循環型の地域社会をつくる、旭川まちなかぶんか小屋

まちなかぶんか小屋

旭川駅前の平和通買物公園をまっすぐ進み、さんろく街と呼ばれる歓楽地を通り越した7条に、ちょっと変わった店舗がある。その名も「まちなかぶんか小屋」。パッと見ただけでは営業内容が分からない不思議な店構えだ。
井上由美-text 黒瀬ミチオ-photo

旭川市が開設した施設を、市民団体で運営

まちなかぶんか小屋は、市民の任意団体によって運営されている多目的スペースである。新型コロナ感染症が広がる前の2019年度は、年間で383回のイベントやワークショップが開催され、のべ6895人が参加する、にぎやかな場所だった。コロナ禍でイベントこそ3分の1に減ったものの、今も毎日のように人が訪れ、市民の交流の場として機能している。

このユニークな空間は、どのように生まれたのだろう。
「ここは旭川市が中心市街地活性化事業の一環として、元薬局の空き店舗を改装して2013年8月に開設されました」
そう説明してくれたのは、事務局長の有村幸盛さん。運営を委託された民間会社にスタッフとして雇用され、開設当初からアマチュア演劇や落語会、朗読会、映画上映会、ジャズライブなどの運営にあたってきた。
しかし、市の事業の終了とともにわずか8カ月で閉鎖。「このままとりやめるのはもったいない」と、有村さんらが市民主体の協議会をつくって市と交渉し、2014年5月に再スタートした。

事務局長の有村幸盛さんは宮崎県出身。演劇鑑賞団体「旭川市民劇場」の事務局ほか、過去には「旭川市公会堂の存続と早期改装を求める会」として活動したことも

運営を支えるのは、地元商店会や市内の文化団体のメンバー、ぶんか小屋の利用者などで組織する「まちなかぶんか推進協議会」。当初50人だった会員は現在200人まで増え、施設の賃貸料と光熱費を旭川市の補助金でまかなうほかは、会員の会費や事業の収益でやりくりしている。

 

自主事業と貸し館事業の二つで、幅広いイベントを開催

再スタートから1年半、2015年10月からスタッフに加わったのが竹田郁さんだ。有村事務局長と二人三脚で、イベントの企画から集客のための情報発信、会場の設営、進行、後片づけまでこなしている。

竹田郁さんは東京出身。ドキュメンタリー映画を上映する映画部会に参加したのをきっかけに、ぶんか小屋のスタッフに

ぶんか小屋のイベントは、大きく分けると自主事業と貸し館事業の二つ。
自主事業では旭川のまちづくりを考える市民講座を筆頭に、落語会、ジャズライブ、映画上映、アマチュア演劇、歌声喫茶などを開催。
貸し館事業ではぶんか小屋をハコとして貸し出し、英会話教室や手作り雑貨の販売会、お笑いライブや占いなどが行われている。
また、地元の三和・緑道商店会が主催する居場所づくり事業「さんわふれあいサロン」を請け負い、小学生向けの実験教室サイエンスラボ、金継ぎや七宝焼き、ヨガなどの各種ワークショップ、お年寄りが旭川の昔の思い出を語りあいながら昼食を楽しむ食事会と、さまざまな催しを実施している。

7月に初めて開催した蚤の市。近所の人から寄贈されたアンティークな雑貨や生活用品を販売。幅広い世代の人が訪れた(写真提供:まちなかぶんか小屋)

若い頃から演劇鑑賞を趣味にしていた有村さんは、当初ぶんか小屋を「文化芸術の発信地」としてイメージしていたが、幅広い世代を対象にしたワークショップや地域住民の居場所づくりに取り組むうち、求められているのは一方的な情報発信ではなくフラットな交流ではないかと気づいたという。

 

モノや気持ちをぐるりと循環させる場所

2016年からは物販も始めた。「モノを売っていると、特に用事がなくても中に入りやすい」という声があったためだ。
いつしか地域の人が不要な本や服や雑貨を寄付してくれるようになったため、古着をリメイクして販売したり、バザーを実施したりして、試行錯誤しながら運営費の一助にしている。
「たとえばこの本棚の本は、欲しい人が自由に金額を決めて買ってもらうようにしています」と竹田さん。
単に「売る」「買う」とは違って、「参加する」という仕組みづくりを試している。
ぶんか小屋で販売中の布草履もそのひとつ。近所の美容室が寄付された古着を利用して手作りしてくれたものだが、布を細かく割くのに手間がかかるため、店内に「布を切ってくれる人募集!」と掲示。すると手伝いを申し出てくれる人が現れ、ぶんか小屋でおしゃべりしながら作業したり、自宅に持ち帰って切ってきてくれたりと、協力体制ができあがった。

寄付された本が並ぶ本棚。客は自分の好きな金額で購入し、収益は運営費にあてられる。物々交換もOK

「まだまだ使えるモノたちが、ぶんか小屋を中継地に次の誰かの手にわたる。そんな循環の仕組みがあるといい。小さなことですが、これも社会をちょっとよくするためのアクションじゃないかと思います」(竹田さん)
「モノを持ってきてくれたり、反対に買ってくれたり、毎日のように顔を出しておしゃべりしていく方もいます。人と気軽に会えないコロナ禍だから余計に、なんでもない会話が求められているんじゃないですかね」(有村さん)

考えてみると、まちなかにはたくさんのショップがあっても、その目的は消費、つまりは客にお金を使ってもらうことに尽きる。お金を介さずとも成り立つ人づきあいは、思った以上に貴重なのかもしれない。

 

