色あせた日除けシェード、扉のペンキは剥げ落ち、看板もサビついている。その日光や雨風にさらされた愛着のような風合いは、どこか男の勲章にも見える。ラジオからはボブ・ディランの歌が聴こえ、エンジンオイルと汗の匂いが漂ってきそうだ。女性が描く可愛いドールハウスとは一線を画したくて、作家の杉山武司さんは「男のドォルハウス」と名付けた。夕暮れ時が似合うような、どこか懐かしい世界ではあるけれど、昭和レトロではない。「僕が描いているのは、60~70年代のアメリカのような、日本のような、北海道のような感じ。子どものころから旧型の車とバイクのプラモデルが好きで、基本的にそれに絡めたガレージやカフェしか作らない」という。昭和30年代、歌志内市に存在した消防署も「馬具カフェ」として、日本一終発の早い札沼線の新十津川駅舎も「駅カフェ」として表現されている。
ドールハウスの一般的な基準は縮尺12分の1。「女性の場合、食べ物や食器などの小物を粘土で作るのは得意だけれど、建物のリアルなスケール感にこだわる人は少ない。僕は建物にリアル感を求める。もともと建材店の息子なので、家の寸法がなんとなく頭の中に入っているんですよ。写真を見ただけで、寸法が想像できるので、図面なしでも作れる」という。材料も一般的なドールハウスで使われるスチレンボードではなく、実際の建築資材である胴縁や貫などの材を骨組みに選び、外壁も木材で仕上げる。
死角になるような場所にも手抜きせず、埃っぽさや手垢さえも表現してしまうのが杉山流。添える車やバイクもサビや埃で汚すことを忘れない。照明をつけると、作品にもう一つの時間が生まれる。「上げ下げ窓やドアなども開け閉めできるように作るので、建具一つ作るのに7~10日はかかる。新十津川駅舎をモデルにしたカフェは完成まで半年かけたかな。予算を最初に設定されると、もっと手をかけたらよくなるのに…というところで諦めなければならないので辛い」と笑う。
親から継いだ建材店を閉め、妻と一緒に沖縄へ飛んだのは39歳の時だった。半年もしないうちに、東京の日本橋の近くで暮らし始めた。ちょうど秋葉原が電化製品からフィギュアのまちに生まれ変わっていく時代だ。日本橋茅場町に2坪ほどのフィギュア専門店を開き、オマケ用の玩具などを中心に販売した。ある日、日本でも数少ない立体画家・芳賀一洋(はが・いちよう)の作品と出合う。石巻市の石ノ森萬画館に展示されている「トキワ荘」の模型や倉本總の「北の国から」に登場した「石の家」の模型を手掛けた作家だ。杉山さんは衝撃を受けた。「これほどリアルな模型の世界があるのか。それで生活している人がいるのか」と。自分もミニチュアの世界で食べていこうと決心し、模型教室に通い、芳賀のアシスタントとしてニューヨーク個展にも同行した。
10年前、滝川に戻るきっかけは、義母の老後の心配だった。しかし、東京では難しかった制作活動に集中できる「杉山アトリエ」を建てたのは、作家としての決意もあった。1階は採光たっぷりの作業場、工具部屋、住居スペースに分かれ、どことなく作品の独特な世界観が随所に見られる。屋根裏の隠し部屋のような2階に上がると、突然、笑いが止まらなくなった。同じ年代を過ごした者にとって、まさにツボにはまるキャラクターやグッズがおもちゃ箱をひっくり返したように存在するのだ。
「だるまストーブのサビ具合、こんな感じだった」「ゴミ袋を置いたからにはカラスが必要でしょ」「馬具カフェには、やっぱりソメスのバッグだよね」と、展示されている作品一つ一つのこだわりを覗き込むだけで、何時間でも楽しめそうだ。
倉本總の昼ドラ「やすらぎの郷」を見ていたら、ちょっと注意深くサロンのシーンをチェックしてほしい。杉山さんの作品「赤いトタン屋根の家」が、石坂浩二や八千草薫、浅丘ルリ子が座るソファの後ろに、さりげなく置かれている。おそらく、撮影現場でもこんな風に人々の気を惹いているに違いない。
杉山武司(すぎやま・たけじ) Profile
1962年 砂川市出身、滝川市で育つ
2002年 立体画家・芳賀一洋氏に師事。翌年、氏のニューヨーク個展に同行
2007年 滝川市に戻り「杉山アトリエ」を開き、本格的な造形活動を開始
2012年 北海道モデラーズエキシビション(HME)に参加
2013年 歌志内市郷土館「ゆめつむぎ」で特別展開催
2014年 「札幌ドールハウス教室」開講
2015年 「ノスタルジックドールハウス展」「ミニチュア・アート2015」開催
2016年 道新文化センター(札幌)「男のドォルハウス教室」開講
2017年 道新文化センター(小樽)「ドールハウス教室」開講