海外の研究者も注目するアイヌコタン
北海道の先住民族であるアイヌの文化を調査するために、平取町には、海外からも多くの研究者が訪れている。日高山脈を源に太平洋へと流れる沙流川流域には、アイヌにかかわる遺跡・史跡・伝説の地が数多く残っているからだ。中でも二風谷地区は、アイヌの伝統を色濃く受け継ぐ地域。工芸・民芸や民族舞踊、アイヌ語などを継承しながら文化活動を活発に行っており、海外の先住民族・少数民族との交流も深い。
また、古くからヨーロッパ人の足跡が残るまちでもある。たとえば、1878(明治11)年に、英国人の女性旅行家イザベラ・バードが訪れ、アイヌの暮らしぶりを精細に記録した。開国前、オランダ人に成りすまし、日本地図を海外に持ち出そうとして国外追放処分となったドイツの博物学者フィリップ・シーボルトの息子、ハインリッヒ・シーボルトも考古学者として平取を訪れており、旅の途中にイザベラ・バードと情報交換している。
平取の歴史に深く関わった英国人といえば、1879(明治12)年に訪れた宣教師ジョン・バチェラーが名高い。彼はこの地の人々とふれあう中でキリスト教の伝道を決意し、後に教会や幼稚園を設立した。バチェラーの導きで私塾を開いたブライアント女史は女性や児童の教育に尽くし、考古学・人類学者のマンロー博士はアイヌ研究のかたわら医者として奉仕活動を続けた。
ブランド力のある農業、畜産、軽種馬生産地
農業の創始は明らかではないが、沙流川・額平川流域では、和人が入植する明治以前からアイヌがヒエ・アワ・豆などの雑穀類を栽培していたことがわかっている。川が氾濫した後、あちこちに砂や泥がたまり、川洲ができる。それを「ピクタ(洲)トイ(畑)」と呼び、雑穀類の種をまく農法があったのだ。
仙台藩士による農業開拓が始まったのは1870(明治3)年である。大豆、小豆、ソバが主な作物、大正に入り稲作が本格化し、現在は日高一の米どころだ。畑作も盛んで、特に道内一の生産量を誇るトマトが名高い。100ha以上のハウス栽培は、道内の大玉トマト4割近くに当たる面積。冬場はそのハウスを利用して、糖度8度以上の甘みがある寒締めほうれん草が栽培され、評判を呼んでいる。
また、宿主別区域には312.5haに及ぶ町有牧場があり、北海道のブランド黒毛和牛「びらとり和牛」が放牧され、全国に出荷されている。肉牛の最高ランク「A5」に格付けされることが多く、軟らかく、味の濃い肉として人気が高い。生産戸数わずか4戸だが、黒豚などの養豚も行われている。積雪が少なく、丘陵地帯に恵まれているため、冬期間の放牧にも都合がよく、軽種馬生産の歴史も長い。
北海道で唯一選定された「重要文化的景観」
2007(平成19)年、平取町の「アイヌの伝統と近代開拓による沙流川流域の文化的景観」は全国で3番目に(北海道で唯一)重要文化的景観に選定された。
北海道で初めて伝統工芸品に指定された「二風谷イタ」「二風谷アットゥシ」
2013(平成25)年、平取町二風谷の工芸品「二風谷イタ」(木製のお盆)と「二風谷アットゥシ」(樹皮の反物)が、北海道で初めて経済産業省の伝統的工芸品に指定された。
『アイヌの歴史 海と宝のノマド』瀬川拓郎著 講談社選書メチエ
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