札幌の巨大遺跡・北海道大学を掘る ―北海道大学埋蔵文化財調査センター

北海道大学構内を流れるサクシュコトニ川周辺では遺跡が多く見つかっている。北大構内のほとんどはK39遺跡で、一部はK435、北大植物園はC44と呼ばれる。ここは続縄文文化のキャンプ地跡が発見された「ゲストハウス地点」周辺

知る人ぞ知る大学のミュージアム巡りの最後に訪れたのは、「北海道大学埋蔵文化財調査センター」。実は、北海道大学のキャンパス自体がほぼ遺跡なのだ。こうした例は、道内はもちろん全国的に見てもあまりない。大学構内を専門に発掘調査・研究する大変珍しい施設にも、出土物の展示室がある。
柴田美幸-text 黒瀬ミチオ-photo

北海道大学=遺跡の上にある大学

北海道大学(以下、北大)の構内では、学生だけでなく観光で訪れる一般の人の姿も多く見かける。たいていのお目当ては、90年以上前の重厚な建築が目を引く北海道大学総合博物館だ。古生物の標本など、大学の学部ごとに現在まで蓄積してきた研究成果が豊富に展示されており、クラシックな雰囲気と相まって大変人気が高い施設である。
一方、そのほぼ斜め向かいにある小さな四角い建物「北海道大学埋蔵文化財調査センター」について知る人は少ないかもしれない。だが、一見目立たないこの施設が、大学の周辺地域、そして札幌および北海道の歴史を知る上で、とても重要な役割を果たしている。

「北海道大学埋蔵文化財調査センター」外観。向かって右側が展示室になっている

大学構内に足を踏み入れたなら、川が流れていることに気づくだろう。キャンパスのほぼ中央を南北に貫くようにサクシュコトニ川、西端にセロンペツ川が流れている。これら川の周辺には、約5000年前から人々の暮らしがあったことがわかっている。
実は、広大な大学構内の大部分が遺跡なのだ。縄文中期から続縄文、擦文(さつもん)、アイヌ文化、そして近代にいたる5000年分の遺構や遺物の上に現在のキャンパスが乗っかっている。そんなイメージができる。
「北海道大学埋蔵文化財調査センター」(以下、埋文センター)は、新たな施設の建設など構内で地下を掘る工事が行われる際、それに先立って遺跡調査を行う施設である。1980年の開設から40年以上にわたって収集した構内の出土資料を研究・保存し、併設の展示室で一部を公開している。
現在まで調査した構内遺跡は60カ所以上、そのうち20カ所ほどには案内板が設置されている。出土物と出土した遺跡の場所を実際に結びつけて見学できるのは、道内各地から収集した北大総合博物館の考古展示と大きく異なる点であり、ほかの博物館や埋蔵文化財施設でもあまりないことだ。

構内の遺跡に設置された案内板。なにが見つかったのかも解説されていて、実際の資料は埋文センターにある。案内板の設置箇所は毎年増えている

展示室では、構内遺跡の出土物を展示。常設展示はおもに続縄文・擦文文化の資料、企画展では幅広いテーマで展示が行われる

川とともにあった人々の暮らしの痕跡

展示室の常設展示では、この地の利用が盛んになった、縄文以降の続縄文、擦文文化の資料を中心に展示している。北大構内の遺跡を象徴するのが「北大式」と名付けられた土器だ。
続縄文文化後半期(約1900〜1300年前)のうち、5〜7世紀にかけて作られていた土器の型式のひとつで、棒状のものを押し付けた丸い文様が、ぐるりと土器の縁につけられているのが特徴である。埋文センターの髙倉純(たかくら じゅん)さんによると、「縄文から続いた縄目文様から、次の文化の擦文(ヘラ状の工具で擦ったような文様)へ移り変わる過程にある型式だと思われます」とのこと。型式に大学の名前がついているのは、この土器型式が最初に北大構内で発見されたからで、「大学名が型式名に使われているのは、全国的に見てもほかに例がありません」と教えてくれた。

