小樽駅から市場を抜けて船見坂を登り、細い露地をトコトコ歩いていくと、庭に立派なナスの苗が育つ一軒家に到着する。ここは峰尾さんが仲間と一緒に借りている家で、平日(火・水・木曜)は中高生のための私設図書館として開放し、週末は「第3倉庫の次世代活用を考える若者ネットワークNon-.」の拠点にもなっている。小樽について、まちづくりについて、どんな思いを抱いているかお話を聞いた。
「高校生までは小樽にあまり愛着がなかったのですが、大学で札幌に通うようになって、すぐ隣なのに『小樽のほうが居心地が良い』と感じるようになりました。ずっと当たり前に思っていた海や坂や町並が大切に思えて、それから『小樽が自分の故郷』という感覚が芽生えました。大学1年の春休みに、ヒマなので何かしなくちゃと思って『小樽雪あかりの路』というイベントのボランティアに参加したんです。そこでいろんな人に出会って、以降、自分自身で何かやりたいと思うようになりました」
学生時代の峰尾さんの動きは面白い。24時間続けてまちのごみ拾いをしたり、小樽在住の学生が集まるコミュニティを作ったり、小樽のいいところを動画で紹介したり。それらは「まちとデートしている感覚」だったという。
「別に必要なことではないんですよね。こういうことって。でも、まちづくりの活動は自分の部屋の掃除をする延長にあるのかなと思っています。自分が住んでいるまちが、ちょっと良くなったらいいなぁと思って行動する。それに、動いていると楽しくて、学生時代は大学で勉強しているよりも、地域にでるほうが自分の生き方が豊かになる感覚があって、すごく魅力的でした」
住んでいる場所を良くしたいという気持ちと、自分自身の楽しさ。その二つが峰尾さんの原動力となった。その後、大学院を半年休学し、京都のNPO法人へインターンシップにいくことを決意する。このとき峰尾さんには、ある問題意識があった。
「小樽は小さなコミュニティで成り立っていて、小樽人ならだいたい共通の知り合いがいて、何をするにも人間関係中心で回っていると感じていました。例えば、何かイベントをするとき、当然ですが知り合いに協力してもらうことがほとんどで、それは悪いとは思わないけれど、そういうコミュニケーションを続けていくと、いつの間にか本質を見落としてしまうと思ったんです」
そもそも小樽をどうしたいか、何を大事にしたいか、根底にある考え方を共有したうえで一緒に動いていかなければダメなんじゃないか。そう考えていたときに、京都にあるNPO法人が行政と一緒になって対話型のまちづくりを進めていることを知り、思いきって飛び込んだ。
「そのNPOは行政から委託を受けていろいろな事業をしていたのですが、当時たしか京都市からの相談で商店街の活性化計画があり、その話し合いに参加したときのことです。詳しい内容は覚えていませんが、NPOからいろいろと提案して、僕もすごくいいなと思いました。でも、市の職員が2人いて、1人は結構良い感じの雰囲気でしたが、もう1人があまり腑に落ちていなくて、結局提案は通らなかった。そのとき実感したのが、どんなにいい提案でも、行政がうんと言わないと進まないこともあるという現実でした。行政はまちづくりの一番の担い手であって、その大きな力を前に進めるには、民間側の提案や力だけでなく、行政側の理解がすごく重要になります。そのころ僕は将来の進路について悩んでいたのですが、これからもまちづくりに関わりたいなら、まちを良くしたいなら、小樽市役所に入るのは大きな選択だと思いました。
それともう一つ、それまで公務員のイメージがあまり良くなかったんですよね。割とクールに仕事をしていると勝手に思っていて。でも、別の事業で、たまたま異動になる市役所の職員さんの挨拶を聞く機会があって、その方がすごく熱く語って、涙を流している様子を見たときに、行政でもそういう仕事ができるんだ、と衝撃を受けました」
第3倉庫の解体を検討するというニュースを聞き、すぐに「絶対残さなきゃいけない」と思った峰尾さんは、ボランティア仲間や同僚などに声をかけ、「第3倉庫の次世代活用を考える若者ネットワークNon-.」をつくった。モットーは、つながりはゆるやかに、自分たちが面白いと感じることを発信していくこと。そこで描くのは、第3倉庫の存続・活用だけでなく、住み続けたいと思う小樽の未来のかたちである。
