矢島あづさ-text & Illustration

vol.6   ニッカウヰスキー余市蒸溜所 【余市町】

ニシンとリンゴを両肩にのせた竹鶴。

ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝が、本格的なウイスキーづくりをめざして
余市に蒸溜所を建てたのは1934(昭和9)年のこと。
スコットランドで学んだすべてを実現できる地として、なぜ余市を選んだのか。
地元の漁民や農民が、竹鶴をなぜ受け入れたのか。
その地を歩いてみれば、もうひとつの物語が見えてくる。

その地は、地元の人々が埋め立てた沼地だった

上野から青森まで20時間、連絡船で一夜を明かし、函館から余市まで13時間。竹鶴政孝が国産ウイスキーづくりの理想郷と信じ、北海道の余市を訪れたのは1934(昭和9)年4月。ニシンの群来(くき)を告げるカモメが沖合に乱舞するどんよりとした曇り空だった。

北の商都として栄えていた小樽から西に20km、積丹半島の付け根にある余市は、湿度の高い日本海沿岸にある。ウイスキーは蒸溜後、最低でも数年間は樽に詰めて熟成させなければならない。長期貯蔵にふさわしい冷涼な気候、揮発を防ぐほどよい湿度、独特な香りを生み出すピート(草炭)、その草炭層を通り抜けた湧き水に恵まれた余市は、スコットランドに似た好条件をすべて満たしていた。当初、原料や燃料の供給に便利な江別も候補地だったが、石狩川の度重なる氾濫を知り、竹鶴は最終的に余市を選んだ。リンゴの産地でもあるため、ウイスキーが完成するまでは、ジュースを生産して販売できると考えたからだ。

同年7月、創立当初の社名は「大日本果汁株式会社」。2年後にポットスチルの炉に石炭がくべられ、念願の第1号ウイスキーを出荷できたのは1940(昭和15)年。社名の「日」と「果」を取り「ニッカウヰスキー」と命名した。余市川沿いに建てられた蒸溜所の敷地は、もともと沼地だった。わずか53m2ほどの事務所、ジュース工場や倉庫から始まった会社も、風格ある軟石造りの乾燥棟や蒸溜棟をはじめ、貯蔵庫群が並ぶ現在の敷地面積は150,000m2

各施設を案内してくれた営業部主任の尾森加奈恵さんは「漁師さんや農家さんの仕事がないときに手伝ってもらい、少しずつ埋め立ててきた土地。自分たちも一緒に築いたニッカという気持ちが地元の人たちに強く根付いています」と力説する。明治時代からロシアへの輸出で潤っていたリンゴ農家も、大正時代に起きたロシア革命により輸出が途絶えた。昭和初期といえばニシンの漁獲量が激減した時期でもある。いまも余市の人がニッカを語るとき、自らの誇りのように目を輝かすのは、竹鶴への思いが語り継がれているからに違いない。

2冊の「竹鶴ノート」から、原点が見えてくる

広島の造り酒屋の息子だった竹鶴は、父から「酒はいっぺん死んだ米を生き返らせてつくるものだ」と聞かせられて育った。やがて洋酒に興味を持ち、最初に勤めた酒造会社社長の計らいで、1918(大正7)年、ウイスキーの本場スコットランドに留学することができた。大学の講義や本からの知識だけでは満足できない竹鶴は、工場での実習を望むがなかなか叶わない。一計を案じ、日本酒のうまさを熱弁するうちに、キャンベルタウンの蒸溜所の工場長が日本酒づくりに必要な「麹」に興味を示す。その作り方を教えると、工場で働くことを許可してくれた。

1962(昭和37)年、英国のヒューム元・首相が来日した際「50年前、頭の良い日本の青年が1本の万年筆とノートで、英国のウイスキーづくりの秘密を盗んでいった」と、日本のウイスキーの品質を称賛した。その証でもある「竹鶴ノート」が、ウイスキー博物館に展示されている。総務部長の高橋智英さんによると「ウイスキーの製造工程だけでなく、会社経営や労働条件、組合の体系も細かくメモされています。実習先のトイレでこっそり書き込み、家に帰って清書したらしいです」

「効率よく働き、退出時間が来たら遠慮なく家に帰り、家族揃って楽しい夕べを過ごすことは、人として踏むべき道」とノートに書き記した竹鶴は、社員に家庭を大切にすることを奨励。「品質第一主義」「チャレンジスピリッツ」はニッカのモットーとなり、「よく働き、よく遊ぶ」は社風のひとつとなった。

妻のリタは高熱を出しても台所に立つほど主婦の鑑だったらしい。漬物とイカの塩辛は、「自分のおふくろが作るよりもうまい」と社員らに絶賛されるほどの腕前。敷地内には竹鶴夫妻が暮らした私邸が移築復元され、ウイスキー博物館では当時の貴重な映像、写真、遺品などから、夫妻の仲睦まじさ、余市での生活ぶりも垣間見ることができる。余市川に架かる田川橋からの夕景をリタが気に入っていたと聞き、その地に立ってみるとシリパ岬が見える。なるほど、竹鶴が過ごしたキャンベルタウンの写真とどことなく似ている。

