本にできることは、きっともっとある

「奇跡の本屋in紀伊国屋書店札幌本店」で使われた、くすみ書房の故・久住邦晴さんが残した直筆のPOP(写真撮影:谷口雅春)

一冊の本は、生涯にどれだけの旅をするだろう。本は、たくさんの人の人生と深く関わっている。巨大書店の進出の影に、愛されながらも閉店を余儀なくされた名物書店があった。古書と新刊をともに扱う店が北海道にも誕生している。本の送り手たちのことをあらためて考えてみたい。
谷口雅春-text 露口啓二-photo

「まちの本屋」は鳥になれるだろうか

恐竜は滅んだんじゃない。鳥になったんだ。
古生物学の世界ではそれが定説だ。6600万年前にメキシコのユカタン半島に衝突した巨大隕石の衝撃と影響は、恐竜をはじめとした多くの生きものを絶滅させてしまった。しかし『恐竜は滅んでいない』(小林快次)によれば、恐竜は鳥類に姿を変えていまもふつうに人間と共存しているのだという。鳥類とは、実は飛行に特化してどんどん小型になりながら激烈に進化をつづけた恐竜たち(竜盤類に属する獣脚類)なのだ。

映画にトーキー(音声)が発明されたとき、独自の表現領域であった映画が単に演劇に納まるものになってしまった、と嘆いた人々がいたという。また、写真の出現によって画家は仕事を失い、蓄音機の登場で演奏家たちはプレイの場をなくすと危惧された。さらにさかのぼれば、文字の流通は人々の記憶力を奪い、詠唱や朗読は廃れていくだろうと危ぶまれた。そうした危機の系譜は、僕たちにいまどんな現実を指し示しているだろう。

2008年秋の創刊以来、カイでは何度か本をめぐる特集を組んできた。本とまち歩きが生活の糧のひとつであった僕たちは、年を追って減っていく「まちの本屋」がとても気になっていたのだ。本の愛すべき手ざわりや匂いが揮発してしまう、電子化の動きも加速していた。悪い事態は予想を上回るペースで進んだようだ。けれどもその一方で、まちを歩けば、小さくはあっても新たな胎動も感じる。「本が並ぶところ」には、変わってほしくない世界をベースに、変化を志向するさまざまな潮流が起こっている。昭和の街並みにあったまちの本屋は、恐竜のように滅んでしまうのか、それとも、空をめざした鳥類のように劇的な進化の途上にあるのだろうか。
いま、まちの本屋では新刊と古書の融合も起こるし、ショップの個性で本と生活具を並列させたセレクトショップも人気を集めている。昨年(2018年)11月に話題となった江別 蔦屋書店(江別市牧場町)のオープンも、本が触媒になった巨大なセレクトショップの誕生だった。モノや人を触発しながら、本にはさまざまなことを結び合わせて、新たなまちの風景をつくりだす力だってある。僕たちはそのことに気づきはじめているのかもしれない。

本が行き交う古書店では床も棚だ(書肆吉成丸ヨ池内GATE店)

本の生態系を活気づけるもの

2009年の夏、カイは「古本とジャズ」という特集を組んだ。そこで対談をしてもらったのが、アダノンキの石山府子さんと、書肆吉成の吉成秀夫さん。当時はふたりとも札幌の古書店界の新潮流で、吉成さんは倉庫の在庫をネット販売していて、まだ実店舗を持っていなかった。その後まもなく吉成さんは東区(札幌市)に店舗を構え(現在は東区北26条東7丁目)、2018年の2月には都心の丸ヨ池内GATE6Fに支店も出した。石山さんのアダノンキも2017年暮れに、創業の場所(札幌市中央区南1西6)から現在地(南1条西19丁目ドレイジャータワー5F)に移転している。あれから10年。ふたつの店はそれぞれに個性を磨いて札幌にしっかりと根をおろしている。

10年前のインタビューで吉成さんは、本には、書く人と読む人のほかにたくさんの人が関わっていて、本の世界はその人たちみんなで成り立っている。自分もその一部であることを意識している、と語った。その発想に刺激を受けて「古本とジャズ」特集では「書物の生態系」というテーマを立てて、古書店や文学館やブックデザイナーや出版社を訪ねてみた。そして今回の本特集のために石山さんと話をしたとき、『本を贈る』(三輪舎)という近刊を薦められた。編集者や装丁家から校正者、取次店、出版社の営業、書店員など、本づくりに関わる幅広い人たちの仕事への思いを束ねた魅力的な一冊だ。この本が奏でるのも、まさに本をめぐる生態系の広がりと豊かさだった。

