TGR審査考 ~明日のために植える林檎-2
「道内外の作家が互いに競い合う機会を創出することで、北海道における演劇創作活動の活性化を図る」という狙いで実施されている北海道戯曲賞(北海道文化財団主催)。第4回となる平成29年度は25都道府県から122作品の応募があり、東京の本間龍『動く物』が大賞、兵庫県の中野守『10分間〜タイムリープが止まらない〜』が優秀賞に選出された。
最終選考に当たった審査員は、全国で活躍する5名の戯曲家・演出家らだ。私はその中の2名、土田英生(MONO代表)・斎藤歩(北海道演劇財団の常務理事・芸術監督)の両氏に取材する機会があり、最終候補11作品からどのような議論を経て大賞・優秀賞が選ばれたのかについても詳しく伺うことができた。
取材後、あれこれと考えているうちに、ふと自分が3年間関わったTGR大賞の審査を思い出した。そしていささか僭越ながら「あれ、もしかして、北海道戯曲賞の審査員の方々がTGR大賞を審査しても、上位グループ(受賞対象となる5〜7作品)の選出については(これまでのTGR審査員の選出と)似たような結果になるのではないかしら」との思いを抱いた。
いや、「自分(たち)の目に自信を持った」という不遜な話ではない。
「次代を担う劇作家や優れた作品を発掘する」ことを目的として、一線で活躍する演劇の作り手が戯曲を読み込んで検討する北海道戯曲賞の審査と、観客が1カ月間に渡って1回ずつ作品を観劇して「面白かったものを選ぶ」TGR大賞審査に、共通点は少ししかない。
単に審査のプロセスから連想して、TGRの特殊性を考えてみたところ…という話だ。
ポイントとなるのは「舞台作品ならほぼなんでもエントリーできるTGR大賞参加作品20〜30から、複数名が話し合いで選ぶ」ということだ。
演劇は「観客の想像力によって完成する」という不完全さを持ち、それゆえかどうか、観る人の趣味嗜好によって激しく評価がわかれる。加えてTGR大賞参加作品は、人形劇や児童劇、コント色の強いもの、ダンスや音楽要素の大きいもの、エンターティメント、抽象性的な現代劇、古典や名作戯曲…と非常にバラエティに富んでおり、異種格闘技の様相がある。上演団体も、商業的な劇団や長年活動してきた団体、即席ユニット、経験の浅い団体、今回限りの住民グループ、と様々だ。
そして、TGR大賞の選考基準として審査員に与えられているのは「自分が面白いと思った作品」ということのみ。
そのため、7名の審査員がそれぞれの面白さランキングで上位5作品を挙げたとき、最大公約数的に多数の支持(5〜7票)を集めるのは、まずは「(一般的な意味での)完成度の高い作品」や「理解がしやすい作品」となる。前者は「わかりやすい破綻や失敗が少ない作品」と言ってもいいかもしれない。
批判を怖れずに書いてみる。
あまりにも性格の異なる20〜30のTGR大賞参加作品から選ばれる最多票グループは、審査員にバイアス(上演団体との関係性や、演劇以外の特定の職や趣味、札幌以外の地域属性の偏りなど)がなければどのような7名で選んでも、ほとんど同じではないか? と私は考えたのだ。
「強い嗜好性のある人や感覚の鋭い人は独自の作品を選ぶけど、それは少数派となり、しっかりとした説得力がないと他の審査員を巻き込むことができない。重く見られている人の意見は尊重される場合もあるが、そういう人は自分だけの意見なら無理強いをせず自説を下げる人でもある。そんなこんなで(複数名で選んだときのTGRの上位グループは)誰が選んでもあまり変わらない」。
これは私と意見を同じくする、あるTGR審査員経験者による説だ。
もちろん、メンバーによって1〜2作品は違うかもしれない。そしてその1作品の違いが、参加している団体にとっては重要だろう。けれど様々に批判され、TGR審査に関わったこと自体を罪のように背負い始めていた私にとっては「この審査方法でなら、上位グループはほとんど一緒に違いない」という考えが大きな慰めとなった。
上位グループがほぼ同じであっても、「どの作品が大賞か」の決定は「誰が審査員で、その人たちは今年はどんな考えを持つ状態なのか」「検討の俎上に上がっている他作品はどのようなものか」が重要となる。その点だけは、TGR大賞も玄人が選ぶ北海道戯曲賞も変わらない(変わるのは賞の「格」と「箔」だ)。
「継続して(北海道戯曲賞の)審査員をやりましたが『受賞するためにはこのような作品を書くべき』という指針を出せるかというと、それは難しい。賞はその年の応募作品のバランスの中で、様々な点を話し合って相対的に決まるもの」(土田英生)
「僕も毎年、いろんな土地で作品を創って刺激を受けて、判断基準はどんどん変わると思うんですよ。自分がいま許せないものがあったり、それが受け入れられるようになったり。他の審査員も、皆さんそうだと思う。そういった審査員同士が集まって、その年の選考基準を、その年に集まった作品の中で作っていくものだと思います」(斎藤歩)
上記コメントからわかる通り、受賞には時の運も必要なのだ。
また審査員の一人である前田司郎(五反田団主宰)は、『北海道戯曲賞 平成29年度受賞作品集』に寄せた講評で次のように書いている。
「〜僕は批評家でも評論家でもなく作家なので、自分の基準でしか見れないのでこれまでもそうしてきたし、今年もそうした。」
