故郷、札幌・北海道の四季を綴る
明治38(1905)年1月1日、日露戦争で旅順口が陥落したので、大通りから中島遊園地まで旗行列を行う。小学校4年生の少女は「一月一日めでたきこの日、祝えや祝え…」と、歌い歩いた。少女の目には、日の丸の旗の美しさが焼き付いた。一面の白雪に映える日の丸の紅は一月の色。
あの吹雪、——自分はあの吹雪の中で育ってきたのだと思うと、激しい吹雪がいまではそぞろなつかしい気さへする。 (中略) 昔の2月は自然と人間との闘争の季節でもあった。吹雪は二日二タ晩吹きあれることも珍しくなかった。
2月の吹雪は、一切の交通が途絶えて、新聞も郵便も来なくなり、人々は孤立してしまう。そんな時、時計台の時を告げる鐘の音だけが聞こえてくる。吹雪の日の鐘の音は人々を励ますかのように、心に響いた。この月は、漬物の美味しい季節でもあった。食卓には丼に山盛りにして出される鰊漬けがあり、鰊の風味のしみた大根は天下一品の2月の味。
3月になると、庭の片隅の雪が融けて、黒い土が顔を出す。そこにぽつりとひすい色をした、ふきのとうが芽ぶいていたうれしさ。春になったと、からだじゅうで受けとめた喜びにひたる。
土、なつかしい土。土は春そのもので北海道の春は土からはじまる。11月の末からつもった根雪が、完全にとけた春4月、新学期がはじまる。
5月の札幌はライラックの町。山鼻のあちらこちらの家の庭には、紫と白のライラックの花が咲き誇り、その香りがそこら中に漂っている。
少女の父は、噴火湾沿いの八雲に広い農場を持っていた。少女は身体が弱かったので静養のために度々訪れる。6月、ガスがかかっている畑で、じゃがいもの花の美しさに驚く。薄紫のじゃがいもの花はヨーロッパでは高貴な花であったという。後年、東京で人間関係に疲れて八雲にやって来たのは、9月であった。駒ヶ岳の山並みを背景に走る列車をみつめながら、忘れがたき東京を思う日々であった。
7月、10年程前に作家仲間4人と、講演旅行で北海道へ行った。すずこ(筋子)の粕漬、鮭のメフン、しゃこの佃煮、そして毛蟹。北海道の海の幸に皆、舌鼓を打ち喜んだ。北海道の食べ物は手をかけて料理したものではなく、素材そのものが美味しい。その代表が毛蟹だ。
8月は銭函に海水浴にでかけた。北海道の夏は短い。海から上がって、たき火にあたりながら食べた、ガゼと呼ばれる黄色い雲丹。あの味は忘れられないおいしい味。
北海道には伝統というものがない。すべてが野生のままであって、草は伸び放題に伸び、樹樹の梢は枝を張りたいだけ張ってゐる。それが私を安心させる。ここでは人間も思う存分手足をのばし、思いきり大きな声で、天にむかって絶叫してもいい。
9月から10月にかけて、一番好きなのは登別温泉だ。登別の秋は日本一と。深く澄んだ空、紅葉と黄葉とが入り交じったもみじの鮮やかは、登別独特の自然の美しさであった。
11月には、初雪が降る。木の葉も散り、北海道は一番つまらないとき。内地では一番美しい季節で、柿の実が紅く色づく。北海道は秋でもなく冬でもない、無色の季節。
十二月、根雪のころになると、沢山の烏があつまってくる。十二月の札幌にたのしい事は何もなかった。学校からの帰り道、烏のなき声にいつもうしろから迫ってくる年の瀬に追いかけられるような気持ちで歩いていた。そして、知らぬ間に胸の病気に冒されているのに気がついたのも十二月であった
北海道の冬は厳しい。自由に活動できた季節から、じっと耐える日々になる。少女は、12月の学芸会で英語劇を立派に演じて褒められたが、頑張りすぎて無理がたたったのだろう。身体を壊して、冬眠するかのように療養生活にはいる。
時が流れて、今、令和の札幌の街は12月。イルミネーションが輝き一年で一番煌めいている。そんな人工的な華やかな故郷は、少女の目にどう映るであろうか。
※表紙画像は、『ふるさと12ヶ月』が収録されている『随筆 をんなの旅』の表紙