北洋漁業の舞台は太平洋北西部、ベーリング海、オホーツク海。高川はオホーツク海で操業中に、漁網について上がってくるよく似た貝、ホタテガイとアラスカニシキガイのちがいに興味をおぼえ、そこから貝類研究をはじめた。当時の日本の貝類研究の対象は南洋貝類の調査研究が主流で、北洋の貝については図鑑や文献も整っていない。高川の収集は、そうした実情を一変させるインパクトを持っていた。コレクションには、それまで実物の標本が少なかった貝やまったくの新種が多数含まれ、「タカガワバイ」など、のちに高川の名が冠されたものもある。
日本貝類学会にも入会して、通信士の仕事に在野の貝類研究者の顔をあわせもつことになった高川だが、標本には採集の年月日、場所、採集者が正確に明記されていて、採集時の状況まで記録されているものが少なくない。学術的にきわめて優れたコレクションだ。また、漁業水域の移りかわりや領海法の改定などで現在では漁も採集もできない海域の貝ばかりだから、その価値はますます高まっているといえる。
日露戦争の勝利(1905年)から本格的にはじまった北洋での日本の漁業は太平洋戦争の敗戦によって途絶えたが、1952(昭和27)年のサンフランシスコ講和条約発効によって復活。以後米ソの200カイリ漁業専管水域の設定(1977年)などで終焉を迎えるまで、北洋公海での母船式サケマス漁業は母港函館に途方もない富をもたらした。キャバレーや飲食店が集まる大門地区が不夜城と化したのもそのたまものだが、高川コレクションもまた、その大きな富のひとつだ。
谷口雅春-text