ナイトツアーの前に散策して見つけたもの

ウイスキーの試飲を楽しみにしていたので、JRを利用することにした。少し早めに出てランチも、周辺の散策も楽しみたい。余市駅に着いたら、まずは駅前ロータリーにいる石像「ニッカ熊」に挨拶。もともと防火水槽だった池に60年ほど前からいるらしいけれど、気が付いたのは今回が初めてだ。

どこからかバグパイプの演奏が流れてきた。これもNHK朝ドラ『マッサン』の影響だろうか。駅前からまっすぐ先には、ニッカウヰスキー蒸溜所の正門が見える。時間があるので、余市川に向かって歩いていると、不思議な水辺を発見。岸辺の向こうはおそらくニッカの貯蔵庫だ。「かつて樽を積み出していた水路だろうか」と妄想を膨らませていたが、「出荷は馬車で駅まで運び、汽車に載せていたので違います」と高橋さん。敷地一帯が沼地だったなごりで、貯蔵庫の火災に備えた防火水の役目を果たしているとか。なるほど、ちゃんと確認してみるものだ。

ランチは、駅から15分ほど歩くけれど、前浜の魚介や地元の野菜をふんだんに使った欧州料理が食べられるファームレストラン「ヨイッチーニ」にした。オーナーはワインづくりに挑戦するために札幌からやってきたので、余市産ワインの品揃えも豊富だ。シェフの久米啓介さんも札幌出身で「とにかく札幌では入手できない新鮮な食材に恵まれているのが余市の魅力」と言う。

余市土産はどうしようかな。やっぱり、北の名人図鑑で紹介した南保留太郎商店の「にしんの燻製」は外せない。あとは、旬のリンゴがいい。地元の人に聞くと「あの角にある計良青果店がいいよ」と教えてくれた。店に入って驚いた。リンゴの品種、これほど揃っているのを初めて見た。「12月初旬過ぎたら、そろそろ品種も限られてくる」という。味や食感の好みを聞きながら、おすすめをいくつか提案してくれる店主の対応も最高だ。竹鶴が選んだ余市が、リンゴの産地であることを実感して帰りの列車に乗り込んだ。

ニッカウヰスキー余市蒸溜所 [map_btn url="https://goo.gl/maps/9Wh5DK54JNy"]
工場見学時間/9:00~17:00(12月25日~1月7日を除く毎日) 
見学料/無料
※ガイド付き見学をご希望の方は10人まではインターネット、11人以上は電話・FAXにてご予約ください。
北海道余市郡余市町黒川町7丁目6 
TEL:0135-23-3131 ご予約専用FAX:0135-23-31317
WEBサイト

ニッカ蒸溜所冬のナイトツアー

「余市ゆき物語」のプレミアムイベントとして余市観光協会が主催するツアー。乾燥棟や蒸溜棟、旧事務所、旧竹鶴邸がライトアップされ、ガイドの説明を受けながら、幻想的な夜景が楽しめます。正門付近をスノーランタンでもてなす「雪灯りの路」とコラボする日は、キャンセル待ちがでるほど人気が高いので、ご予約はお早めに。

会場/ニッカウヰスキー余市蒸溜所
開催日/1月13日(土)、20日(土)、27日(土)、2月3日(土)
開催時間/17:00~18:00
定員/先着40人<完全予約制・参加無料>

●プロのカメラマンによる「10分フォト」予約受付中
プロのカメラマンがライトアップされた蒸溜所正門前で、10分間の記念撮影を行います。
撮影料金 3500円(1人増えるごとに+500円) <要予約>
問い合わせ・予約/余市観光協会
TEL:0135-22-4115 E-mail:info●yoichi-kankoukyoukai.com ※メールを送る場合は●を@に置き換えてください

「余市雪あかりの路 in ニッカ蒸溜所」ボランティアスタッフ大募集!

ナイトツアーと同時開催の「余市雪あかりの路 in ニッカ蒸溜所」では、ボランティアスタッフを募集中。一緒に雪とローソクで会場内を幻想的な空間にライトアップしませんか? 参加条件は「暖かい服装と元気な体と情熱!」。観光で訪れた方も、気軽に参加できます。寒さを吹き飛ばし、冬の余市を盛り上げましょう。あなたの応募をお待ちしています。

問い合わせ・予約/余市観光協会
TEL:0135-22-4115 E-mail:info●yoichi-kankoukyoukai.com ※メールを送る場合は●を@に置き換えてください

ちょっと寄り道

ファームレストラン ヨイッチーニ 北海道余市郡余市町大川町8-32
TEL:0135-48-7700
南保留太郎商店 北海道余市郡余市町港町88
TEL:0135-22-2744
計良青果店 北海道余市郡余市町黒川町4丁目121
TEL:0135-22-2703

北海道遺産とは

北海道の豊かな自然、人々の歴史や文化、生活、産業など、道民参加により52件を選定。
ニッカウヰスキー余市蒸溜所

この記事をシェアする
感想をメールする