——上川町も下川町も「外」とつながることでまちを活性化させているように感じるのですが、意識して取り組まれたことはありますか?
佐藤 上川の産業はやはり観光中心ですが、近年は層雲峡だけでは厳しくなるといわれてきました。そこで新しい観光や交流の空間として手がけたのが「大雪森のガーデン」です。大雪山系を一望できる旭ヶ丘エリアはもともと写真を撮りに来る人が多かったのですが、来訪者にお金を落としてもらう仕掛けがありませんでした。そこで事業を検討しようとプロジェクトチームを編成しました。ガーデンをメインに食と結びつけて発信しようと考えたのですが、そのためにはやはりメジャーなシェフにあたるべきだと。絶対に無理だろうと思いつつ三國清三さんにアプローチしたところ思いが合致して、協力していただけることになりました。
もちろん不安視する声もありましたが、「なにもしなかったら5年後、このまちがどうなっているか予想がつくでしょう」「新しいことに挑戦する価値はあるんじゃないですか」と説得したんです。
オープン後は旭ヶ丘と層雲峡に人の流れができました。「大雪森のガーデン」内にガラスメーカーのハリオが工房を設けたり、町内に新しい酒蔵「上川大雪酒造」ができたりと、これまでにない動きも続いています。三國シェフが来てくれたことによる雇用創出や経済効果はもちろん、いろんな人とのつながりができたこと、その人脈でまた次の展開が生まれる。そんな新しい風に期待をしています。
谷 私のまちづくりのテーマは「広域的なヒューマンネットワークづくり」「人材育成」「積雪寒冷地の通年型産業」の三つです。
具体的には、下川の森林資源の活用に向けて産業クラスターのシンクタンクをつくり、まずエネルギービジョンを策定しました。いまは公共施設の64%を森林バイオマスの熱供給でまかなえるようになっています。今後はこの自給率を高めていくことと、CO2削減の数値を設定してさらに拡充していきます。
また、産業支援機構という中間組織の中に「タウンプロモーション推進部」をつくり、定住・移住施策、起業家育成、人材登録、マーケットの開拓などを手がけています。おかげで、人材を企業に紹介したり、商品の販売先をコーディネートしたりと広がりが生まれ、町外とのつながりが何倍にも増えました。木工芸クラフトの作家が3人移住して来るなど、今年4月の時点では人口も前年比で41人増えています。
もうひとつは横浜市との提携です。下川町は2011年に環境未来都市に選定されましたが、同様に指定されている横浜市と連携しました。毎年、戸塚区の子どもたちを冬休みにこちらへ呼び、夏休みには向こうへ遊びに行く交流を続けています。これまでの広域連携は隣町や同じ川の流域といった近接エリアの場合がほとんどでしたが、これからはこうしたテーマでつながるコンセプトアライアンスが重視されるようになると考えています。
——逆に内への視点として、町民とのつながりについてはいかがですか?
佐藤 従来型の町政懇談会をやめ「町長とのふれあいトーク」と名づけて、住民の皆さんとざっくばらんに対話できる機会を設けました。子育て中のお母さんのグループや高齢女性の編み物サークルなど、小さな集まりにも出かけます。生の声を聞けますし、地域の課題も浮かび上がってきます。町民との距離感も縮まっていると感じます。
谷 先日は「町長室にようこそ!」と題して中学生を招き、町長席で写真を撮ってプレゼントしたら、とても喜んでくれました。その際、雨が降った後しばらくテニスコートが使えなくなると聞いたので、すぐに改善を手配したら校長先生が驚いたようです。
パークゴルフ協会との懇談も印象的でした。要望を聞いて「ここまではできます」と回答し、「皆さんの力でできることはありませんか」と問いかけると、クラブハウスの清掃や芝の種植えをしていただけるようになりました。協働でやっていく道を探る。会話と懇談はそういうトレーニングにもなると考えています。
佐藤 福祉の分野ではボランティアが根付いていますが、まちづくりの分野では協力体制がまだ不十分です。上川でも老人クラブが旭ヶ丘で自主的にゴミ拾いをしてくれるようになりましたけど、そういう行動を広げていけたらいいと思っています。
谷 社会の役に立ちたいと思っている人は多いので、その力を誘発すればマンパワーを引き出せる。下川では高齢者の団体「元気会」が毎朝の当番表を作って、子どもの交通安全の見守りを続けてくれているんですよ。
