高松と池田は箱館戦争で、病院を守る病院長と、降伏勧告交渉の担当者という立場で出会った。池田が晩年に生活に困窮した際に、高松は自らまわりに援助を呼びかけた。その礼として池田はこの山水図を贈呈したのだった。
讃は、旧幕府軍の陸軍奉行を務めた大鳥圭介。旧幕臣と新政府の軍人という、箱館で死闘を繰り広げた両者に、時代が移るにつれ深い交遊のあったことが見てとれる。高松は経歴談の中で、この山水図を自分の宝であると述べている。
高松凌雲をめぐっては、とりわけ北海道では、箱館戦争での赤十字精神といった文脈で語られることが多い。しかしこれらの詩画からうかがわれるように、江戸から明治、そして大正5年までを生きた高松の仕事の多くは、若き日の留学や箱館での経験の上に、さらに高く積み上げられたものだった。
谷口雅春-text