プロローグ

日本の朝とつながる根室海峡

日本の最東北の根室海峡は、はるか昔から世界への玄関口でした。豊かな自然資源を求めて多くの人々が海を渡り、島々を伝ってやってきたのです。中でも鮭は人々を魅了してきました。この地は鮭に笑い、鮭に泣いた人々の歴史と文化、そして誇りがあふれた「鮭の聖地」です。

2019/07/24

野付半島の先にあった、世界への入り口

国後島を眼前にした根室海峡沿岸の地域は、夏でも冷涼な風が吹いている。しかし歴史的に見れば、大変熱く激しい場所だった。重要な舞台のひとつが野付半島だ。この海峡に突き出た砂の半島から、時代をさかのぼってみよう。

2019/07/24

鮭でつながり合う北方古代文化の人々

秋に遡上する鮭を求めて、人々は1万年前から標津の地へ集まり、ひとつの文化圏を築いた。トビニタイ文化という地域性豊かな北方古代文化が花開いた背景にも、鮭を媒介にした人々の動きが関わっている。それを教えてくれるのが、無数に残された竪穴住居跡だ。

2019/07/31

メナシの地で、会津藩士が灯した産業の光

標津の由来はアイヌ語で「シベツ 鮭のたくさんいるところ(あるいは、大きな川)」を意味するとされている。幕末に標津を領地とした会津藩は、川をのぼる大量の鮭を資源とし、地域の開発に取り組んだ。屏風絵に描かれた鮭と人々の風景は、現在の「鮭のまち」の原点である。

2019/08/07

海に、大地に、人々の挑戦は続く

日本が世界に肩を並べようと邁進した明治時代、根室海峡沿岸は「日本の東門」として発展と安定が求められた。しかし、天然の鮭に頼った漁業は次第に資源が枯渇。沿岸部では、漁師が副業に畜産を行う半農半漁の暮らしがみられ、内陸部では新しい農業が幕を開ける。

2019/08/21

いまも鮭は暮らしとともに

昭和40年代、人工ふ化事業がついに実を結び、長く不漁が続いていた鮭漁は驚異的な漁獲量を更新。かつての高級魚は日本の食卓に欠かせない食材の一つとなった。縄文時代から鮭とともに暮らす根室海峡沿岸のまちで、いま人々は鮭とどう向き合っているのだろう。

2019/08/28

「鮭の聖地」を学ぶ7つの場所へ

「鮭の聖地」の物語を知ったなら、今度はその舞台を訪れてみたい。根室海峡沿岸に点在する関連文化施設では、1万年にわたる物語をさまざまな角度から伝えるモノたちが待っている。7つのスポットから、私たちを魅了し続ける鮭の世界へ、飛び込んでみよう。

2019/09/11

学芸員の「根室海峡エピソード」コラム

幻のまちキラク

野付半島にまつわる伝説として有名な「幻のまちキラク」。昭和39(1964)年に行われた北海道大学探検部の野付半島調査報告書にも記載があり、地元の人々の間では古くから言い伝えられていた。

2019/09/04

標津線関連資産群

標津線は昭和12年の全線開通以降、資材を運び、戦後の緊急開拓者やパイロットファームへの入植者を迎えた。昭和40年代には知床を含む道東観光ブームで多くの人々を乗せて走りもした。しかし、56年間にわたって支えた原野開拓の役割を平成元年4月29日、静かに終えた。

2019/09/04

ニシベツ献上鮭

摩周湖を水源とする西別川。ニシベツの語源はアイヌ語で豊漁川を意味し、鮭の上る川として昔から知られていた。寛政12年、西別川の塩鮭を将軍に献上してから幕末まで続けられた。その製造手順も厳しく定められていたようだ。

2019/09/11

タブ山チャシ跡

チャシはコタン共有の神聖な場所として築かれたのがはじまりとされ、時代と共に様々な役割を果たしてきた。タブ山チャシ跡からは、根室海峡北部一帯を一望でき、この視界の範囲で日本列島北方史上重要な数々の事件が起きている。

2019/09/11

開拓使別海缶詰所物語

1878年、開拓使は外貨の獲得と北海道の定住者増加を目指し、別海村の西別川河口に五稜星を掲げた缶詰工場を設置した。日清・日露戦争後、兵士たちを通じて缶詰のよさが国民に広まり、缶詰業は根室地方繁栄の屋台骨となっていく。

2019/09/18

サイドストーリー: メナシへの遙かなまなざし

帝国を猛進させたもの

日本列島の北東に位置する北海道東部は、「中央」から見れば最北東だろう。しかしそこはかつて千島列島への入り口であったし、現在も、ユーラシア大陸の最北東部を考えるための足場となる。17世紀のロシア帝国の探検史から、メナシ(東)をめぐる旅をはじめよう。

2019/09/04

メナシへの遙かなまなざし -2

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2019/09/18

メナシへの遙かなまなざし -3

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2019/10/02

メナシへの遙かなまなざし -4

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2019/10/16

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