遺稿を含んで没後に刊行された文学者吉田健一の『変化』(1977)には、詩と世界の関わりに分け入ろうとする、こんな一節がある。
「その詩と縁があるならば、それが世界を変えるのであるよりもその詩が世界であるという感じがすることがあってそれがかならずしも間違っていないとも考えられる。併しその詩が世界であるならばその詩である世界というものがやはりあり、それはその詩でもある世界であって我々は再び我々がいる世界の中に立つ。」
僕は大好きだが、晩年に向かっていっそう難解になっていった吉田のこんな文体は大嫌いだ、という人もいるだろう。吉田は、その一篇の詩が作られる前の世界と作られたあとの世界を重ねながら、「それはその詩の為に世界が変わったということではなくて我々がその詩のことを考えているのが世界である」と続ける。
AIや機械翻訳が日常にしみ込んできた現代。わかりやすく簡潔な文章が強く求められる一方で、何度も読むことで腑に落ちて、そのことがじんわりと深い喜びになっていく種類のテクストがある。身の回りにインターネットがまだなかった1990年代初頭。それはまだ30年も経っていないころのことだけれど、詩人の高橋睦郎は『詩人の食卓』(1990)で詩をこう定義している。
「詩は無限遠の彼方にあってつねに手招きしている、あるいはそう見える。その手招き、あるいは手招きの幻につられて近づくと、近づいた分だけ遠ざかっているのが詩で、だから世間で詩と呼ばれているものは、永遠に至れない詩への接近を試みた錯誤の軌跡にすぎない」
『詩人の食卓』は、古今東西の食をテーマに時間と空間を自在に旅するエッセイ集で、いまひもとくと20世紀末を感じさせる金子國義の絵と装丁も魅力だ。最初の方には、文化人類学者のレヴィ=ストロースは東京の築地市場を、「世界の博物館のすべてに匹敵」すると絶賛した、などと出てきてページが気持ち良くめくれていく。この本が出たころは北海道にはまだ炭鉱がわずかに残っていて、ソ連と東欧が崩壊していったり、湾岸戦争が起こるまではあとわずかだった。そしてバブルとも呼ばれた好況がいきなり切断されようともしていた。
さて、いま詩歌はどんな時代にあるのだろう。そんな大きなことを考えても答えは見つけられないけれど、札幌の「本の並ぶところ」を歩いて行くと、詩歌をテーマにしたユニークな店が気になってきた。
三岸好太郎美術館(札幌市中央区)の「カフェきねずみ」で食べられるパンを焼いているのが、モンクール(札幌市中央区北3条西18丁目)の高橋宏文さん。Mon Cœur(モンクール)はフランス語で、英語でいえばMy Heart。店は同館や北海道立近代美術館のほど近くにあり、掲げたサインには、「詩とパンと珈琲」とある。小ぶりの堅焼きパンにサバがさっぱりと収まったサババゲットや、有機野菜を使ったパンなどが人気で、どのパンもワインやビールとよく合う。道産素材と自家製酵母へのこだわりも、2009年暮れのオープン当初からのもの。
「詩とパン」とは、どういう意味の組み合わせだろう。人間が生きていく上で欠かせないもののことで、それをより豊かに楽しむためにコーヒーが寄りそうのだろうか。奥にはカフェがあって、内外の詩人の詩集を中心にした本棚が居心地良さそうにたたずんでいる。
「詩とパンは、アメリカの詩人アドリエンヌ・リッチの『血、パン、詩。』に由来するんです」、と高橋さん。大学の専攻は建築だったが美術サークルで出会った城(しろ)理美子さんとカフェを開きたくなり、パンの修業へ。詩を書いていた城さんは店を、自分の蔵書などを並べるブックカフェにしたいと思った。言葉を濃縮するように生まれる詩は文字や本のシンボル的な存在だから、その世界に惹かれる人が行き交う場所を作りたかったという。一方で詩には縁遠く、詩というテーマを重たく感じる人でも、おいしい焼きたてパンがあれば気軽に来てくれるはず。そこから詩や本にふれる機会が生まれるかもしれない。「詩とパン」は最強の組み合わせなのだ。
ふたりは詩の朗読会や音楽ライブなど、本をめぐる催しも定期的に開いて次第にファンを増やしていった。悲しすぎることに2012年に城さんを病で失った高橋さんとモンクールだが、店の針路はゆるがなかった。高橋さんは朗読会に関わっていた人たちの力を借りながら城さんの思いを現在まで結び、いまのモンクールは自主企画のほかに、ほかの人たちが企画する朗読イベントなどの会場にもなっている。去る1月20日には、ヨミガタリストまっつさんが、「俊カフェ」の古川奈央さんを招いた読み語りLive「『詩』を想い、そして思い出す日」を行って大好評だった。
