野付半島の先にあった、世界への入り口

(提供:別海町郷土資料館)

国後島を眼前にした根室海峡沿岸の地域は、夏でも冷涼な風が吹いている。しかし歴史的に見れば、大変熱く激しい場所だった。重要な舞台のひとつが野付半島だ。この海峡に突き出た砂の半島から、時代をさかのぼってみよう。
柴田美幸-text 黒瀬ミチオ-photo

海峡に浮かぶ東への門・野付半島

北海道最東端の根室海峡に突き出す日本最大の砂嘴(さし)・野付半島。根室海峡の速い海流によって、長い年月にわたり砂や小石の堆積と海水の侵食を繰り返し、まるで釣り針のような独特の形状を作り上げた。海水の侵食はトドマツやミズナラが立ち枯れたトドワラ、ナラワラの幻想的で荒涼とした風景を生み、東の果ての地という雰囲気を際立たせている。

野付半島の中ほどに広がる「ナラワラ」は、海水の侵食でミズナラが立ち枯れたもの

今も侵食が進む、トドマツが立ち枯れた「トドワラ」。野付半島ネイチャーセンターから散策路が伸びている


目前には、千島列島に連なる国後島が横たわる。その距離は意外と近く、16kmほどしかない。本土の沿岸部で島に最も近い野付半島は、古来、海峡を挟んで向かい合う北海道の本土側と島側の結節点だった。遺跡や残された史料からは、古代末から江戸時代に至るまで、野付半島を経由して人とモノが激しく行き交い、文化を共有していたことが浮かび上がってくる。国後島からさらに東の択捉島、千島列島へとつながり、その先にあるのは背後にロシアの大陸が控えたカムチャツカ半島だ。

野付半島から国後島を望む(写真:伊田行孝)

つまり、野付半島は東に向かって開かれた門であり、広い世界への入り口だった。それは現在の荒涼とした風景から想像もできないほど、歴史の激しい変化にさらされた地だったことを物語っている。そして根室海峡沿岸地域最大の産物である鮭も、時代とともに役割を変えながら、歴史の一端を担っていた。

 

千島列島とつながるメナシの地

野付半島の先端部には、18世紀末の江戸時代の遺跡がある。1799(寛政11)年、国後島への中継点として、幕府によって設置された野付通行屋の跡だ。支配人が常駐し、島へ渡る人々のための宿泊施設や蔵などもあったという。野付半島から北は水深が浅いため、ここで渡海用の舟に乗り替えていたようだ。かつて野付半島の先端部には「キラク」という歓楽街があり遊女などもいた、という言い伝えがあるが、近年の調査から野付通行屋跡と周辺の鰊番屋跡のことではないかと考えられている。

野付通行屋跡は、二股に分かれた先端部のうち湾の内側のほうにある。クルージングの船着き場の向こうに見える鬱蒼と生い茂った草の中にあり、夏は近づくのが難しい

野付半島ネイチャーセンターに展示されている、出土した皿や瓶などの生活用品。こうしたものがキラク伝説につながったのかもしれない。通行屋の通詞だった加賀伝蔵の史料を収めた別海町加賀屋文書館にも展示あり

野付半島の先、国後島と択捉島から千島列島にかけては、古くからアイヌの人々の重要な交易ルートだった。現在の羅臼、標津、別海、根室にあたる根室海峡沿岸の国後島に面した地域一帯は東方を指す「メナシ」と呼ばれており、メナシのアイヌは千島アイヌとのあいだで、松前(和人地)からの漆器や絹布・綿布・鉄鍋などを、千島列島やカムチャツカ半島のラッコ毛皮・鷲羽などと交換していた。
千島側からのラッコ毛皮や鷲羽といった交易品は「軽物(かるもの)」と呼ばれ、和人社会で大変珍重されたため、蝦夷地の交易品が藩の財政を支えていた松前藩にとって重要な品だった。1783(天明3)年に仙台藩藩医の工藤平助によって記された『赤蝦夷風説考』には、「蝦夷の東北の末の海上に千嶋と名付く嶋々大小あり。この嶋つゞきより折々交易する事、昔より有之由」とある。千島からの交易品のなかには「から鮭」(干した鮭)の名も見える。アイヌとの交易の独占権を持っていた松前藩は、商場知行制(あきないばちぎょうせい 上級藩士による交易)によってロシアや北千島の産物を手に入れていた。のちに国後島にも商場としてクナシリ場所を設置している。
その後、場所請負制(ばしょうけおいせい 商人が交易を請け負う)へ変わり、商人に交易を一手に任せるようになると、メナシの地・キイタップ場所とクナシリ場所を請け負った飛騨屋久兵衛は、ニシベツ(現在の本別海)の西別川に大量にのぼる鮭で塩引きを製造。1786(天明6)年、飛騨屋に代わり幕府が試験的に場所経営を行った御試(おためし)交易の際には、5万4000本を作り、船で江戸や松前へ運んだという記録もある。軽物だけでなく、鮭は蝦夷地の産物として重要な交易品だったことがうかがえる。

