歩いてみたら、出会えた、見つけた。

手しごと

トンコリのヘソから魂を入れる

樺太アイヌから伝わる五弦琴「トンコリ」に命を吹き込む。伝統工芸品を大量生産の土産物にしたくないから、アイヌの精神を守り抜く木彫り師がいる。
矢島あづさ-text 露口啓二-Photo

木彫り師 高野繁廣(たかの・しげひろ)さん

始まりも終わりもない曲

トンコリの音色は、体の中に染みるように入ってくる。誰かに聞かせるための演奏ではなく、祈りを捧げるように繰り返される旋律が心地よい。前奏として「イケレソッテ」を弾くのは、曲を奏でる前に周囲にいる魔物や悪霊を追い払うため。

「風の音」「鳥のさえずり」「キツネの鳴き声」など、自然界をイメージしてできたトンコリの曲には始まりも終わりもない。その音色には不思議な力があり、かつてコタンでは、病が広まらないように、嵐が静まるように、一日中、三日三晩、弾き続けられることもあったという。

1878(明治11)年、平取を訪れた英国のイザベラ・バードが書いた『日本奥地紀行』に、アイヌの楽器としてトンコリが紹介されているので、おそらく彼女もその音色に耳を澄ませたに違いない。

前奏「イケレソッテ」
曲「トウキトランラン」(沼に鳥が舞い降りエサをついばむようす) 演奏 高野繁廣

トンコリのカタチは人間

二風谷で唯一、トンコリを製作している高野繁廣さんは「もともとはシャーマンがトランス状態に入り、神霊や精霊と交信するための道具。だから、うかつに弾くと危険なんだ。赤ちゃんを亡くした母親を慰めるために作ることもあり、生きものとして扱うので、いらなくなったときに粗末にすると魔物に化身してしまう」と、その正体を明かしてくれた。

トンコリのカタチは人間がモチーフ。円いヘッドは頭、その下が首、弦を巻く棒は耳、そして胴体、先端は足。高野さんのトンコリには、火の神である燠(おき)を水の中で消して炭にし、イナウキケ(削りかけ)で包んだものをサンペ(心臓)として中に取り付け、命が吹き込まれる。胴の穴はヘソで、最後の仕上げにラマッ(魂)として、ここからトンボ玉を入れる。現在は三味線の弦を使っているが、昔はエゾシカなどの腱で弦を作っていた。

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高野さんが制作するトンコリは楽器としての評判も高い

エゾシカの腱。昔はこれをぬるま湯に浸し、木槌で叩いてほぐしたものを糸のように撚って弦にしてい た。深く、やわらかい音がするという

エゾシカの腱。昔はこれをぬるま湯に浸し、木槌で叩いてほぐしたものを糸のように撚って弦にしてい た。深く、やわらかい音がするという

精神が宿らないものは作らない

東京生まれの高野さんが二風谷にやってきたのは1972(昭和47)年。ヒッチハイクをしながら道内を放浪する若き旅人だった。初めてアイヌの伝統文化を知り、カルチャーショックを受ける。木彫り職人、貝澤守幸さんとの出会いで人生が変わった。彼女を東京から呼び寄せ、この地で暮らすことを決意。師匠のもとで木彫りの修業を始めた。

初めて与えられた仕事は、鮭のウロコ彫り。アイヌ文様には、モレウ(渦)、ア(トゲ)、シ(目)などを組み合わせた独特な図柄があり、彫り師によって個性が出る。師匠や先輩の技を横で見ながら、製品すべての工程を覚えるのに3年、修業2年、さらに2年お礼奉公をしてから独立した。

イタ(お盆)、マキリ(小刀)、煙草入れなど、アイヌが日用品にこれほど凝った文様を彫るのは、自分の技量を誇るため。狩猟道具も上手に作れ、獲物もたくさん捕れる。つまり生きる力があるという証しだ。「だから、一彫り一彫りに魂を込める。精神が宿らないものは、アイヌの道具ではないから」と、昔ながらの伝統を頑なに守り続ける。

「貝澤民芸」から独立し、自分の店を持った30代の頃

「貝澤民芸」から独立し、自分の店を持った30代の頃

●高野民芸
北海道沙流郡平取町二風谷76-4
TEL:01457-2-3397(店)・01457-2-3585(自宅)

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『アイヌの民具』萱野茂著 すずさわ書店
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