玉ねぎのふるさとに130年続く丘珠獅子舞

丘珠神社の秋季例祭で奉納される丘珠獅子舞(2018年9月15日/写真提供:丘珠まちづくりセンター)

札幌市東区の丘珠地区には、住宅地の間に玉ねぎ畑が広がっている。明治初めから玉ねぎ栽培が続くこの土地で、同じく明治から130年続く「丘珠獅子舞」。勇壮な舞と笛の音色は富山県にルーツをもつ。どんな人たちが今につないできたのだろう。
石田美恵-text 伊藤留美子-photo

源流の富山にとっても貴重な獅子舞

私は丘珠育ちで、9月15日のお祭りの日は学校が半休になり、毎年出店を楽しみに神社にでかけていた。たこ焼きやリンゴ飴を食べ終わり、ヨーヨーつりも型抜きも終えた午後3時半ころ、境内で笛と太鼓が聞こえてくる。ふだん静かな神社に人が溢れ、着物姿の大人たちがずいぶん格好よく見えた。獅子舞が終わると、少しほっとしたような空気が流れる。毎年変わらない秋の行事。この「変わらないこと」にどれほどの情熱が注がれていたのか、子供のころは考えたこともなかった。今回改めて丘珠獅子舞の歴史と今をたどってみた。

丘珠地区を南北に流れる伏籠(ふしこ)川は、江戸時代後期に豊平川が大氾濫して流れを変え、西側に取り残された川筋にあたる。アイヌの人々はこの川をフシコ・ペッ(古い川)、フシコ・サッポロ・ペッ(古い札幌川)などと呼んでいた。1870(明治3)年、伏籠川沿いに酒田県(現山形県酒田市)から開拓移民30戸88人が入植し、原野の開墾をはじめる。その翌年、アイヌ語で「オッカイ・タム・チャラパ(男が刀を落としたところ)」と呼ばれていた地名が「丘珠村」となる。また、このころ開拓使が御雇(おやとい)外国人の指導により、北海道の風土にあった野菜として玉ねぎを推奨し、丘珠村の隣、元村で栽培が始まっている。1884(明治17)年ころには丘珠名産「札幌黄」の原種といわれるイエロー・グローブ・ダンバースがアメリカから輸入されて栽培がスタートし、丘珠にも広まっていった。

1880年代後半になると、富山県からの移民が増加していく。その後、1892(明治25)年、富山県福野町(現南砺市)安居から入植した山本宗吉という人が、故郷から獅子舞の諸道具を持ってきた。新天地の開墾が軌道にのりはじめ、多少余裕が出てきたのかもしれない。そして同年の秋、丘珠神社創建の際、富山から来た人たちが中心となって五穀豊穣・無病息災・家内安全を祈願し、初めて獅子舞が奉納されたと伝えられている。
1991(平成3)年発行の『丘珠獅子舞百年のあゆみ』には次のようにある。

丘珠の獅子舞は、ムカデ獅子といって総勢20人から30人の人達で舞う大がかりなものです。獅子の頭ふり1人、胴には6人、尾っぽが1人と、体だけで8人必要です。外に獅子取り3人、おどり手3人、そして、はやしが笛5人、太鼓2人、案内役の天狗とはんにゃ、等々です。獅子頭は重いので交代用員が必要です。こんな百足獅子の舞を明治の20年代から、そのまま続けている所は全道どこにもありません。

書いたのは元丘珠小学校の坪谷京子校長で、1974(昭和49)年に丘珠獅子舞が「札幌市無形文化財第1号」に指定される前、その源流である富山まで調査にでかけている。そこで富山に多く伝わるムカデ獅子の中でも、丘珠に一番似ているのが安居であり、しかも「昔の獅子舞の種類や順番によく似ていること」がわかった。笛も録音して持って行った丘珠の音色と全く同じで、くわしい調査の結果、安居だけでなく隣町の福光(現南砺市)や小矢部から移住してきた人が主になり、故郷の獅子舞や笛を正しく伝えたことが確認された。さらに同書にはこう続く。