高橋さんは、社会には詩人がいなければならないはずです、と言う。やはり詩はパンと同じように人が生きていくのに欠かせないものなのだ。高橋さんがずっと好きでいる一冊に、『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』(斎藤惇夫)という児童文学がある。ガンバたちネズミと、ノロイという一匹のイタチをめぐる冒険談で、即興的に詩を詠(よ)むシジンというメンバーが重要な働きをするのだが、高橋さんは、「それは僕たちの社会の縮図のように読める」、と強調する。
10年目を迎えたモンクールは、道立近代美術館や三岸好太郎美術館、知事公館などとともに、界隈の風景と暮らしを形づくる魅力的な場所として根をおろしている。おいしいパンとコーヒーを楽しみながら、ここで好きな詩集のページをめくろう。
前述したモンクールの「『詩』を想い、そして思い出す日」の読み語りLiveに登場した古川奈央さんは、「谷川俊太郎が好きすぎてカフェまで作っちゃった人」だ。詩人谷川俊太郎の世界を、自分だけではなくたくさんの人と共有したいと、2017年5月に私設記念館のようなカフェをオープンさせた(札幌市中央区南3条西7丁目)。日本でここだけの、とびきりユニークな詩人のカフェだ。
なぜ谷川俊太郎だったのか。
古川さんは、大学を卒業して東京の編集プロダクションに勤めはじめたころ、テレビCMに使われていた谷川の詩に心を奪われた。『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』(1975)という詩集の中の一節だった。実はもともと、古川さんの母校である札幌開成高校の校歌を作詞したのが、若き日の谷川だった。そんな縁も手伝って谷川の詩をむさぼるように読みはじめた古川さん。20代後半で出版社に転職して、月刊誌の編集部に配属となる。ライブの紹介ページの取材で出会ったのが、谷川作品をはじめとした現代詩を歌うバンド「DiVa」だ。メンバーのピアニスト谷川賢作は、俊太郎の長男。ボーカルの高瀬“makoring”麻里子とは歳が近く親しくなり、ここから谷川との小さな接点が生まれた。
2012年は札幌開成高校の創立50周年。同校では記念歌をふたたび谷川に依頼したのだが、そのときの校長が、偶然にも古川さんのかつての担任だった。そこからついに谷川と会うことがかなう。さらには、oblaat(オブラート)という、「詩を本の外にひらく」をコンセプトにしたデザインレーベルが作っている谷川の詩を着るTシャツや、詩の一行が入った鉛筆などの文具なども集めるようになった。
どんどん夢中になると、人に話したいし見せたくなる。谷川の了承を得て、友人が運営するギャラリーSYMBIOSIS(札幌市中央区)で、詩集やグッズ、そしてDiVaの音楽を揃えた「とても個人的な谷川俊太郎展」という企画展を開くと、大きな反響を得た。周囲の不安をよそに、勢いはもう止まらない。さまざまな困難を乗り越えながら、クラウドファンディングによる資金調達にも成功して、一昨年「俊カフェ」がオープンしたのだった。谷川本人の厚いサポートが、古川さんの勇気と馬力を生んだ。
カフェオープンにいたるこうした怒濤の歩みは、この2月に出版されたばかりの古川さんの著作『手記 札幌に俊カフェができました』(ポエムピース)で詳しく知ることができる。谷川もメッセージを寄せている。
俊カフェの棚には谷川の詩集や関連の本が430冊あまり並び、お茶を飲みながら自由にひもとくことができる。oblaatのグッズ類も魅力だ。また朗読会をはじめとしたさまざまな企画も展開されている。中でも注目は、年1回東京などで開催されていた、「俊読」という谷川俊太郎をテーマにした大きなイベントを、今年は札幌で開くこと(5月26日)。これらの情報は、「俊カフェ」や「俊読2019」のフェイスブックなどで確かめることができる。
「開店以来夢中でやってきました。誰でも谷川さんの詩の世界にふれられる場所として、この店を続けていくことが私の暮らしであり目標です」
詩とパンのカフェがあるんだったら、「短歌と箒(ほうき)の店」だってありますよ。と書肆吉成の吉成秀夫さんに教えてもらって、ほうきのアトリエと本の店 「がたんごとん」(札幌市中央区南1条西15丁目)を訪ねてみた。中津箒(なかつほうき)という箒をつくる吉田慎司さんが、マンションの一室を使って2017年の11月に開いた、どこか不思議なショップだ。
まず中津箒とは何だろう。
「ホウキモロコシというイネ科の草を使って、昭和40年代まで神奈川県の農村(愛川町中津一帯)で農閑期に作られていたもので、一度途絶えたのですが21世紀に入って再び作られるようになりました」