佐藤 町外から移住してきた若い人を中心に農業者や観光業者が加わって「まちおこし戦隊カミレンジャー」というグループが組織されています。メンバーは30人くらいでしょうか。独自の視点で観光パンフレットやグッズをつくってくれるなど、非常に頼もしいですよ。行政はなるべく手を出さずサポートに徹したいと思っています。
——スキーのジャンプと麺の文化は両町の代表的な共通項です。
谷 ジャンプの選手の育成では、十数年前から教育委員会に2人の専門職を配置しています。いまジャンプ少年団は20人以上いて、半分近くが女子。ぜひここで力をつけて、トップアスリートとして世界で活躍してほしい。ジャンプ競技を目指す子どもたちが、下川町に憧れて全国から来てくれるような仕組みをつくりたいと思っています。
佐藤 高梨沙羅選手と勢藤優花選手の二人が来年のピョンチャンオリンピックに出場し、まちのPRとともに活躍することを大いに期待しています。麺といえば上川ではラーメンです。「ラーメン日本一の会」ができたときは冷ややかな雰囲気もありました。でも30年続けてくれば定着する。「上川でラーメンが食べたい」という観光客も多いですから、やはり継続が大事ですね。
谷 下川では伊藤有希選手です。ぐんぐんと力を伸ばして、オリンピックの有力なメダル候補です。ジャンプの大会でも、応援の仲間がうどん対ラーメン対決と盛り上がっていますよ。下川のうどんを上川に持って行ったり、逆にラーメンを下川に来てふるまってもらったりしています。寒い時期だから、またうれしいんだよね。ただ、下川名物のうどんは、手延べ麺の会社が後継者不足で13社から9社に数を減らしています。このままでは廃業者も出てくる。いよいよ町が入って支援をしていこうと考えているところです。
——最後に、今後のビジョンについてお聞かせください。
谷 再来年の3月にサンルダムが完成するんですが、まちから3キロと条件がいいので、教育のフィールドにしようと検討中です。子どもたちだけではなく企業にも森を使った滞在型の社員研修をしてもらいたい。いま町営としてホテルを建設中でして、11月にオープンの予定ですが、これから民間事業者を決定し、さまざまなプログラムづくりをしていきます。
佐藤 上川のシンボルという意味ではやはり大雪山です。「大雪山を日本遺産に」という動きもあるんです。世界遺産は保護・保全が目的ですが、日本遺産は地域振興がねらい。大雪山とカムイミンタラに代表されるアイヌ文化の結びつきを中心に周辺市町村と協議しながら提案のとりまとめをしている最中です。
谷 下川は循環型森林経営として、毎年50へクタールの造林と60年ごとの伐採で持続可能な林業経営を目指した取り組みを進めています。日本で初めての取り組みになるので、全国のモデルとなるよう、将来に向けて継続していく考えです。
佐藤 上川町も林業で栄えたまちで、かつては町内に木工所が23軒あったんですが、今は一軒もありません。下川町を見習って、なんとか蘇らせたいなと、7年前から基金を積んで、町有林に隣接している放置林を優先的に購入しながら町有林を2000haに増やそうとしています。森林組合を中心に4社の共同体でチップ工場をつくり、公共施設を中心に利用の可能性を追求しています。
谷 下川の木工場は8社残っていましたが、最近はアロマオイル製造や木工クラフトなど小規模な事業所が13社増えて21社になりました。これらをなんとか維持できるようなサポートをしていきたいと考えています。その資源となる原木も8000立方メートルほど町で供給しています。
佐藤 観光のまちとして「おもてなし」をキャッチフレーズにホスピタリティの向上に取り組み、いまはDMO(観光地経営組織)を立ち上げようと準備中です。観光関連の事業を集約し、効率的な運営ができるようにしたいですね。
もうひとつは、地熱開発です。原発事故をきっかけに環境省の規制が緩和され、国立公園内でも地熱によるエネルギー事業が可能になりました。地熱は安定したエネルギーですし、住民の皆さんにとっては半世紀におよぶ夢でもありますから、できれば残りの任期3年間で道筋をつけたいと考えています。
——本日はありがとうございました。
上川町 佐藤芳治 町長
1949年遠軽町生まれ。1967年に上川町役場に採用され、商工観光課長、議会事務局長を経験後、助役、副町長を経て2008年に上川町長選に立候補し当選。現在3期目。
下川町 谷一之 町長
1955年下川町生まれ。(株)谷組の代表取締役を務めながら長く町議会議員として活動。NPO「日本自治ACADEMY」、北海道地域づくりアドバイザーなど数多くのまちづくりに参画し、2015年5月より現職。