丘珠の獅子舞が貴重な事は、百年昔の舞の形や、種類や順序、おはやしやその道具だてに至るまで昔のままであると言う事です。現在の安居でも、小矢部でも、福光でも色々変わって、鉦を入れたり衣装を変えたり、踊り方にも華やかさを加えたり、目立たないものは除いたり……と大分変わったようです。(中略)こうなると丘珠の獅子舞は、札幌ばかりでなく、富山にとっても貴重な獅子舞になるわけです。

遠く富山県からやってきたムカデ獅子舞は、北海道の広い玉ねぎ畑の地に降り立って、昔と同じ姿のままで、のびのびと生き続けてきたのだ。

現在の丘珠神社。周囲には玉ねぎ畑が続いている

変わらないこと、変わってきたこと

現在、丘珠獅子舞は「丘珠獅子舞保存会」の方々により大切に伝承されている。会長の佐々木幸順(こうじゅん)さんにお話を聞いた。保存会は1965年に発足し、かつて「獅子連中」と呼ばれていた関係者が集まって組織したもの。現会員は約50名。丘珠獅子舞の演目は全部で15種類と多く、重さ10キロを超す獅子頭を振り、長い胴体を支える人員は途中で交代が必須となる。さらに笛や太鼓の人がいるので、常にこれくらいの多人数がいないと獅子舞が成り立たないという。どんな人たちが会員になっているのだろう?

「昔は代々の玉ねぎ農家でしたが、だんだん外に出て行く人が多くなり、後継者不足になってきました。どこも同じです。そこで、農家でなくてもずっと丘珠に住んで仕事場もあって、自営業や勤め人でも、ある程度自由な時間がとれそうな人のところに、我々が勧誘に行くわけさ。保存会だけでなく、消防団とか地元にあるいろいろな団体を『一緒にやりませんか?』と。丘珠獅子舞といったら地域になくてはならん存在ですから、ここにしっかり根付いて、ここでやっていこうと覚悟のある人に参加してほしい。幸い、病気や引っ越しなどを除いて、途中で抜けた会員はいません」

佐々木さんが保存会に入ったのは高校卒業後、1967年ごろのこと。当時の練習はかなり厳しく、子供でも竹の棒でバシバシ叩きながら『そこ、足、違う! 手、違う!』と指導していた。「私は獅子取り(獅子を退治する子役。小学1年生から高校生くらいまでが務める)でなくてよかったと思いました」と佐々木さんはいう。
さすがに今はバシバシ叩く指導はないが、多くの舞を覚え、大勢が揃って披露するには「とにかく練習が大事」と佐々木さん。例年7月に入ると、お囃子、獅子取り、獅子頭振りとカヤ(胴幕の部分)などパート別の練習が始まり、9月に全員で総合練習を7、8回は行う。練習を重ねると、4拍子や8拍子の舞のリズムが体に染み込んでくる。カヤの人は外が一切見えないので、何かアクシデントで演目が変わっても、笛と太鼓を聞いて初めて気づく。聞いたらすぐに体が動く。これには長年の練習が欠かせない。

また、そのときの雰囲気で、舞が急に大きく動き出す瞬間がある。
「本番中に全員が盛り上がって、さぁいくぞー!ってなると、カヤの前の方にいる2、3人が後ろを振り返って、ニターっと笑うの。後ろの人が、あ!やられる!って思った瞬間、前の人がドーンと大きく横に踏み出して、その遠心力で後ろは勢いよくブワーって回る。そうなると、カヤの外に尻尾を抑える人がいるんだけど、両足が完全に宙に浮いてしまうわけ。それでもタイミングとコツをつかむと、全員がピタッと止まるんです。ただしタイミングがずれると石灯籠にぶつかったり、カヤの中で転んだり。カヤが盛大に破れたこともありました」
コロナ禍の2019年と20年は保存会設立以来、初めて獅子舞を奉納できない2年となった。今後どうなるか先は見えないが、佐々木さんは動じない。「丸2年練習していないので演技の技量は落ちていると思います。でも練習すればすぐ勘を取り戻しますから」

