歩いてみたら、出会えた、見つけた。

世界にひとつだけ

魚皮をなめすホーチャ族の絵

シベリアの大河アムール川流域には、魚の皮で衣服を作る先住民族がいた。
その風習や暮らしが滅びる前に、記憶に残そうと描いた画家の絵48枚。
おそらく、もう二風谷でしか見られない萱野茂コレクションのひとつだ。
矢島あづさ-text 露口啓二-Photo

ホーチャ族の水彩画

中国最少民族の宝もコレクション

二風谷に何度か足を運んだが、「萱野茂さんのおかげで」というフレーズを耳にしない日はなかった。茂さんはアイヌの民具や言葉を集め、金田一京助のユカ研究を手伝いながら、アイヌ語の復活を心底願っていた。アイヌの伝統文化に興味を持つ人が、世界各国からやってくるこの地で、国籍はもちろん、学生から新聞記者、研究者、政治家まで分け隔てなく、アイヌプリ(アイヌの風習)の精神でもてなし、接する人物だった。

1972年、約2000点のアイヌ民具を所蔵する「アイヌ文化資料館」を開館。その貴重な民具や資料をもとに、やがて町立の「二風谷アイヌ文化博物館」が誕生した。茂さんのコレクションは、そこでとどまらない。新たなアイヌ民具や世界の先住民族・少数民族にも視野を広げ、旧資料館は「萱野茂二風谷アイヌ資料館」に生まれ変わった。

昨年、ドイツ在住の魚革職人A・P・ドンカーンさんが二風谷を訪れたとき、「ここには、魚の皮をなめす私のルーツ、ナーナイ族にとって宝物のような絵がある」と案内してくれた。シベリアの大河アムール川流域には、魚皮加工文化を持つ先住民族が暮らしてきた歴史があり、川を挟んでロシア側はナーナイ族、中国側はホーチャ族と呼ばれていた。現在、その血筋は残っていても、昔ながらの魚の皮をなめす技術は途絶えつつある。

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萱野茂二風谷アイヌ資料館2階に展示されているホーチャ族の水彩画や衣装

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黒龍江にいる世界最大の淡水魚でチョウザメの仲間、鰉魚(ホアンイユ)のはく製

ホーチャ族の風習や暮らしを読み取る

資料館2階の中心に展示されていたのは、中国ホーチャ族の画家、尤永貴(ユー・ヨンコイ/1912~1991)が、1966年から始まった文化大革命以前に、松花江・黒龍江・ウスリー河に暮らしていたホーチャ族のようすを描いた48点の水彩画。

中国にも残っていない貴重なその絵を見た瞬間、2011年にユネスコの「世界記憶遺産」に登録された、山本作兵衛が描いた炭鉱(ヤマ)に生きる人々の記録のような絵を思い出した。冠婚葬祭の儀式、狩猟や漁の仕方、衣服や生活道具に施した模様まで細やかに描かれており、肌に染みついたような生活の匂い、生き抜くための緊張感が伝わってくる。
説明ボードには、絵の裏に書かれていた中国語を訳し、アイヌ文化との共通点や違いも添えられ、なかなか興味深い。「春はアカハラ(ウグイ)、秋はサケ、夏と冬はチョウザメ漁をして…ほら、こんな風に魚の皮をなめして洋服を作っていたんだ」「病気はシャーマンが治した。ここにも、そこにも、神様がいる」「この寝袋のようなものは捌いたばかりの動物の皮。翌朝起きる頃には堅くなるので、中からナイフで開けるんだよ」「シカを仕留めるときは、シカに扮する。だから、毛皮をかぶって猟をしたんだ」「ホーチャ族は長い髭を生やさないといわれていたけれど、この絵には髭がある」など、ドンカーンさんはその一枚一枚から民族の風習を読み取り、先祖の暮らしぶりを語るように熱っぽく解説してくれた。

 

「萱野茂の右手」のエピソード

1955年、シベリアのトゥングスカ村で生まれたドンカーンさんは、両親の顔を知らずに育つ。ハバロフスクの大学で美術を学び、ナーナイの偶像彫刻に出合い、自らのルーツと伝統文化に目覚める。初めて茂さんと出会ったのは24年前。当時、ウラジオストクで彫刻家として活動し、日本でも展覧会を開いていた。昔から「顔つきがアイヌに似ている」といわれ、サハリンだけでなく、日本にもアイヌがいることを知り興味を持った。

茂さんのおかげで二風谷でも展覧会を開くことができ、世話になったお礼にと制作した彫刻「萱野茂の右手」が、現在も資料館に展示されている。茂さんは子どもの頃、草を切る道具「押し切り」で右手人差し指の第一関節から上を切り落としてしまった。その欠けた人差し指も再現されており、「手がもう1本増えたら、もっと仕事ができるだろう」とプレゼントされたものだ。

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ドンカーンが制作した「萱野茂の右手」

海外で気づいたアイヌ語の大切さ

館長を継ぐ萱野志朗さんは「父がアイヌの口承文芸であるウウェペケ(民話)やカムイユカ(神謡)を録音して、熱心に伝承しようとする姿を見てきたけれど、当時、アイヌ語がそれほど重要な言葉だと感じていなかった」と告白する。その意識が変わったのは、1987年、カナダの先住民族クワクワカワクと交流するため、バンクーバー島の北側にあるアラートベイを訪問してからだ。

クワクワカワク族には、財産を分け与える伝統儀式ポットラッチを2週間~1カ月かけて行う風習があった。ところが、法律で禁止され、儀式に使う衣装も道具もすべて没収されてしまった。研修で訪れたのは、その儀式を行う権利と民具を取り戻す運動を盛んに行っている最中だった。カナダにもクワクワカワク語という民族独自の言葉があったのに、いつしか日常会話は英語になった。「当時のアラートベイでは母語話者が85歳。父は61歳でアイヌ語母語話者の最年少だったので、アイヌの方がまだ希望があると感じた。そのとき、初めてアイヌ語の大切さに気がついた」と志朗さんは振り返る。

今年度から、町立二風谷小学校では「アイヌ語の授業」を年間10回、カリキュラムに組み込まれることになった。茂さんは、神の国で喜んでくれているだろうか。

●萱野茂二風谷アイヌ資料館
アイヌ民族研究家で参議院議員だった萱野茂の個人コレクションを展示。アイヌ民族関係の所蔵品だけでなく、世界各地の先住・少数民族の生活・工芸資料も数多く陳列されている。敷地内にある「二風谷子ども図書館」では、大人のためのアイヌ語教室が月2回開かれている。
北海道沙流郡平取町二風谷79-4 TEL:01457-2-3215
WEBサイト

もっと深く知りたいあなたに読んでほしい
『アイヌの碑』萱野茂著 朝日新聞社
『萱野茂の生涯─アイヌの魂と文化を求めて─』萱野れい子著 農山漁村文化協会
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