ヒバの森から、100年後のまちへ

江差町「町民の森」の、ヒバを植樹してできた森

檜山(ひやま)という地域の名は、ヒバと呼ばれるヒノキアスナロが由来とされる。その名のとおり、江差もかつてヒバが生い茂る地で、ヒバの山は地域の貴重な財産だった。時代とともにその多くが失われてしまった今、100年後を見据え、江差の山に木を植え続ける人がいる。
柴田美幸-text 伊藤留美子-photo

江差はヒバのまち

海岸沿いに広がる市街地から、山のほうへ向かう。江差というと海のまちのイメージだが、元山と笹山という山を有し、海岸から2キロほどで森にたどり着く。ここは1999(平成11)年に「町民の森」として整備された町有林で、町民らによってヒバの植樹が行われている。
「もともとは、ヒバが自生していたところなんですよ。でも、伐採されて一度丸坊主になった。昔は海岸までヒバが鬱蒼と茂っていたそうです」と、坂野正義さんが教えてくれる。坂野さんは長く営林署に勤めたのち、北海道指導林家として全道で森づくりの指導にあたっている、樹木のプロフェッショナルだ。「江差追分に“あれが蝦夷地の山かいな”という一節があるでしょう。唄われているのはヒバの山だという話です」

坂野正義さん。地域に適した苗木技術の確立や、ヒバ文化の振興と継承への取り組みが評価され、2010(平成22)年、緑化推進運動功労者内閣総理大臣賞を受賞。その他数々の賞を受賞しており、「ヒバの坂野」と呼ばれている。江差追分会の理事も務める

ヒバとは、ヒノキ科の常緑針葉樹ヒノキアスナロのこと。道南を北限とする樹木で、その木材は耐久性が高く、おもに建築材に使われてきた。江戸時代、松前藩にとってヒバはニシンより以前から貴重な資源であり、番所を置き直接管理していた。北前船の時代には切り出したヒバが木材として内地へ運ばれ、江差の商人はヒバで住宅や蔵を建てた。「シロアリがつきにくく、千年以上持つという建物は、今も『いにしえ街道』に残っています。つまり江差は、海ではなく山から拓けたまちなのです」と、坂野さんは言う。

ヒバ(ヒノキアスナロ)の葉

しかし一方で、木材として使える樹齢の長い大木は伐採され尽くし、山火事などもあって、江差の山は時代とともにすっかり様変わりした。再生が試みられたこともあったが、ヒバは環境に敏感で更新が難しい樹木であり、苗木を植えても枯れたりしてうまく根付かなかった。根付いたとしても、木材として使えるようになるまで50年以上、100年はかかる。営林署では、樹齢150年以上というヒバを伐採したあとに、生育の早いスギやトドマツを植えるようになっていた。
この現状に疑問を持ったのが坂野さんだ。「このままでは、子や孫にまちの財産であるヒバの山を残せない」と、ヒバの山再生に取り組み始めた。
坂野さんの案内で、ヒバが植樹された森に入る。ところどころに、町内外の学校や団体の名が入った立て札が。「今年で植樹1万本を達成しました」と誇らしげに話す。

ヒバの産地である青森からも植樹に来ている。江差の小学生は、学校で必ず植樹を行うという

「適地適木」で、350年前の山へ還す

坂野さんが初めてここにヒバを植えたのは、1997(平成9)年のこと。どうすればヒバを多く根付かせることができるか独自に研究していた坂野さんは、定年後に町の森林指導員となってから、本格的にヒバを挿し木で殖やす技術研究を始めた。
実は、ヒバがある場所は北斜面に偏っている。「始めは南斜面にも植えてみたんだけど、日当たりがいいとまわりの草も伸びて苗木がうまく育てない。自然でも、北側に落ちた種のほうが育ちやすいんです」。日当たりが良くない北のほうが、ヒバにとっては良い環境だというのがおもしろい。また、近くにナラやブナなどの広葉樹があることも大事だとか。広葉樹はある程度の暗さを作り、落ち葉は肥料になり、そして風よけになってくれる。広葉樹を切ってしまうとヒバに病気が発生するという。
冬は、雪が重要な役割を果たす。「枝が伸びると、下の枝が積もった雪に押されて地面につく。すると、そこからも根が出て新たな木が育っていく。このヒバの山は、そういう仕組みでできていたんです」

下枝が地面についたところから、新たな木が育つようす(写真提供:江差町教育委員会)