変わらない獅子舞の歴史のなかで、変わってきたこともある。
佐々木さんは長年カヤ専門で、48歳のとき初めて獅子頭振りを担当した。頭振りは体力がいるため、もう少し若いころからやることが多く、さらに以前は子供のころ獅子取りを経験した人がやる、という慣習があった。しかし、それではせっかく参加してくれたいろいろな職業の若手にチャンスが回ってこない。少し遅咲きだが獅子取り経験者でない自分が何とかやり遂げ、後輩たちが挑戦しやすい環境をつくろうと考えた。「いやぁ40を過ぎて頭振りの練習はキツかった。でも、練習すればできるってことを見せられたと思います」

丘珠の玉ねぎ農家4代目にあたる佐々木幸順さん。2014年から丘珠獅子舞保存会の会長を務める

丘珠獅子舞保存会の皆さん(2018年9月15日/写真提供:丘珠まちづくりセンター)

歴代獅子頭と、手作り頭

丘珠獅子舞に使われている獅子頭(ししがしら)は5代目にあたり、歴代の5つを比較してみるとなかなかおもしろい。初代は1892(明治25)年、富山県からの入植者が持ち込んだもの。今は丘珠小学校の郷土資料室に展示されている。2代目は1902(明治35)年ころに札幌の別の地区から譲り受けたもの。これはたまたま1899(明治32)年6月、新川以西で、町内の番頭たちが富山県から獅子頭と道具一式を買って練習していたが、次第に集まりが悪くなって何年もしないうちに獅子舞ができなくなり、それを聞いた丘珠の人たちが出向いて譲り受けた。こちらは現在札幌村郷土記念館に展示されている。

3代目は1958(昭和33)年に丘珠神社が富山県の彫師に製作を依頼して購入。しかし、何かの手違いでサイズが小さくカヤと釣り合いが取れなかったため、1年だけ使用して再び2代目に戻った。現在は練習用に使われている。4代目は1965(昭和40)年、丘珠獅子舞保存会が発足した際に地元出身の道議会議員・岩田徳治さんの篤志で購入。今は丘珠まちづくりセンターに展示され、いざというときは使用できる状態を保っている。そして5代目は1990(平成2)年、丘珠獅子舞創設100年を記念して当時の保存会会長・前田一郎さんにより寄贈されたものである。

さらに、手作りの練習用頭が4つある。作ったのは丘珠獅子舞保存会の前会長、現在札幌村郷土記念館館長を務める山田治仁(はるひと)さんで、こんな話を聞かせてくれた。
「私は小学2年生で獅子取りから入り、カヤも獅子頭振りも一通り経験しました。1990年ころ、カヤの人から『山田さんはいいよな、頭振りだから見物の人に見てもらえて。俺らは足だから』と言われました。それを聞いたとき、これからはみんなが練習できるように、急いで練習用の頭をコンパネで作ったんです」
最初に作った頭は、本物のサイズを測り、板を切って一つずつ手でネジをとめ、朝7時から夜11時までかかってやっと完成。獅子の口がパクパク動くよう細工するのに苦労した。2つ目は慣れてきたので、もう少し早くできた。その後さらに3つ(うち2つは師匠用に軽いもの)を追加し、全部で5つ作って使っていたが、いつの間にか1つが紛失していた。「きっと使命を果たしてくれたのでしょう」と笑う山田さん。
伝統の獅子舞を伝えていくなかに、たくさんの人たちの気持ちが詰まっている。

獅子頭の変遷(札幌村郷土資料館の展示より)

2代目獅子頭。下の木箱に明治時代に記された「新川以西」の文字が見える(札幌村郷土資料館所蔵)

丘珠獅子舞保存会の前会長、現在顧問の山田治仁さん

1965(昭和40)年、再興当時の獅子舞保存会の皆さん(写真提供:山田治仁さん)

丘珠神社
北海道札幌市東区丘珠町183
※例年は丘珠神社秋季例祭(9月15日)の午前11時30分・午後3時30分に丘珠獅子舞を奉納する(2022年の開催は未定)。
WEBサイト

札幌村郷土記念館
北海道札幌市東区北13条東16丁目2-6 TEL:011-782-2294
開館時間:10:00~16:00
休館日:月曜日、祝日の翌日、12月29日~1月5日
入館料:無料
WEBサイト

参考文献
・『丘珠150周年記念誌 丘珠の大地から』(丘珠150周年記念事業実行委員会編)
・『丘珠獅子舞百年のあゆみ』(丘珠獅子舞保存会)

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