路と未知のまち

北海道江別市―札幌に隣接し、札幌駅から野幌駅までは列車で20分ほど。新千歳空港までは車で約1時間。石狩川と千歳川が合流し、札幌との境には野幌森林公園が広がる。人口は11万8000人弱で、石狩振興局管内では札幌に次ぐ規模を誇る。市内に4つの大学と一つの短期大学を擁し、およそ1万人の学生が学ぶ研究学園都市―。

概要を見るだけで、都市機能と自然が融合した環境、交通利便性も高く、子育てを含めた生活環境が整った暮らしやすそうなまちだと感じます。実際、江別を札幌のベッドタウンとして認識している人は多いのではないでしょうか。でも、それは江別の一面に過ぎません。知れば知るほど多様で面白い歴史と顔が浮かび上がってきます。

野幌駅の北側は明治18年に置かれた「野幌兵村」の屯田兵によって拓かれ、南側は明治19年に設立された北越殖民社の入植による農地開墾と街並み形成が今に続くベースになっています。
南北を分かつ線路は明治22年に幌内鉄道の駅として野幌駅が開業し、この鉄路によって明治30年以降には野幌の土から生産される煉瓦が札幌や小樽、また空知の炭鉱地域へと運ばれ、北海道の、そして日本の近代化に貢献してきました。
石狩川と千歳川の合流地点近くには「港」が設けられ、江別駅からの人車軌道や石狩川で運ばれてきた様々な物資が月形の集治監などへと送られ、北海道の内陸開拓に大きな役割を果たしました。大人気漫画『ゴールデンカムイ』にも、舟運に活躍した外輪船「上川丸」が登場しています。
江別は道路・鉄路・水路といった「路(みち)」の拠点のまちでした。
江別の鉄路は現在、函館本線だけですが、かつては多くの線路が縦横に敷かれていました。
引き込み線と呼ばれるのは北電の火力発電所専用線と王子製紙江別工場専用線。また野幌駅からは夕張鉄道が発着していました。江別と当別をつなぐ「江当軌道」もありました。さらに加えるならば、実現はしませんでしたが江別と札幌の三越前をつなぐ私鉄「札幌急行鉄道」の計画もありました。
ほかには「滑走路」も。大戦末期、物資が枯渇する中で木製の戦闘機が設計され、江別で製造されました。その木製戦闘機が飛び立つための滑走路です。ただし、耐久性の問題から、製造されたのはわずか3機といわれています。馬の「走路」でもある競馬場もありました。

こう書くと、かつての江別はすごかった…と思うかもしれませんが、大学生たちの活気や豊かな農業とそこから生まれる美味しい食、レンガに代表されるモノづくりなど、今も元気のタネが集まっているまちなのです。
ゆっくりと「路」を歩き、このまちの「未知」を知れば、江別の多面的な魅力が浮き上がってくるはずです。

伊田行孝─text&photo
ENGLISH