小川が流れる緑豊かな庭園の一角に、小さな美術館がたたずむ。ここは、大正から昭和初期に活躍した札幌出身の画家・三岸好太郎の美術館。開館50周年の2017年にmima(ミマ)という愛称が付けられ、より親しみが持てる館へとバージョンアップした。
展示を観たあとに立ち寄りたいのが、併設された「ミュージアムショップ&カフェきねずみ」だ。庭園へ向いた一面がガラス窓になっていて、庭を眺めながら心静かな時間を過ごすことができる。
晴れた日には、窓ぎわの水盤に光が反射して壁にゆらめく模様を作り出し、まるでアートのよう。ときに、店名に「きねずみ(エゾリス)」とあるように、木々を走り回るエゾリスが見られることもあって、カフェの空間や館のまわりの環境も展示の一部のように思えてくる。
コーヒーは、札幌・宮の森「SATO COFFEE(佐藤珈琲)」による「きねずみオリジナルブレンド」。店主・森道子さんが一杯ずつ丁寧にネルドリップで淹れている。豆は中深煎りと深煎りのミックスで重すぎず、コクの中にほんのり甘みがあって、なんだかほっとする味わいが作品の余韻に浸るのにぴったりだ。
さらに、三岸の美術館ならではの、ちょっと特別なお菓子が味わえる。
それは、東京の老舗洋菓子店「ロワール」から取り寄せているブランデーケーキ。ブランデーシロップが生地にたっぷりしみ込み、まわりはしっとり、中はふわっとした口当たりで、芳醇なブランデーの香りが広がる。提供時は、いわゆる〝映え〟を意識した飾り付けなど一切していない。「見た目よりそのままを味わっていただきたいので、あえて生クリームなどは添えていません」と森さん。まさに大人のスイーツだ。
実は、ロワールは三岸好太郎の妻であり画家・三岸節子のなじみの店だった。ブランデーケーキは半世紀以上愛され続ける看板商品で、包装紙には節子が描いたフランス・ロワール地方の古城のデッサンが使われている。カフェで取り扱うことになったのは、孫の三岸太郎さんからお土産でもらったのがきっかけだったそう。ブランデーケーキは1本売りで、東京のロワールと愛知の一宮市三岸節子記念美術館、そしてこのカフェでしか手に入らない。なかでもイートインできるのはここだけだ。
ほかにも、三岸作品の代表的モチーフの蝶や店名のきねずみ(エゾリス)にちなんだクッキーなどオリジナルのスイーツがあり、観覧の記念やお土産として持ち帰ることができる。また、イベント時には特別な限定メニューも登場するなど、このカフェはたんなる美術館の休憩スペースにとどまらない。
現在の「カフェきねずみ」は2012年9月にオープンし、今年で丸12年を迎えた。それ以前にも喫茶店は入っていたが、店主が高齢のため閉店してからしばらく空きスペースだったという。意外にも、森さんはここでカフェを開くまで飲食業はまったくの未経験だった。「16年間ずっと会社員で、カフェをやりたいと思ったことはありませんでした。でも、会社を辞めてから、このまわりはマンションだらけで住民は多いのに近所付き合いがほとんどなくて、自分も近所の人を誰も知らないことに気がついたんです。そして地域の人が気軽に集えるような場所をつくりたい、と考えるようになりました」
そこで森さんは自宅の居間を開放し、“ご近所のお茶の間”としてコミュニティサロンを立ち上げる。サロンでは「みっちゃん新聞」というご近所便りを発行し、情報発信も行っていた。そんな森さんの活動が美術館の学芸員の目に留まり、美術館情報の掲載を依頼されたのが縁で、出店者として白羽の矢が立った、というわけだ。
とはいえ、営業的なカフェの経験がない中で不安はなかったのだろうか。
「サロンはマンションの中だったので、ご自由にどうぞ、といっても入りにくいのが難点でした。ここなら、絵を観に来る人だけでなく、地域の人が気軽にふらりと一人でも立ち寄れる。なにより、こんな素敵な空間がずっと使われていないなんてもったいないと思いました。一番陽の光が入る明るい場所なのに、人気(ひとけ)がないと美術館全体が暗い雰囲気になってしまいますよね」