挿し木で殖やすことは、昔から行われてきた技術だ。葉を取って地面に挿す方法(葉挿し)は、大正時代からあったという。「挿すときは、葉の表を東に向けて斜めに挿す。葉の裏は西日に弱いからね」。曲がった苗木になるが、種から育てるよりも早く苗木を作れる最良の方法だった。しかし、坂野さんは試行錯誤する中で別の方法にたどり着く。それは、枝から垂直に立ち上がって伸びる部分(芯)を取って地面に挿す方法で、坂野さんは“芯挿し”と呼んでいる。これだとまっすぐ育つだけでなく、苗木を作るのに葉挿しで6年かかるところ、3年ほどに短縮される。

生育が早いと、木材としても早く活用できる。「30年で直径16〜20センチくらいになるので、4寸(12センチ)角の材が取れるでしょう。間伐材も利用できるようになるはずです」と坂野さんは言う。100年近くの歳月をかけずとも、まっすぐで木材加工に向いたヒバが育つようになったのだ。
「最初、ヒバを植えると言ったら『何百年もたたないと材にならないのに』とみんなに笑われました。でも、適地適木と言うように、昔から江差はヒバが根付いていた地で、ヒバがある山は財産だったんです。だから絶対に350年前の“蝦夷地の山”に還さないとなんない。ヒバが茂って山が暗くなれば、山からの川が流れ込む海にニシンも戻ってくると思っています。100年経ったら、きっとものすごい財産になりますよ」

森の中には、盛り上がった土手のようなものが続いている。ニシンが不漁になった大正時代、ニシン漁の親方が、自分のヒバの領地に沿って漁師に作らせたのだとか。「漁に携わる人もヒバを財産として大事にしていた、ということですね」(坂野さん)

暮らしとともにあった江差桐

坂野さんは、キリ(桐)の再生にも取り組んできた。キリは自生していなかったが、北前船で会津や岩手から持ち込まれ植えられていた。軽いため浮子(アバ。漁網につける浮き)に使われ、“漁師殺すならキリを殺(や)れ”と言われるほど漁師にとって重要な木材だったという。また、暮らしに欠かせないゲタやタンスも作られ、かつて江差には職人の工房が40軒ほどあったそうだ。
キリは生育が早く、10〜15年ほどで材が取れる。“北限のキリ”である江差桐は、目詰まりが密で高品質と言われる。このキリやヒバでものづくりをしているのが、木工職人の及川繁治さんだ。及川さんは建具職人だった腕を生かし、江差桐でおもにゲタを作っている。

及川繁治さんは17歳ごろから江差の建具職人に弟子入り。建具屋を閉めたのち、木工職人に。江差のヒバはまだないので、青森産等を使いまな板などを制作している。現在85歳


最初に適度な大きさの材にするまでは機械を使うが、あとはすべて手作業。ノコギリ1本で大まかなゲタの形にし、ノミでさらに削り出す。「ここまで手作業でやる人はあまりいないね。1日1足がやっと。1足ったって2つ作んないとなんないし」と笑う。


及川さんのゲタは有名デパートで扱われるほど評判が高いが、2016年「いにしえ街道」にオープンしたショップ「木どりや カンナヅキ」で手に入る。町内の職人による商品がずらりと並ぶ店は、前に登場した室谷元男さんによるプロデュース。山とまちがつながり合った、江差ならではのものづくりの再生も進んでいる。

「木どりや カンナヅキ」の店内

100年後への種を作る

坂野さんは、ヒバに人の生き方が重なって見えると、最後に語ってくれた。
「ヒバは、もう成長できないとわかると種を作ります。次の世代を懸命に残そうとする生命力に、人の生き方を教えられました。本当にすごい木です」

かもめのなく音にふと目をさまし あれが蝦夷地の山かいな

江差追分のこのフレーズのように、100年後、再生されたヒバの山を眺める人はなにを思うだろう。

江差町「町民の森」
北海道桧山郡江差町字檜岱
TEL:01395-2-1020・内線333(江差町役場 農林水産課林業振興係)
利用期間:5月1日~10月31日
料金:無料

北のひばやま倶楽部工房 及川繁治
北海道桧山郡江差町字茂尻町29
TEL:0139-52-3346

木どりや カンナヅキ
北海道桧山郡江差町中歌町59
TEL:0139-52-0626(室谷塗料店)
営業時間:10:00〜16:00
定休日:月曜

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