんは何を手がかりにしますか? そこから見える風景について考えますか?
五十嵐:世界遺産のような変わらない風景があればもちろん考えますが、隣に建物ができるかもしれないし、流動的ですよね。だから「見える風景」ではなく、物理的な光とか風、空気、熱みたいなものを扱うことを考えます。そのほうが住む人にとって心地よくなると思っています。そうすると、太陽と空気はどこにでもあるから、どこでも同じってことになりますが(笑)。
酒井:そうなると、その土地を読む、といった場合、何をよりどころにしますか?
五十嵐:土地の気候条件を一つの根拠にしたいとずっと思ってきました。でも近年は地球の気候も変わっているし、何を信じたらいいか分からない気もします。それでも、自分はやっぱりいろいろな建築を見るのが好きで、たくさん見に行くと、ゆるぎなく「良い建築」ってあるんですよね。何をもって「良い建築」とするか、「心地良さ」とは何なのか、自分には今でも分からないです。でも、それが分かっちゃうと、つまらなくなってしまう。
空間のタイプでいうと、倉庫とか神殿みたいなものが、自分の目指す空間の質にもっとも近いと思います。用途があってないような、何をしても大丈夫で許容力がある絶対的な空間。雑多になっても受け入れてくれる寛容さと、ピリッとした建築の強度を保つ空間が理想です。
酒井:そういうことを考え続ける姿勢が大事なんですね。
五十嵐:僕はかなり飽きっぽい性分ですが、建築はぜんぜん飽きません。複雑で、何が答えか分からないけれど、こんなに面白いものはない、ってくらい好きです。
酒井:五十嵐さんが札幌に拠点をもって5年になりますが、アートとか、まちづくりとか、少しずつ別の分野にも手を伸ばしていらっしゃいます。「頼られる存在」になってきていると思います。
五十嵐:札幌は、もっと面白いことができる土地だと思います。もっとうらやましがられて、他所から感度のいい人が引っ越してくるようなポテンシャルはあると思う。でもそうなれない状況が残念ながら何十年も続いていて、この閉塞感をどうにかしたいと思います。
酒井:建築業界は狭い、札幌は閉塞感がある、と明言しつつ、そこで手を広げて可能性を探し続けるところが、五十嵐さんの面白い部分だと思います。これからもまた何か一緒にできるとうれしいです。
*「住宅特集」2020年12月号に五十嵐さんの作品「トンネルと台形」が掲載されています