岩﨑真紀-text
vol.4

魔法陣の匠・橋口幸絵の『転校生』

演劇は、特定の時間・空間だけに立ち現れるイリュージョンだ。その証拠に、どんなに感動した演劇作品であっても、映像で観ると魅力は激減する。映像は劇場に立ち現れた魔法の残像であって、魔法そのものではない。

脚本は、魔法を立ち上げるための呪文の書だ。良い呪文は時間と空間を越えて効力を発揮するが、どのような魔術のための呪文かを読み解き、それを発動させるための魔法陣を創る魔術師が必要になる。魔術師=演出家だ。俳優は、魔法陣の上に配置される魔法石といったところだろう。呪文が強力であれば、魔術師と魔法石の力が弱くとも魔法は発動する。また、飛び抜けて力のある魔法石は、魔術師がへなちょこでも呪文が不明瞭でも、なんらかの魔術を立ち上げてみせてくれる。そしてまた、呪文や魔法石の強弱によらず、強力な魔術師というのは見事なイリュージョンを創り出すことができる。

私の知る範囲では、今の北海道演劇において最も強力な魔術師といっていい存在が、札幌座のディレクターの一人で劇団千年王國を主宰する橋口幸絵だ。
橋口演出は、舞台の運び方・見せ方の巧みさにおいて、札幌では群を抜く。橋口の創る舞台は、明快で力強く、イマジネーションに富んでいて美しい。役者の配置のうまさやダンスを取り入れた展開などで、観客の目を飽きさせない。作品の流れを途切れさせない場面転換も魅力的だ。

一方で、橋口は強力な魔術師であるがゆえに、呪文が持っている本質的な効力とは違う形でイリュージョンを完成させているのではないか、と感じることがある。整合性についての違和感、それによって舞台に没入できないことについての不満。3月に橋口幸絵+櫻井ヒロの演出で上演された、高校生演劇ワークショップの成果発表としての舞台『転校生』にも、それを感じた。

戯曲『転校生』は、女子高生との舞台づくりのために平田オリザが1994年に書いた作品だ。とある学校の教室に「朝起きたらこの学校の生徒になっていた」という転校生がやってくるが、その後ストーリーらしいストーリーはなく、21人の女子高生がとりとめのない日常会話を同時多発的に繰り広げていく。会話グループのメンバーは入れ替わり入り交じり、流れを追うのは難しいが、これは脚本家が意図したところだろう。つまり、会話の流れそのものはあまり重要ではなく、その断片を総合したところに脚本家の意図がありそうな戯曲だ。

橋口幸絵は複雑な会話の流れを上手に成り立たせ、作品をさらさらと心地よく流れる音楽のように仕上げていた。ダンスを取り入れた身体的な動きはダンサーである櫻井ヒロに負うところだろうが、これも若い身体の持つ魅力を引き出していて素敵だった。だが、私が作品全体から受け取ったのは、女子高生の身体が放つエロスと女性性への賛美、キラキラとした高校時代に対するノスタルジーだ。これはたぶん、平田オリザという現代日本における傑出した書き手が記した呪文の本質的な部分ではないだろう。

冒頭は、一人の女子高生が身体を反らして猫のようにしなやかな伸びをするシーンから始まる。やがて、半円状の階段で表現される教室に女子高生たちが三々五々やってきて座り、髪を梳かすなどしながらおしゃべりをする。制服姿の彼女たちは全員が裸足で、横座りに投げ出された足がなまめかしい。背景には十文字の格子が入った大きな窓。客を待つ女郎部屋を連想させるシーンだ。その後の展開でも、女子高生たちはしゃべりながら着替えをし、短いスカートを翻し、随所で若い身体の輝かしさをみせつける。
窓には折々に、廊下や校庭など教室の外の映像が投影される。ラストではその映像が、登場する女子高生の一人が成長してから撮影したものだとわかる仕掛け。つまり、悩みさえも美しき高校時代への追想を立ち上げて舞台が終了する。

橋口幸絵は、平田オリザの呪文にはないものを魔法陣に加え、呪文の本質とは異なるイリュージョンを立ち上げてみせてくれたのだ、と私には感じられる。このようなオリジナリティを示すことこそが演出なのだ、という考え方もあるだろう。だが、当代きっての書き手の呪文の本質を、こんなにあっさりとやりすごしてしまっていいのだろうか。私はその部分についての橋口幸絵のアプローチを観たかったのだ。

劇中、平田オリザは女子高生たちに、課題図書の話をさせ、また世界の高校生の悲惨な状況についての報道を読み上げさせている。なぜそのようなものが配置されているのか。この部分に、閉ざされた世界で生きる現代の女子高生についての平田オリザの呪文の本質を探るヒントがあるのではないだろうか?

橋口幸絵の『転校生』は、良し悪しでいえば、完成度の高い良質な作品なのだろうと思う。知り合いの誰彼に紹介しても喜んでもらえそうな作品だ。高校生と創った作品としては得がたいことだ。けれど私にとっては、違う魔術師の魔法陣であればどのようなイリュージョンになるのか、それが観たいと感じさせられた作品だった。

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撮影:札幌市教育文化会館


岩﨑真紀(いわさき・まき)
情報誌・広報誌の制作などに携わるフリーランスのライター・編集者。特に農業分野に強い。来道した劇作家・演出家への取材をきっかけに、北海道で上演される舞台に興味を持つ。TGR札幌劇場祭2014~2016年審査員、シアターZOO企画・提携公演【Re:Z】2015~2016年度幹事。サンピアザ劇場神谷演劇賞2017年度審査員。