「がっちりした団体の活動というより、若者も第3倉庫を何かに生かせたら面白いと感じていることを知らせるのが大事で、ちょっとゆるめの関係性のなかで、声を発信していきたいと思っています。これはインターンシップで感じたことでもありますが、これからは決まり切った組織の時代ではなく、働き方もダブルワークがあったり、会社に属さず業務に関わったりと変化しつつあって、僕らの価値観も昔のような企業戦士がみんなで頑張るぞ!的な感じではない。ゆるやかなネットワークを形成していくほうが、いろいろなことができるし、たぶん合っていると思います。
Facebookで意見を発信しつつ、この家でワークショップも開催しました。若者の声を集めて、目に見える形で示したいと思ったんです。参加者は15人くらいで、たくさんのアイデアがでました。でも、思っていることは何となく共通していて、すごくフワッとした言葉ですけど、『場』を求めていると感じました。裏返してみると、小樽には行きたいと思える場が少ない、ということかもしれません。
第3倉庫は一つの象徴的な存在であって、その先にあるのは『まちの未来』です。その視点で思っていることを発信しようと考えていたときに、ふと思いついたのがラップです。何年か前、ボランティアで一緒だった友人2人と、ふざけてラップを歌って、楽しかったな、と。今回もラップにしてみたら面白いかなと思って、単純な発想でこの曲が誕生しました。
恥ずかしいですが、歌っているのは僕と以前一緒にふざけていた2人です。曲を作ってくれたのはラッパーのVoltさん。Voltさんが機械でうまく調整してくれたので何とか完成しましたが、生ではちゃんと歌えません(笑)。あまり真面目にかた苦しく考えず、『あ、こんなバカな感じでやってるんだ』と、だれかの心にひっかかるものがあればうれしいです」
2020年10月末、第3倉庫の解体は1年間延期となった。小樽商工会議所が事務局となり、市民・経済界・有識者によって組織した「第3倉庫活用ミーティング」が倉庫の保全・活用について検討を行なっている。峰尾さんも「第3倉庫の次世代活用を考える若者ネットワークNon-.」の代表として、この活用ミーティングのシンポジウムなどに参加する。また、それとは別に独自の動きを続けている。
「僕らは、もともと考えていた『まちの未来』に向けての活動を続けたいと思っています。小樽で働く、小樽出身ではない同世代の意見を聞くと、よく『小樽はちょうどいい』と言うんですよね。山も海もあって、古い市場や坂が多くて、そういう風景がすごく刺激的だと言ってくれる。それは小樽出身者にとっては驚きで、刺激がないと思っていたまちが、外から見ると全く違うと気づきました。
いまは、第3倉庫周辺の『北運河』と呼ばれるエリアを「暮らしの中で歴史を楽しめる場所」として発信しようと思って、KITA-UNGA Chill Styleというインスタグラムを立ち上げました。僕ら自身が楽しんでいれば、周りも自然に整っていくと思う。それが結果的に、まちづくりにつながっていくんじゃないかなと思っています」
峰尾さんが学生時代から大事にしているキーワードは、“耕(たがや)す”だという。まちを耕し、人と人のつながりを耕し、新しい価値観を耕していきたい。
「自分の根本的な興味は、例えば、まちの面白さに気づく人が増えたり、まちづくりの活動をやってみる人が増えたり、いまいる場所から一歩踏み出すきっかけができたり、“耕す”的な部分にあると思います。それでいろんなものが混ざり合い、芽が出ていくプロセスがすごく好きなんですね。いろいろな人と一緒にやるまちづくりの活動でも、今の自分の職場でも、何か耕すことができたらと考えています。
第3倉庫のことは、このポテンシャルを生かせないと、小樽の未来はないんじゃないかと思って、とにかく動き始めた感じです。時間はかかると思いますが、まずはできることをやる。そこでたくさんのアイデアがでて、次にステップアップしていく。みんなが本気にならないとできないですよね。でも、その長い道のりの『今』を逃さないようにしたいです。このまちの未来のために」
第3倉庫の次世代活用を考える若者ネットワーク Non-.
WEBサイト
Facebook
KITA-UNGA Chill Style(Instagram)