屯田兵の父と北海道開拓の礎

この地が「北海道」と呼ばれて150年。近代国家を目指し「文明開化」を旗印にした明治からの150年でもあります。
明治政府は産業の育成と軍事力の強化を推進する「富国強兵」を謳い、資源を求めて北海道開拓を進めました。一方、ロシアの南下に備えて強固な防備体制づくりも喫緊の課題でした。
辺境の蝦夷地が「北海道」となり、同時に大きな期待と役割を担う大地へと、中央の位置づけと視線が変転したともいえます。

「北海道(当初は北加伊道)」という名を国に具申した松浦武四郎は広く知られています。そして、北海道にとって大きな存在であるもう一人の武四郎がいます。二人の武四郎は「開拓使」に籍を置きましたが、数年の時間差があり、接点はなかったのではないかと思われます。

北海道の開拓と防備を担った屯田兵たちが、現在のこの地の基盤を各地に作っていきました。その制度を政府に提言し、「屯田兵の父」と呼ばれるのが永山武四郎です。

旭川市永山の地名は、永山武四郎を由来とします。時代の歯車次第では今の永山地区とは別の歩みをたどった可能性もありました。

札幌には「旧永山武四郎邸」が現存しています。サッポロファクトリーの東側にある、この歴史的建造物は2018年6月23日、リニューアルオープンします。

旭川と札幌で、北海道開拓の礎の一人、永山武四郎の足跡を探す特集です。

伊田行孝─text
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