根室海峡沿岸のサケとマスはブランド化されていたことがわかる、特徴や味などについて解説した「鱒形図拾壱(11)品・鮭形図四品」の部分。特に西別川の鮭は1800(寛政12)年から幕府への献上鮭となる。「ニシベツ鮭」(左から2番目)は「鼻先から尾まで二尺三寸(70cm以上)を丈木(じょうぎ)として、御献上となるなり」とある。(加賀家文書館 所蔵)

古文書の記述から再現した原寸大の献上鮭の箱。底に水抜きの板を入れて笹を敷き、塩を詰めて船で運んだ(加賀家文書館 所蔵)

しかし1789(寛政元)年、飛騨屋の場所の支配人らによる暴力など非道な扱いを受けていたアイヌの人々が蜂起し「クナシリ・メナシの戦い」が起こった。背景には、鮭のしめ粕づくりという重労働を強制的に課せられ、冬の保存食である干鮭(からざけ)などがつくれず、アイヌ自身の暮らしがままならなくなったことがある。交易の媒介者から一介の労働者へ。鮭をめぐる出来事からは、徐々に立場を変えられていったアイヌの人々の姿が見えてくる。

 

千島列島の開発と野付通行屋

18世紀末は、メナシの地にとって激動の時代といえるだろう。千島列島ではラッコ毛皮を求めてロシアが南下を始め、北千島のアイヌの人々のロシア化が進んでいた。外国船が頻繁に蝦夷地へ来航することにも危機感を覚えた幕府は、1799(寛政11)年から7年間、東蝦夷地(太平洋側)を直轄。幕府の直接経営で交易を行うと同時に、千島列島の開発を図り択捉島までを領土とした。野付半島に通行屋が設置されたのは、まさにこの時だ。根室海峡沿岸は、蝦夷地本土における対ロシアの最前線であり、野付半島は千島列島への足がかりとなった。
前年の1798(寛政10)年、大規模な蝦夷地調査で訪れた役人の近藤重蔵は、千島列島調査の際、択捉島に「大日本恵登呂府(エトロフ)」の標柱を建て領土であることを宣言する。その帰り、野付に宿泊したことが従者の日記からわかっている。1800(寛政12)年、重蔵は蝦夷取締役御用としてエトロフ掛(がかり)を命ぜられると、千島列島を念入りに調査し地図を作成した。
「蝦夷地図式 乾(けん)坤(こん)」は、、蝦夷地、サハリン、千島列島、カムチャツカ半島までの地名が記された地図だ。先に描いていた千島列島部分を元に、1802(享和2)年に2枚組として作製された。現在、北海道博物館の特別展「アイヌ語地名と北海道」で公開中。北海道初公開なので必見である(入れ替えのため、前期の8月25日(日)まで)。北千島のラショワ島アイヌから情報を得たという千島の島々の詳細さには目を見張る。
また、廻船業者の高田屋嘉兵衛とともに国後島との間の択捉航路を開発。その後高田屋嘉兵衛は択捉島に漁場を開き、根室、国後、択捉を拠点とする場所請負人となった。

時代はくだって1858(安政5)年、6度目の蝦夷地踏査を行っていた北方探検家・松浦武四郎が野付通行屋を訪れている。当時、通詞(アイヌ語通訳)として在住していた加賀伝蔵を高く評価し、江戸に戻ってからも自身の著書や地図を贈るなど交流が続いていた。そして著書を贈りつつ「鮭の筋子を今年も一樽送ってほしい」と手紙で懇願している。西別川など根室海峡沿岸の鮭の価値をよく知っていた、武四郎ならではのエピソードといえる。

1861(文久元)年8月22日付で松浦武四郎から加賀伝蔵に送られた手紙。真ん中の下あたりに「鮭のすゞ子(筋子)一樽」の文字が見える(加賀家文書館 所蔵)

野付半島は、交易の入り口から防衛と開発の入り口へと変化しながら、海峡をへだてた“向こう側”へ絶えず人々を導いてきた。こうした野付半島の役割は、古代北方文化の時代から連綿と続いてきたことがわかっている。海峡を越えて人々を動かしたのは、鮭だった。

北海道博物館 第5回特別展「アイヌ語地名と北海道」

開催期間:2019年9月23日(月・祝)まで
[前期:〜 8月25日(日) 後期:8月27日(火)〜 9月23日(月・祝)]
観覧時間:9:30〜17:00(入場は16:30まで)
休館日:月曜(8/12、9/16、9/23は開館し、翌日休館)
特別展観覧料:一般1,000円、高校・大学生350円、中学生以下・65歳以上無料
WEBサイト


野付半島ネイチャーセンター
北海道野付郡別海町野付63番地
TEL:0153-82-1270
開館時間:4月~10月 9:00~17:00、11月~3月 9:00~16:00
休館日:12/30~1/5
http://notsuke.jp
※先端部方面へ車で行くにはネイチャーセンターで許可証が必要。野付通行屋遺跡への夏の立ち入りは困難。毎年4月初旬に別海町郷土資料館主催の見学ツアーあり。


別海町郷土資料館・加賀家文書館
北海道野付郡別海宮舞町29番地
TEL:0153-75-2473
入場料:(両館共通)一般300円、高校生以下無料
営業時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
定休日:第2・第4月曜、第1・第3・第5土曜、祝日、12/26~1/6
WEBサイト

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