余市果樹園へ

大学の果樹園に吹く風は

余市果樹園で行われる北海道大学の「フィールド体験型演習」(写真提供:北海道大学・北方生物圏フィールド科学センター)

「札幌農学校第2農場」の誕生から35年。当時の農科大学長から総長へ果樹園設置の提案があった。目的は「果樹の研究と果樹園経営の教育」のため。場所は、大学内ではなく果樹の適地とされた「余市」だった。1912(大正元)年に開設し、いまも豊かな実りをつける「余市果樹園」を訪ねた。
森 由香-text 伊藤留美子-photo

クラーク博士の「自然に学べ」

「リンゴは、この小さな果柄がないと商品価値もなくなってしまいます。収穫する時は、果柄が抜けないよう節に指を当て、くるっともぎ取ってください」。
そう教えてくれたのは、余市果樹園の技術専門職員の生田稔さん。リンゴの絵に必ずある、実にちょこんと付いているもの。そんなに大事なものだったのかと、ドキドキしながら収穫する。しかし、1個に時間をかけている場合ではない。収穫はすべて手作業。丁寧にかつスピーディに収穫しなければ、日が暮れてしまう。

余市果樹園の面積は5.7ヘクタール。生田さんのほか、技術職員の増茂さんと非常勤の荒川さんの3人で管理運営している。現在、リンゴは23種類。品種によって実りの時期は変わるので、8月中旬の「夏の紅」から11月上旬の「ふじ」まで、収穫の日々が続く。取材日(10月17日)に収穫していたのは「紅玉」。大正時代から植えられていたというロングセラー品種だ。

「リンゴはこの小さな果柄が大事」と話す技術専門職員の生田さん

やってみると思いのほか難しい果柄残しの収穫技術

「紅玉」を手早く収穫していく増茂さん(上)と荒川さん(下)

「収穫したリンゴは北大マルシェなどで販売されますが、この果樹園の目的はあくまでも教育と研究です。学内外の研究活動や教育実習などに利用できる果樹と環境を整備しています」。
案内してくれたのは、北海道大学の星野洋一郎准教授。広い園内にはリンゴのほかに、洋ナシ、ブドウ、ハスカップやブルーベリーなどが植えられ、果樹園の役割も多岐にわたっているという。

そのひとつが「リベラルアーツ」。最近よく教育現場から発信される「一般教養」を意味する言葉だが、北大には札幌農学校の時代からリベラルアーツの精神が受け継がれている。クラーク博士の「自然に学べ」の教えをカリキュラムに生かした「フィールド体験型演習」は、北大の特徴的な教育であり、そのフィールドに余市果樹園は欠かせない。農学部に限らず、多くの学生が果樹園に訪れ、収穫や管理作業を体験する。ここの果樹は、学生たちの成長も見守りながら樹齢を重ねている。

果樹のまちの礎づくり

そもそも、余市はなぜ「果樹のまち」になったのだろう?
明治政府は、北海道開拓事業のひとつとして「果樹」に着目し、アメリカやカナダから輸入したリンゴの苗木を各地に無償で配った。その中から余市が頭角を現したのは、かつての会津藩士の力が大きいという。明治維新により故郷を追われ、北海道の余市に入植した会津藩士たちが懸命にリンゴを育て、「リンゴ侍が作るリンゴは旨い」と評判になる。そこから皇居に献上されるほどの名品種、「緋ノ衣(ひのころも)」が誕生し、余市の名前が世に広まったそう。余市果樹園にも「緋ノ衣」を定植したという記録が残っている。

名品種「緋ノ衣」の文字が残っている余市果樹園の看板
(展示:余市水産博物館、所蔵:北海道大学)

「緋ノ衣」の功績もあったのか、昭和28年8月、昭和天皇、皇后陛下の北海道への行幸啓の際、余市果樹園に立ち寄られている。
「天皇陛下に“橋接ぎ”の技術をご説明したと聞いています」と生田さん。「橋接ぎはバイパス手術のようなもの。リンゴの大敵は幹を痛める腐らん病です。この病気にかかったリンゴは、自己防衛なのか根元から若芽を伸ばすので、私たち人間は腐った部分を削り、その近くに若芽を接いで栄養補給の手助けをするのです」。

余市果樹園では、病害虫防除や剪定の方法、土壌管理などを研究し、その積み重ねてきた技術を道内の生産者に広めてきた。特に病害虫防除に関しては、国内初の「リンゴ無袋栽培の可能性」について提唱した有名な研究もある。「札幌農学校第2農場」が北海道畜産のモデルとなったように、余市果樹園は、北海道の厳しい環境と向き合いながら、果樹産地の礎づくりに貢献してきたのだ。

「橋接ぎ」は腐らん病にかかった幹を若芽で栄養補給する技術

新しい果樹が結ぶもの

2001年、北海道大学は、学内共同教育研究施設として「北方生物圏フィールド科学センター」を発足。余市果樹園は、センターの生物生産研究農場に所属し、今日に至る。そして、余市町と北海道大学は2009年に農業技術研究の連携協定を結んでいる。

時代とともに、果樹のまち・余市にも変化が見られる。道内初の「ワイン特区」となったことで、ワイナリーやワイン用ぶどうを栽培する生産者が増加。余市果樹園では、大学とワイナリーが協力してワイン用ぶどうの試験栽培を行い、さらには、ぶどう収穫の機械化実験もされているという。

ぶどうの試験栽培や収穫機械の実験なども行われている

新しい動きがある一方、生産者の高齢化は余市でも大きな課題だ。余市果樹園で小果樹を栽培しているのは、農業の高齢化対策もあるそうだ。
小果樹を専門とする星野准教授は、「比較的、手間のかからない小果樹は、経営を助ける第2の作物になると考えています。余市果樹園では、北海道に適した、作りやすい品種を改良し、生産者に実際に見てもらうフィールドセミナーなどを行っています」と話す。町内の生産者はベリー研究会を結成し、新たな果樹栽培に意欲を見せているという。
「果樹は実をつけるまで時間がかかります。だからこそ、生産者にリスクを負わせず、研究や試験栽培を先行し、新たな栽培技術を実践する。地域産業に貢献することも、大学果樹園の大切な役割だと思います」。

「ブルーベリーは紅葉も楽しめるんですよ」と話す星野准教授(左)と生田さん

北大のある札幌から約60km離れた果樹園に、「北海道」を冠する大学の気風と誇りを感じた。100年を超え、次の100年に向かう果樹園の新たな実りに期待したい。

北海道大学・北方生物圏フィールド科学センタ−・生物生産研究農場・余市果樹園
北海道余市郡余市町山田町448
TEL:0135-22-3287
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