あなたは、どんなときに広場に行くだろう。
休むため。遊ぶため。待ち合わせ。ランチの場所に。時には写真を撮ったり、イベントに参加したりすることもあるかもしれない。
パブリックスペースでありながら、どこか我が家にいるような心地良さが漂う広場なら、ずっと居たくなる。それは、自分の住むまちでも、旅先でも同じことだ。
札幌市北3条広場「アカプラ」は、札幌市が民間と共同で整備し、2014年7月にオープンした。整備費を負担したのは、広場南側にある「札幌三井JPビルディング」を手掛けた三井不動産と日本郵便。札幌駅と大通公園のほぼ中間に位置する“まち歩きの回遊拠点”、さらには2011年に開通した札幌駅前通地下歩行空間(チ・カ・ホ)などの影響で歩行者が減った地上のにぎわいを取り戻す起爆剤的役割を期待されての誕生だった。
全長は約100メートルと限られた空間だが、もっと奥行きがあるような錯覚にとらわれるのは、道路を挟んで西側にある赤れんが庁舎(北海道庁旧本庁舎)の存在感ゆえ。
庁舎との一体感を演出するために使われたのが、約21万個の江別産れんがだ。れんがは、寒冷地向けの建材として開拓使が奨励し、庁舎をはじめ、工場や倉庫、サイロなど多くの建物に利用された。当然、生産工場も道内各地にあったが、やがて良質な粘土が採れる江別市が主要生産地に。今も独自の文化を育む「江別のれんが」は、北海道遺産に選ばれている。
「『れんが』といっても、黄色っぽいものからこげ茶まで色々。赤れんが庁舎と違和感のないものにするため、焼き方のパターンを用意してもらい、検討を重ねました」。広場の運営を担う札幌駅前通まちづくり株式会社の統括マネージャー・内川亜紀さんは振り返る。
「れんが」といえば、アカプラから東へ真っ直ぐ延びる「北3条通」も、れんがで一部が舗装されている。創成川を越えて10分ほど進むと、日本人初のビール工場「開拓使麦酒醸造所」を前身とするれんが造りのブルワリー(サッポロファクトリー内)や、第2代北海道庁長官・永山武四郎が住んだ私邸(旧永山武四郎邸)が見えてくる。これらは、この通りができた明治時代の風景を伝える歴史的建造物であり、今再開発が進む創成東エリアの主要な拠点でもある。
開拓使と産業のまち・苗穂をつなぐ起点であったこの場所は、「札幌舗装道路発祥の地」でもある。舗装といっても、素材はアスファルトではなく、なんと「木」で、1924(大正13)年、道南のブナを加工したブロックが路面に敷かれたことに由来する。アカプラの整備時には舗装道路発祥の地であることを示すモニュメントも設置され、地下保存されていた珍しい木製ブロックを実際に見ることができる。
れんがの活用や記念碑の再建など、歴史的観点を配慮した点について、三井不動産北海道支店事業グループ主任の安田有希さんは「私は開発時の担当者ではなく後任の立場ですが、札幌の一等地を開発する際の公共貢献です。造船ドック跡地を生かした東京の商業施設『ららぽーと豊洲』に象徴されるように、弊社は土地の歴史を生かした再開発に積極的に取り組んできました。今回もその一環で、地権者である札幌市や地元の思いをしっかり受け止めた結果だと思います」と説明する。
道都・札幌のど真ん中に、歴史を受け継ぐ「広場」が作られたことは、市民の注目を集めた。内川さんは、愛称を公募したとき、思いの熱さに驚いたという。「542件と予想以上の数が集まったことに加えて、理由の書き込みが多かったんです。開拓にちなんだ案の中には文献も添えてくださる方もいました。最終的には音の響きや親しみやすさ、位置や場所のイメージしやすさなどを理由に決まりましたが、それだけ完成を楽しみにしてくれている方がいることを感じました」
どんどん訪れてほしい。使ってほしい。そんな思いから、アカプラではこの5年間、多彩な催しが開かれてきた。参加型・体験型も多く、なかにはあっと驚くような発想もあり、四季の喜びやこのまちにいる誇らしさを感じさせてくれる。