長いスパンで、アートのファンを育てたい

ぶんか小屋には参加無料のイベントもある。
そのひとつが今年5月から始まった「ペイントバー」だ。言い出しっぺは旭川在住のイラストレーター、ナカジマヨシカさん。旭川市のキャラクター「あさっぴー」の生みの親として知られている。
去年、アーティスト・イン・レジデンス(AIR)というプロジェクトに参加し、キックオフの会場だったぶんか小屋に初めて足を踏み入れ、同じくAIRのメンバーだった竹田さんと知り合った。
「ここに何度か通ううち、あれ、私にも確か、やりたいことがあったはず、と思い始めて…。それまでは頭の中で漠然と思い描いていただけでしたが、ここでなら一緒にできるんじゃないかな、と感じたんです」

イラストレーターのナカジマヨシカさんは旭川生まれ。隔週火曜の夜に行うイベント「ペイントバー」を主宰する

ナカジマさんが考えていたのは、アートを通じた居場所づくり。
「私は人に教えたりはできないので、決まった画材で同じものをつくるような教室じゃなくて、みんなそれぞれ自由に創作を楽しみながら、交流できる場所にしたかった」と話す。
開催は第2・4火曜日で、予約不要かつ参加も無料。お母さんと一緒に来た小学生も、ふらっと通りかかった人も同じテーブルを囲んでものづくりを楽しむ。毛糸でマスコットを編む人もいれば、紙に毛糸を貼りつけてゴッホ風の絵をつくる人もいて、作品を見ながらわいわい話も弾むという。

多世代が創作を楽しみながら交流できるワークショップ「ペイントバー」。(写真提供:まちなかぶんか小屋)

同じ世代、同じ趣味の人が集まるのではなく、多世代で交流しながら楽しめるペイントバー。地域の人々の居場所づくりになるだけではなく、長いスパンで考えると、アートのファンを広げ、文化芸術に関心を持つ層を育てることにつながるのではないかと、ナカジマさんは考えている。

 

コロナ禍での課題

地域に根づき、多くの人に愛されているぶんか小屋だが、運営には課題も少なくない。特に去年からは、新型コロナ感染拡大の影響でイベントが激減。収益もがくんと落ち込んだままだ。
まちなかぶんか推進協議会は法人格を持たない任意団体であり、劇場やライブハウスと違って多目的スペースのため、国の支援策を受けるのも難しい。

できることから挑戦していこうと、去年は流し台にシンクを増設、トイレに手洗い場を設けて、飲食店営業を申請。来店客にはコーヒーを、イベント時には昼食を提供できるようにした。
照明を変えたほうがいいという客のアドバイスに従って、天井の蛍光灯をダウンライトとスポットライトに変更。木製のテーブルやフライヤーラックは、DIYの得意な客が手作りしてくれたという。
「お客さんが応援団のようにいろいろ考えてくれるんです。窓が汚れているから磨いてあげるとか、こうしたらもっと良くなるとか。私たちが頼りないから、助けたいと思ってくれるのかもしれませんね」(竹田さん)

新型コロナウイルス感染症の影響で、人の集まるイベントが開催できず、運営は厳しい

この夏は新たに感染防止対策に欠かせない換気設備を導入。機器の購入費用30万円は、会員や地元商店会、利用客へ募金をお願いした。
「1口500円、1カ月半で約45万円の募金が集まり、無事に換気設備とクーラーを導入できました。コロナ禍でみなさん大変な中ですから、感謝の思いでいっぱいです」と有村さん。中断していた自主事業をこの秋から再開させようと張り切っている。

 

文化芸術の充実は、住みよいまちをつくるカギ

緊急事態宣言下、社会基盤を支える職業の人をエッセンシャルワーカーと呼ぶ一方、文化芸術の分野は不要不急のものとして自粛を求める風潮が強まった。しかし、竹田さんは、文化芸術はまちにとって必要不可欠なもの、として捉えている。
「今後、少子高齢化で人口が減り、経済が縮小すると、行政も市民も文化芸術にかけるお金が必然的に減っていきます。そうなると、真っ先に失われるのは社会の多様性ではないでしょうか。社会的包摂という言葉がありますが、いろんな価値観の人を理解するきっかけになるのが文化芸術。自分とは違う価値観の人と出会える場所は、これからますます大事になると、確信しています」

まちなかぶんか小屋はガラス張り。誰もが中をのぞいて立ち寄れるオープンな雰囲気だ

九州で生まれ育ち、東京で就職後、転勤で来た旭川が気に入り、会社を辞めて定住することにした有村さんも、その思いは同じだ。
「買物公園は以前あった遊具や噴水が撤去されてしまいました。車道に戻したほうが便利だという声もあります。けれど、よそから来た私から見ると、この歩行者天国は素晴らしい文化財ですよ。コロナで中止になっていますが、旭川では毎年6月に北海道音楽大行進といってマーチングバンドの国内最大の祭典があって、中学生や高校生が買物公園の一角でアフターコンサートをしてくれます。うちは楽器を預かるくらいのお手伝いですけど、初夏のすがすがしい季節に、子どもたちが一生懸命練習した曲をまちなかで聞かせてくれる。最高ですよ」

日本で初めての恒久的な歩行者天国「平和通買物公園」。1972年に開設された

まちなかぶんか小屋の買物公園を挟んだ向かいには「異酒屋 明るい農村」という店がある。ここでは毎週火曜の定休日、「エンむすびの会」という市民グループによる、子ども向けの学習支援活動が行われているそうだ。
小学生から高校生までの子どもたちに、社会人や学生がボランティアで勉強を教え、農家から提供された食材でおにぎりと味噌汁をふるまうという。
今あるものを活用しながら、善意を循環させて、住みよい地域をつくっていくという点では、まちなかぶんか小屋も、エンむすびの会も同じ。地域の一人ひとりがまちづくりの担い手だ。

まちなかぶんか小屋
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