武蔵野美術大学(東京)で彫刻を学んだ吉田さんは、卒業すると母校の図書館の民俗資料室で中津箒と出会った。資料室にあったのは、民俗学者宮本常一ゆかりの資料群だ。もともと実用的な生活具に興味があった吉田さんはその用の美に魅せられ、製作のワークショップに参加すると夢中になってしまった。中津箒の歴史や背景を調べるうちに、自分でも本格的に作ってみたいと思うようになる。そのタイミングで、師匠となる職人のいる「まちづくり山上(やまじょう)」という会社に誘われ、修業をはじめた。
大量生産の工業製品とはまったく異なり、一点物の高価な工芸品ともちがう生活具の強さやぬくもりが好きだという吉田さん。一昨年には夫人の実家のある札幌に移り、アトリエを構えた。東京時代になじみ深かった電車の音のイメージからつけた名前が「がたんごとん」。デスクで使う小さなものから大型のものまで10種類近くが揃い、価格は千円台から2万円ほど。電気掃除機はもとより、外国産の廉価品とちがって、美しく強くてやわらかい吉田さんの箒は、畳やフローリングにやさしく、細部にまで行き届く。掃除を重ねるうちに素材がもつわずかな油脂分が畳にツヤを出してくれるという。なるほど箒は本来、単にゴミやほこりを払うだけではなく、住まいと暮らしをいつくしむための道具なのだ。
そして、こじんまりとした工房の空間に同居しているのが、たくさんの歌集や詩集が並ぶ本棚と平台。自由に手にとってここで買うことができる。それにしてもなぜ箒と短歌なのだろう。
「本や道具はいま、ともに使い捨てられていくような時代にあります。でもこれらの単純な機能や意味の先には、目を凝らしたり耳を澄ませる価値のある何かがあるはずだ、と思います。短歌は言葉の密度がとても高い文芸ですから、そんな問題意識がおのずと研ぎすまされます」
日々の暮らしの中で僕たちは、大切なことや守るべきこと、育むべきことについて、深く静かに感じたり考えていく機会を失いがちだ。日常の中でそのことを意識する人には、ひとつひとつ丹精を込めて美しく仕上げられる生活具や現代短歌の世界が、共通した基盤をもって見えてくるのだろう。そんな感性のことをポエジー(詩情)と呼ぶのかもしれない。
歌集や詩集には上質なデザインのものが多く、まずモノとしての魅力がある。吉田さんは、むずかしそうと毛嫌いせずに、ちょっとでも興味を引かれるものがあれば気軽に手に取ってみてほしいと言う。そこから日常に少し新鮮な光や風が通るかもしれない。「がたんごとん」は、そんなきっかけづくりをしたいと願っている。
東京に比べて札幌は、ノイズが少なくて人が親密につながりやすく感じるという吉田さん。「モンクール」や「俊カフェ」と同じように、詩歌や本にちなむイベントも積極的に開いている。「がたんごとん歌会」(2月24日)は今月の開催で5回目。1月には第3回「本の仕事をしている人で集まる会」が開かれ、出版会社や書店員、創作家たちなどが集まって交流を深めた。
「カイ」では2010年の夏に、宮沢賢治の特集を組んだ(「宮澤賢治の北海道観光案内」)。賢治研究でも知られる北海道大学の押野武志先生(日本近代文学)に会いに行ったとき、賢治の研究者で詩人の天沢退二郎の発言が話に出たことを覚えている。
日米安保条約の是非に日本が揺れた1960年代末、列島が政治に騒然となり、詩人たちに、こんなときに詩なんか書いたりしている場合か、という非難がわき起こるなかで天沢は言ったという。
「なにをいうか今こそ詩が必要なんだ」
詩歌は、政治や経済や日常の外側にありながら、同時にそれらの内側に深く生きている。吉田健一が指し示したように、きっと誰もが、詩である世界と世界である詩に生きているのだ。まちを歩けば、これらの3店のように、そのことに気づかせてくれる場所が僕たちの身近にある。平成の最後になって考えてみると、そうした場所がもつ意味は、さらに深まっているのだと思う。
詩とパンと珈琲 モンクール
北海道札幌市中央区北3条西18丁目2-4北3条ビル1F
TEL:011-611-3747
11:00~20:00(土 9:00~18:00)
定休日:日曜・月曜
俊カフェ
北海道札幌市中央区南3条西7丁目4-1 Kaku imagination 2F
TEL:011-211-0204
11:00~20:00
定休日:火曜
ほうきのアトリエと本の店 がたんごとん
北海道札幌市中央区南1条西15丁目1-319 シャトールレェーヴ 605
TEL:090-9314-9554
営業日:金・土・日(12:00-18:00 ※日のみ17:00まで不定休あり)