続縄文文化の「北大式土器」。時期区分をする際の基準となる、標識土器(ひょうしきどき)になっている

なかでも、北大構内でまとまって出土しているのが擦文文化(約1300〜800年前)の土器である。このころ本州では奈良・平安時代にあたる。とくに珍しいのが、坏(つき)という皿のような器の表面に文字が刻まれた資料だ。道内での出土例はたった2例しかなく、東北地方で製作され持ち込まれたと考えられている。

文字が刻まれた、坏(つき)。字の意味については諸説あり、本州の遺跡でも似た文字が記された土器が見つかっている。「恵迪寮地点」出土

このことは何を意味するのだろう。髙倉さんは、北大構内を流れる川にカギがあると言う。「当時、ここから舟で川づたいに海(石狩湾)へ出ることができました。つまりこの場所は、本州からの物資が集まる物流拠点だったのではないかと思われます」。
擦文文化は本州の影響を色濃く受けており、本州との交易で焼き物のほか、鉄製品も手に入れていた。また、土を水で洗ったところ米や雑穀が見つかった。それまで擦文人は狩猟採集民と思われていたが、農業も行っていたことが初めてわかったのである。さらに「北海道式古墳」という、本州の影響を受けた擦文の墓の一部が札幌では初めて見つかるなど、擦文文化を明らかにするための重要な発見が北大構内で相次いでいる。

「北海道式古墳」の溝の跡から見つかった鉄製品。鋤(すき)か鍬(くわ)の先と見られ、墓前に供えた供献品(きょうけんひん)と考えられている。「医学部陽子線研究施設地点」出土

「大学病院ゼミナール地点」で大量に発見された、昭和10年代の大学病院の食器も研究対象。戦前の物資の流通体制などは、よくわかっていないことが多いとか。大量生産されていた食器の型式を分類することで明らかにしていく

埋文センターでは発掘や資料の記録・整理に携わる作業員の方々の力が欠かせない。この日は出土した琥珀の石器の模写を行っていた

トレイルウォークや発掘現場公開で地域を知る

こうした成果や遺跡のことを地域の人にもっと知ってほしいと、10年ほど前からスタートしたのが「遺跡トレイルウォーク」というイベントだ。春と秋の年2回、近隣の北大植物園内を含めた構内遺跡の一部を、髙倉さんをはじめとする埋文センターの教員のガイド付きで巡ることができる。

「遺跡トレイルウォーク」のようす。毎回50〜60名が参加するという人気のイベントだ(写真提供:北海道大学埋蔵文化財調査センター)

「しかし、地域の人や市民が北大構内の遺跡のことを身近に知る機会はまだまだ少ないと言えます。総合博物館と連携しながら、埋文センターでは小回りがきくことを生かした対応を行っていきたい」。そう髙倉さんが言うように、春から秋にかけて構内で行われる発掘作業は、一声かければ、ほとんどの場合見学させてもらえるという。疑問に思ったことは、発掘の最中でも質問していいそうだ。現在進行系の発掘現場を、限られたイベントではなく普段も間近に見られるというのは、なんと贅沢な体験だろう。
また、教員が埋文センターにいるときは、展示に関する質問にもその都度答えてくれる。地域や札幌の歴史を知る機会が、こんなに身近で、気軽に行ける場所にあるのだ。これは、活用しない手はない。

北海道大学 埋蔵文化財調査センター 髙倉純 助教。「大学が持つ多くの資料や情報を、札幌市と連携して活用することが理想です。たとえば、自然と歴史分野の両方を有する市立の博物館施設があったら、ほかの都市のように連携できるのに…と思うことはあります」

北海道大学埋蔵文化財調査センター
北海道札幌市北区北11条西7丁目
TEL:011-706-2671
開館時間:9:00〜15:00
開館日:月〜金曜 ※土・日・祝日は休館
入館料:無料

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