本の生態系を活気づけるのは、世の中の表層の渦に簡単には流されない、個としての人間の思考や感性や創造力だ。本をめぐる企画力や新旧の技術も欠かせないし、共感したり学び合ったりすることも、刺激や触発を生むだろう。こうした要素がつながり合って自らをネットワークに織り上げていくことができたら、本が具体的にまとう重みや匂いや空気は、もっと豊かなものになっていくに違いない。生態系の最小単位はその土地にしかない固有のもので、既製品を運び込んでできるものではない。鉢植えの立派な観葉植物をいくらよそから持ち込んでも、土地に根をおろさないものは、豊かな生態系を作り出せないのだ。
すぐれた農家はなにより土づくりを大切にするけれど、彼らが土にすき込む有機肥料は作物のためではなく、まず土の中で生きている微生物のためにあるのだという。作物を育む土の生命力を高めるのは、多様な微生物たちの複雑で活発な活動にほかならないからだ。僕たちのまちで、本の生態系を活気づける微生物とはなんだろうか。

古書と新刊の両方を扱う書肆吉成丸ヨ池内GATE店

くすみ書房と書肆吉成の冒険

丸ヨ池内GATE6F(札幌市中央区南1条西2丁目)に吉成さんを訪ねた。
吉成さんが都心に出店したのは、同フロアにある小竹美術の小竹康晴さんやアンティーク&コレクターズギャラリーの中瀬龍一さんから、空きスペースがあるので6階をいっしょに大人の遊び場にしませんか、と誘われたのがはじまりだった。
道都の真ん中で、ギャラリースペースが作れるほど広い。よしっ、ここならトークイベントなどもできそうだ。やってみたかった新刊の扱いもはじめたい。左右社や水声社など、自分が好きな個性的な出版社の仕事を並べよう。新刊アウトレットも揃えるゾ。古本は新旧と硬軟を奥行きたっぷりに揃えて、写真集の棚も作りたい。もちろん道内の出版社の本によって北海道というテーマも掘り下げよう—。夢と野心はふくらみつづけた。資金計画をなんとか練り上げて開店にこぎつけたのは1年前だった。
ギャラリーのオープニング企画は、親交の厚い詩人吉増剛造氏の石狩の詩と近刊の『火の刺繍』がテーマで、吉増さんを招いたトークイベントも盛況だった。

店内には、長年の固定客に惜しまれながら2015年6月に閉店したくすみ書房(札幌市厚別区)の雑誌棚も使われている。くすみ書房は、インターネットや大手書店チェーンの進出で北海道の書店業界が逆風にさらされる中で、独自のアイデアと戦略で戦い続けた「まちの本屋」。社長の久住邦晴さんが病に倒れることで、矢が尽きるように歴史を閉じた名物書店だ。久住さんには以前カイの誌面で、北海道文学館の喜多香織学芸員と対談をしていただいたことがあった(2012年冬号)。

吉成さんは、同社閉店のさいに夜中に什器類を運び出すのを手伝ったのだが、譲り受けたものには古書店では使わない雑誌棚もあった。それらは倉庫に眠らせたままだったが、ここの大きなスペースなら活用できる。吉成さんにとってくすみ書房社長の久住邦晴さんは、「本で面白いことをやりつづけた大先輩の本屋のオヤジ」だった。
「おつき合いが始まったのは、中島岳志先生(当時北海道大学准教授)たちが活動していた発寒商店街(札幌市西区)の夏祭りの一箱古本市に参加したころでした(2010年)」
すぐにくすみ書房の企画にも参画するようになり、吉成さんはトークイベントなどに登場した。
「アイデアとまっすぐな意欲にあふれていた久住さんには、いろんなムチャぶりをされました(笑)。逆風の中でもつねに穏やかで、会うたびに人としての不思議なスケールを感じていました。行くとたいてい、店のあるショッピングセンター(CAPO大谷地)のコーヒーショップに独りいて、原稿を書いていた姿が目に浮かびます。僕も40歳を超えて、最近は久住さんのあとに続く本屋のオヤジのひとりになれそうかな、と思っています」
棚を譲り受けたとき吉成さんは、「木製の特注本棚は再起したときに使うつもりだからあげられないよ」、と言われたことがうれしかった。