自分が関わることで、観覧後にほっと一息つける場であると同時に、地域のコミュニティの場、サードプレイスにできるのではないか。そう考えて森さんは出店を決めた。
カフェはミュージアムショップの役割も担っている。当初は美術館から預かったポストカードや図録などを販売するだけだったが、だんだん森さん自身もショップで扱うものに関わるようになった。大切にしているのは“三岸らしさ”があるかどうか。2017年の美術館のリニューアルで、道内の若手作家を紹介する企画展示「みまのめ」が新たに立ち上がり、若手作家とのつながりができたことも大きい。
カフェの10周年では、札幌在住の日本画家・紅露(こうろ)はるかさんが三岸の蝶をイメージして描いた絵を、缶バッチにしてグッズ化した。第2弾では要望の多かったマグネットにしたところ大好評で、最近売り切れてしまったとか。「今、第3弾を考えているところです」と森さんは楽しそうに言う。
きねずみにちなみ、エゾリスの写真のポストカードを扱い始めたのも森さんのアイデアだ。撮影は、キタキツネのいる風景写真で一躍有名になった札幌出身の写真家・井上浩輝(ひろき)さん。実は、お父様が三岸好太郎美術館の元学芸員で、子どものころ館によく遊びにきていたという。
また、カフェで販売するお菓子やパンも、こうしたアーティストたちと同じく「地元にあって顔が見えるもの」にこだわっている。
「学芸員とは違うかたちで、美術館を楽しんでもらえる、また来たいと思ってもらえる場にしたいと考えています。美術に興味がない人でも、カフェをきっかけに展示に興味を持ち、美術館に親しみが持てる、そんな橋渡し役になれたらいいですね」
一方で、森さんは課題も感じている。休館日は当然のようにお客様を迎えられない。「休館日に来ても、ミュージアムグッズが買えたりお茶ができたり、通年で作品を感じられるサテライトのような場が必要かもしれません」。確かに、今話題のミュージアムグッズもただ魅力的なものがあるだけでは意味がない。展示に触れられるものとして、訪れた人がミュージアムグッズにちゃんとたどり着けることが重要だろう。
また、閉館時間には営業を終わらせなければならないことや、展示替えなどで長期の休みに入ると営業できないといった経営面での難しさもあるようで、一般的に美術館や博物館へ営業的な出店がしにくい要因の一つと言えそうだ。
とくに、森さんが「もったいない」と思っているのが、美術館を訪れる地元の人が少ないことだ。「三岸の作品しかないから展示はいつも同じ、というイメージを持たれている方が多いのですが、毎回テーマも見せ方も変わる。地元出身の画家のすばらしい作品を肩ひじ張らずに楽しめる場所であることが、カフェを通じてもっと伝えられたらと思っています」
美術館がある庭園(北海道知事公館構内)は、かつて三井の迎賓館「三井別邸」(旧館)があったところ(※1953年に取り壊し、新館は現在の「知事公館」)で、今でもそのころの思い出を持って訪れる人がいるのだとか。「お客様からこの場所にある思い出を聞くのが楽しい」と森さんは言う。
小さなカフェが地域と美術館をつなぐとき、大切な思い出がまた一つ、生まれているのかもしれない。
MUSEUM SHOP & CAFE きねずみ
北海道札幌市中央区北2条西15丁目 mima1階
TEL:011-644-8901(美術館の代表番号)
営業時間:9時30分〜17時(L.O.16時30分)
定休日:月曜 ※その他、mimaの休館日に準ずる
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期間:2024年7月13日〜9月25日
料金:一般510円、高大生250円(中学生以下、65歳以上は無料)
※休館日はHPで要確認
WEBサイト