戊辰戦争と文人墨客(ぶんじんぼっかく)。

凌雲先生を讃える詩画

写真提供/市立函館博物館

写真提供/市立函館博物館

詩は、幕府の奥医師でのちに陸軍軍医総監を務めた松本良順(1832-1907)。書は、松本の実弟で箱館戦争に加わり、後に外務大臣などを歴任した林董(はやしただす)(1850-1913)。絵は、谷文晁の流れを汲む大沢南谷によるもので、書の部分を雲のように白く抜くなど、巧みな表現が見られる。

高松の4歳上だった松本は、蘭方医学塾(のちの順天堂)の創設者である佐倉藩の佐藤泰然を父にもち、高松同様将軍の侍医をつとめた医師。修業時代は長崎でオランダの軍医ポンペから医学や蘭学を学んだ。戊辰戦争では奥羽越列藩同盟軍の軍医となり、会津城内で戦傷病者の治療にあたった。戦後は禁固の身となったが、近代国家建設に不可欠な人物として釈放され、大日本帝国陸軍の初代軍医総監、貴族院勅撰議員などを務めた。

実弟の林董は、幕府派遣の英国留学を終えて帰国。ほどなくして江戸から北へ向かう榎本艦隊と行動をともにし、旧幕府軍降伏のあとは謹慎生活をおくる。赦免後は明治政府に出仕し、工部省、香川県、兵庫県知事などを歴任。近代国家樹立のために1年10カ月にわたって百名以上が欧米を視察するプロジェクト、岩倉使節団にも加わった。そののち駐露公使、駐英公使となり、日英同盟の締結に尽力した。

谷口雅春-text

この記事をシェアする
感想をメールする