書肆吉成の吉成秀夫さん

久住邦晴『奇跡の本屋をつくりたい~くすみ書房のオヤジが残したもの』(解説/中島岳志)(ミシマ社)などをもとにくすみ書房の歩みをなぞってみよう。
くすみ書房は、1946年に札幌市西区琴似で創業した。久住邦晴さんが店を担うようになったのは80年代半ばで、1999年には父の跡を継いで社長に就いた。しかしこの年、それまでターミナル駅だった琴似の先に地下鉄東西線が延長。琴似の人の流れは減っていく。そんな中で2003年の秋に立ち上げた「なぜだ!? 売れない文庫フェア」が大きな話題を呼んだ。売れ筋ではなく死に筋にこだわって、価値ある名作に新たに光を当てたユニークな試みだ。
翌2004年には、来店が減っていた中高生めがけて「本屋のオヤジのおせっかい 中学生はこれを読め!」フェアを企画。秋の読書週間には札幌市内と近郊の20店以上で、独自に選んだ500点を提案して、読書の楽しさを訴求した。さらに2005年には店舗の地階に、トークイベントなどを行うブックカフェ「ソクラテスのカフェ」をオープン。本屋を舞台に、中島岳志さんをはじめさまざまな人がトークと対話を繰り広げた。しかしこのころ、大手資本の大型書店が近隣に進出。2009年の秋、久住さんは創業地の琴似を離れ、大谷地への移転を余儀なくされる。

2010年には公立図書館の司書や大学生などからなる編集委員会を立ち上げて「本を愛する大人たちのおせっかい 高校生はこれを読め!」、2011年には地域の開放司書や公立図書館司書、小学校教諭たちと選書をして、「本屋のオヤジのおせっかい 小学生はこれを読め!」フェアを道内の書店で開催した。多くの地元メディアもこうした動きを同志のように取り上げる。自分の考えに共感してくれる人たちを集めて、手法や実践をつねに外に広げて磨いていくのが久住さん流だった。
大谷地に移ってからのくすみ書房は売り上げも来店者数も順調に増えていったが、さまざまな負担がのしかかり、どうしても採算ベースに乗ることができない。ついに2015年6月、久住さんは閉店を決断した。その後は小さな規模で持続的に利益が出せる書店のビジネスモデルを構想しながら再起をめざしたが、病が発覚。2017年8月、わずか66歳で帰らぬ人となってしまった。

久住さんは病と闘いながら、くすみ書房の歴史と再起への思いをぎりぎりまで書き続けた。その原稿をもとに、親交のあった京都のミシマ社が昨年(2018年)編んだのが、『奇跡の本屋をつくりたい~くすみ書房のオヤジが残したもの』だ。刊行日は、久住さんの命日である8月28日だった。
書肆吉成丸ヨ池内GATE6F店では、ギャラリーでこの本の出版に合わせた企画を行い、くすみ書房ゆかりの品や書籍の生原稿、記録写真などを展示した。同時にトークイベントを2回行い、会場は久住さんを偲ぶ人々の熱気に包まれた。トークの一回目(8月28日)には、「中島岳志(東京工業大学教授)×矢萩多聞(装丁家)×三島邦弘(ミシマ社社長)×クスミエリカ(久住邦晴長女・写真家)」。二回目(9月22日)は、「北海道ブックシェアリング代表荒井弘明×かの書房加納あすか×ライター佐藤優子×吉成秀夫」という多彩な顔ぶれが揃った。

久住邦晴さんの思いがあふれる、直筆のPOP(「奇跡の本屋in紀伊国屋書店札幌本店」)(写真撮影:谷口雅春)

