モノづくりには、地域を拡張していく力がある。

馬具の作り手としてスタートしたエルメス社やグッチ社の成功の歩みは、「旅と移動」をめぐる文明の進展を追い風にしたものだった。鞄でいえばルイ・ヴィトン社も同様だ。大衆が旅人となる近代という時代に導かれるように、人々は旅の道具にはじまりファッションから生活具にいたるまで、より軽く丈夫で、上質な道具を求め続けた。そのことがモノをいっそう洗練させた。時代の生活モードによって、モノづくりの底流が変わっていく。

では北海道のモノづくりの底流は、どこをどのように流れてきただろうか。
明治期に本州方面から北海道への移住を決断した開拓者たちは、南とはまるで違う未知の大自然と戦いながら、自分たちの居場所を必死に拓いた。それは特段に過酷な「旅と移動」だ。先住アイヌの人々の知恵や助けを借りたことは言うまでもないが、とりわけ開拓期の北海道を想像すれば、個人のレベルにとってモノは、消費する前にまず作り出さなければならなかった。そもそもそれが人間の本来の姿なんだ、ということが自然に腑に落ちるかもしれない。
思想家イヴァン・イリイチは、自らが主体的に道具を用いて必要なモノをつくりだしてこそ、人間はこの世界を理解して自然と共存することができる、と主張した。自分が暮らす風土の中から素材を見いだし、新たなモノを作り出し、時代とともに作り替えていく。人間の幸福も、その過程にあるのだ、と。

風土と歴史の上に立ちながら、そこで繰り広げられる人間活動のすべてを営みと呼べば、営みはモノとして表現されるだろう。そしてモノによって、仕事や食や遊び、祝祭など、土地ならではのコトが生み出されていく。
モノを作ることが完全に分業化されて、世界中が均質なモノでとうに満たされた21世紀。小規模でも地域に根ざしたモノづくりに取り組むことには、だからこそ特別な意味があるはずだ。デザインとは、モノを作り出していくための思考の枠組みであり、モノづくりは地域に、新たな磁場や物語をもたらすのにちがいないからだ。
土地のチカラと、それを活かすヒトがつながって生まれたモノには、どんな魅力や価値があるだろう。地のチカラによって多様なプロジェクトを展開したり、その成果を地域の外に果敢に広げていく運動の現場からは、どんなことが見えるだろうか。
地のチカラをモノにする人々と、そうして生まれているモノたちの魅力を掘りさげてみたい。

谷口雅春─text
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