イベントは当初、関連団体でつくる札幌駅前通地区活性化委員会が主催するものが多かったが、徐々に外部の申し込みも増えてきた。内川さんは「最近は『ここだから使いたい』という声もいただきます」と明かす。その一方で、「ただイベントを行うだけでは、広場のポテンシャルは上がりません。街にとって大切な場所となるよう、プラスアルファを心掛けたいです」と語る。
広場は、単なるイベントスペースではない。もっといえば、同じ札幌の中心部にあるチ・カ・ホとも、大通公園とも違う“アカプラらしさ”を追求したい。そこで内川さんたちが参考にしたのが、「全国まちなか広場研究会」の活動だ。
「全国まちなか広場研究会」とは、「まちなか広場」(=都心にある広場的空間)の整備を促進し、人と人との多様な交流による広場文化の醸成とソーシャルキャピタルの向上を図るため、「まちなか広場」に関する研究成果などを関係者で共有するために始まった取り組みで、2013年から始まった。聞けば、全国には“ヒロバニスト”(!)なる専門家もいて、年一回、全国各地で講演やシンポジウムを開催。さらに、2015年からは先進的で独創性ある実践例を「まちなか広場賞」として表彰している。第4回大会となる2016年は札幌が開催地となり、アカプラの実績発表やチ・カ・ホの視察なども行われた。
全国まちなか広場研究会サイトをのぞくと、40を超える事例が紹介されており、立地環境やスタイルなどその多彩さに驚く。と同時に、人が集い、まちで暮らす拠り所としての広場の可能性を実感する。ユニークな企画が目を引く中、内川さんがここから学んだのは、意外にも、広場の日常性の大切さだったという。
「イベントももちろん大事ですが、いつ、誰が来ても、ウエルカムであり続けることが必要だと感じました。広場の中心は“人”。そのつながりを大切にしたいです」。そのため内川さんは、朝は必ず出勤前にアカプラを見て回り、すぐ近くにある会社からも昼夜眺めているという。また、観光客も多いことから、いつでも道案内できるよう、清掃スタッフも数種類の観光地図を携帯しているそうだ。
安田さんは「これからは建物そのものだけでなく、周辺環境や付随するソフトサービスもビルの付加価値となる時代。より快適に働きたいというニーズが高まると、こうした空間はさらに重要になるのではないでしょうか」と期待を込める。
広場のコンセプトのひとつに「大人の文化を享受できる空間」を掲げる中、「想定外だった」という光景を内川さんが教えてくれた。それは、小さな子どもたちが遊ぶ様子だ。
「近くの保育園のお散歩コースにもなっているようで、毎日のように子どもたちが来てくれるのは嬉しい誤算でした(笑)。夏は走り回り、冬は雪合戦。ここは歩行者専用で広く、保護者にとっても安心なのでしょう。イベントも、子ども向けの企画を増やすなど工夫を重ねています」
確かにここは、オフィス街にあってまちの喧騒がどこか遠い、異空間の雰囲気が漂う。子どもたちが数年後、十数年後、再びここを訪れるとき、広場はどんな風に目に映るのだろう。
ちなみに取材は3月末、名残雪がアカプラを白く覆った頃だった。吹き付ける雪を嫌って私は近くのビルに逃げ込んだが、ふと見ると、広場の真ん中で寝そべる男性がいる! 彼はカメラを構え、赤れんが庁舎を背景にポーズを取る女性を激写していた。観光客だろうか。季節外れの雪が彼らには嬉しいようだった。はしゃぐ彼らを見ていたら、雪の白とれんがの赤が、すごく美しく見えた。
歴史と人の思いが重なって「広場」はできた。
そこにいくつもの記憶や発見、思い出が積み重なって、「まちの広場」となるのかもしれない。時代も国境も年齢も越えるそれは、誰のものでもない。と同時に、あなたのものであり、私のものなのだ。
札幌市北3条広場[アカプラ]
北海道札幌市中央区北2条西4丁目及び北3条西4丁目
TEL:011-211-6406(札幌駅前通まちづくり株式会社)
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