前田は過去の北海道戯曲賞関連イベントのトークでも、「自分の嗜好でしか判断できない」「違う人、違う審査でなら評価されるかもしれない」「受賞しなかった皆さんの作品がダメだということではない」と繰り返し発言していた。
だが、いま前田司郎が嗜好で受賞作品を選んだとして、公に文句を発信する演劇人が北海道にいるだろうか? いたとしても追従者は出ないだろう。
TGR審査員は「観客として面白いと思うものを選んでください」と主催者に言われている。それでも批判を受けるのは、審査員の箔と格の問題だろうか。あるいは観客にすぎない審査員の声には「観させていただいた」という謙虚さがもっと必要ということだろうか。
TGRに参加しないことを決めている札幌の演劇人の中には、「野田秀樹の講評なら聞いてもいいが」と仰っている方がいる。であればなぜ、野田秀樹に観てもらえるところで上演しないのだろう。
私は、札幌で上演される作品は、札幌の観客に観てほしいからここで上演されるのだと思っていた。
TGR大賞は、札幌で演劇を観ている人たちの声によって選ばれるのだと、そう思っていた。講評せよと言われたのは、「その声を作り手たちが聞くことになんらかの意味があるのでは」と主催者が考えたからだ、と。
前田司郎は上記作品集の講評を次のような言葉で締めくくっている。
「〜僕は常々、『お前ら審査員なんかより俺の方が面白い』と思って審査を受けてきたから皆さんもそうであると思うし、だからこんな選評はすぐ火にくべてしまえ。」
時間をかけて作ったものを否定されたときの発火するような思い、それを「エネルギーにせよ、諦めるな」という、同じ戯曲家として応募者の気持ちに寄り添った、とても温かいエールだと感じる。
2018年のTGRは、引き続き公開審査はなし。審査員は授賞式でコメントするに留め、HPへの講評掲載は札幌劇場連絡会の名前で出す方向で準備が進んでいるそうだ。
講評は優れた戯曲家にとっても気を遣う難しいものだし、トラブルになっているのは「素人による講評」なのだから、この判断はそれなりに正しいと思う。
審査方法がどうであれ、どこの劇団がどんな形で受賞するのであれ、観客の側のTGRの楽しみに影響はない。
私は観客として、これからもTGRに多くの団体が参加し、賞を目指して気合いの入った作品・新しい挑戦のある作品を上演して楽しませてくれることを、心から願っている。
けれど審査員を経験した立場としては、TGR2016以降は批判を入れる形で審査方法が変更されてきたという結果だけをみると、「ではあり方として間違っていたのは、私たちの拙い声のほうなのか。3年間多くの時間を割いてやったことはなんだったのだろう」と虚しくも思える。また札幌観劇人の語り場の運営に関わってきた身としては「素人の稚拙な感想に意味はない」と札幌の劇場関係者と演劇人に突き付けられたようにも勘ぐられて、「なるべく多くを観て書こう」という意欲は失ってしまった。
だがしかし。
改めて考えてみれば、観客が書く演劇作品の感想など、演劇人にとってはそもそもが余計なお世話に過ぎないのだ。作品について語ることは、演劇人とは関わりのない観客の側の遊び。多くの声に翻弄される中で忘れていたそのことを、私は某劇団のマネジメントに携わる方からの指摘でつい先日、思い出したところだ。
この2回に渡ったコラムには「明日のために植える林檎」という統一タイトルが付いている。
それは今回書きたかったことがTGR審査と講評に留まらず「札幌で演劇作品について書くこと」であり、札幌観劇人の語り場(以下、語り場)の意味についてだったからだ。
私は観客ではなく演劇人に説明するときには「語り場は来るかもしれない明日のために植える林檎の木だ」と伝えてきた。
作品についての感想が、今の札幌演劇人や劇場関係者にとっては無用のものであっても、観客が自由に感想を書いて楽しむ文化と感想のアーカイブは、3年後か5年後かもっと先か、札幌で魅力ある演劇作品が今よりもっと多く作られるようになる未来があるならその過程で、誰かが享受する果実を持ち得るはずだ。
札幌演劇のヘヴィな観客は3〜5年周期で入れ替わる傾向にある。語り場は「札幌の演劇作品が十分に観客を魅了するなら」、現れるはずの複数の書き手(観客)によって機能(感想投稿とアーカイブ)が担われていくよう、省力化されたプラットフォームへと整備が進んでいる。
だが継続には、新たな書き手となる観客にサイトの存在を伝えるなどの点で「劇場や札幌の演劇人たちのほんの少しの協力」が必要でもある。それは得られるのかどうか。
5月1日、語り場には「公演情報」欄が追加された。「公演を観てほしい」と思う団体が自ら情報を入力することにより、上演予定の作品がサイトに掲載され、上演後に投稿された感想とともにアーカイブされるシステムだ。
この試みが上手くいくかどうかはわからないが、札幌演劇に関わる多くの人が互いに少しの負担をすることで、全体の未来のための記録が集積できれば素敵だと思う。
岩﨑真紀(いわさき・まき)
情報誌・広報誌の制作などに携わるフリーランスのライター・編集者。特に農業分野に強い。来道した劇作家・演出家への取材をきっかけに、北海道で上演される舞台に興味を持つ。TGR札幌劇場祭2014~2016年審査員、シアターZOO企画・提携公演【Re:Z】2015~2016年度幹事。サンピアザ劇場神谷演劇賞2017年度審査員。