くすみ書房という「まちの本屋」があった

中島岳志さんやクスミエリカさんたちによるトークを聞いて、自分にもできることがある、と行動したのが、紀伊国屋書店札幌本店の人文コーナーを担当する伊藤恵理子さんだった。それが、2018年10月28日からこの1月まで、同店の一画で開かれた「奇跡の本屋in紀伊国屋書店札幌本店」という企画だ(2月からは北海道の本コーナーの近くに移動)。
これはくすみ書房の元社員である伊藤さんが、『奇跡の本屋を〜』(ミシマ社)発売のPRを兼ねて、かつてのくすみ書房の世界観を再現しようとしたもの。書肆吉成でのトークに刺激を受けて、売り場担当の兼平純子さんに企画を提案したところ、店長を含めた賛同をすぐ得られた。
「くすみ書房の元社員で現役の書店員は私だけだったので、とにかく何かしたい、と思いました」、と伊藤さん。伊藤さんが久住さんのもとで働いたのは大谷地移転の時代で、思い出の中の久住さんは、やっぱり本が好きで、社長業のかたわらとにかく本を読む人。単に書誌情報をまとめるのではなく、自分が読んでほんとうに面白いと思ったものだけを来店者に勧めて、驚くほどたくさんのPOP広告を手作りしていた。
「久住さんのそんな手書きのPOPがふたつ手元に残っていたので、そのままここで使ってみました。加えて、久住さんの筆跡をできるだけ再現しながら私がPOPを書きました」
かつてのフリーペーパー「くすくす」を掲出したり、キャラクター「ブックン」が入ったオリジナルの文庫カバーも揃えて、見る人が見れば店内のその柱の一画は、なつかしいくすみ書房のエッセンスで満たされた。

久住さんの長女で写真家のクスミエリカさんは、「わが家には、子どもが興味を持ちそうな本を並べておく本棚があって、私は自然にそんな本たちを手にしながら育ちました」、と語る。久住さんは、もともと家庭で「○○○はこれを読め!」を実践していたのだ。一方でそれは強制ではなく、娘が自ら手を出すことを尊重してくれていたという。そんな世界でエリカさんは、『モモ』(ミヒャエル・エンデ)や『トムは真夜中の庭で』(アン・フィリッパ・ピアス)、『アルケミスト 夢を旅した少年』(パウロ・コエーリョ)といった本に夢中になった。
久住さんを最後まで動かしていた大きな力は何だったのだろう。
「とにかく本は人間に良いもので、それを社会に行き渡らせるのが本屋の使命だ、と信じていたと思います。父は商売というよりも、社会のために本ができること、本屋ができることをいつも考えていました。とりわけ中学生高校生が、本の世界を知らずに大人になってしまったら可哀想じゃないか、と心配していました」
「本にできることは、きっともっとある」—。久住さんの心には、つねにそんな思いがあったのだと思う。

吉成さんと同じ札幌大学で山口昌男や今福龍太といった教授陣の影響を受けながら、写真の世界に入っていったエリカさん。写真やインターネットを軸にくすみ書房の広報も担っていたが、久住さんもエリカさんも、小さな書店に絶対に欠かせないのは発信力だと考えていた。SNSやWebサイト、そして人間を介して強い発信力があれば、小さな書店でも社会に影響を与えることができる。

ときには百万部もの大量生産が社会に行き渡る一方で、本ほど個人的なものはない。本はワーク、ライフ、ソーシャルという3つの領域にまたがって、たくさんの人たちの人生と関わっている。そうした本が、全国どこでも同じ顔をした工業製品のようなショップで売られるだけだとしたら、あるいはインターネットの物流だけでやりとりされるとしたら、地域の営みはなんと薄っぺらで貧しいものになるだろう。もちろん、大手チェーンやインターネット販売を否定するわけではない。僕自身それらを日常的に使っているし、それらがなければとても困るだろう。
こだわりたいのは、やはり本の多様な生態系であり、それを可能にするまちの質だ。いろんな種類の微生物が共存している土は、環境の変化にも強くて豊かな生命力を秘めている。まちも同じだと思う。本づくりにはたくさんの種類のプロフェッショナルが関わっている。そしてそれを新刊や古書で売る人がいて、読む人や批評する人がいる。読まれた本は、また次の読み手を求めて旅をするだろう。図書館や学校に関わる人もおおぜいいる。そうした人々が日常的に複雑に関わるまちは、きっと魅力的な個性をまとうことができる。本をめぐる人たちが互いに刺激を与え合うことができれば、本は単なるモノとしての消費財でなく、小さくても地域の営みのエンジンになれるのではないだろうか。吉成さんは、「本屋のある街並みが好きだ」と言う。本には、人生や友だちづきあいから街並みまで、たくさんのものを豊かに活気づける力があるのだ。

今年(2019年)1月まで開かれていた、「奇跡の本屋in紀伊国屋書店札幌本店」(写真撮影:谷口雅春)

 
書肆吉成 丸ヨ池内GATE6F店
北海道札幌市中央区南1条西2丁目18 IKEUCHI GATE6F
TEL:011-200-0098
10:00~20:00

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