小説家の筆が描いたまち。書かれた時代と現在。土地の風土と作家の視座。
「名作」の舞台は、その地を歩く者の眼前に何かを立ちのぼらせるのだろうか。
*この連載は、作家の合田一道氏が主宰するノンフィクション作家養成教室「一道塾」(道新文化センター)が担当しています。
第14回

夏子の冒険(三島由紀夫)

あらすじ

20歳の美貌の令嬢夏子は、結婚への夢を捨て、修道女になると決断する。しかし函館の修道院へ向かう途中、偶然出会った青年に一目惚れし、駆け落ち同然の旅に出る。北海道の森を舞台に26歳の三島由紀夫が描いた、お嬢様の真剣で滑稽で人騒がせな冒険とは…。

若き作家を魅了した神秘の森

渋谷真希/一道塾塾生

「あたくし修道院へ入る」

小説の冒頭から夏子は、こう宣言して家族を翻弄する。
お嬢様の気まぐれかと思いきや、その真意は意外に純粋で乙女チックで真剣そのもの。
美貌の夏子は次々と求婚されるが、相手の男性を軽薄で人生を賭ける情熱など一つも持ち合わせていないと、手厳しく批判しては振り捨てる。夏子は自分の裡にある情熱と、同じように激しく強い情熱としか共鳴できないのだから。

「まるで袋小路の行列だわ」と夏子が言った。(中略)「あの中のどの男のあとについて行ってもすばらしい新らしい世界へ行ける道はふさがれていることがよくわかるもの」

この当時の風潮とはいえ、結婚以外の選択肢がないというのは気の毒な。家族の猛反対を押し切るのに自殺未遂までやらかして、以前から憧れていたシトオ修道女が住む函館のトラピスト修道院に向かう。夏子にとって何もない世界は新鮮で、修道女になるということは、後戻りができない素晴らしい冒険に思えるのだった。
ところがその途中、銃を持つ青年を見かけ瞳の美しさに一目惚れ。

海をじっと見詰めているその目の輝きだけは、決してざらにあるものではなかった。(中略)森の獣のような光を帯びていた。(中略)深い混沌の奥から射し出て来るような、何か途方もない大きなものを持て余しているような、とにかく異様に美しい瞳であった。(中略)都会の若者たちの、軽薄な、実のない、空虚な目、(中略)誰一人としてこれだけの目の持主はいなかった。
この目こそ情熱の証である。

青年の名は井田毅。千歳川上流のランコシコタンに住む恋人を四本指の熊に惨殺され、敵討に北海道へ行くという。地元の猟師が悪霊の化身と噂し恐れる異形の熊を討ちに。
夏子は毅の劇的な話を聞くうちに、急に人生に対する子供のような好奇心が蘇って来た。すっかり興奮して、鮮やかに自分から毅に接吻し、強引に敵討の旅へ同行する。

夏子と毅が夜更けに歩き回った烏柵舞橋の辺り

「修道院へ入るのが、嫌になりました」

置手紙を読んだ家族は大騒ぎ。ここから、若者の熊討ち大作戦と、金持ちマダムたちの夏子生け捕り大作戦が、札幌から白老、支笏湖の神秘的な森の中で展開される。
初めは戸惑う毅も次第に夏子に惹かれ、満天の星の下、熊をしとめたら結婚しようと約束をする。ところが、熊は神出鬼没。ようやく辿り着いた古潭では、女連れの毅にあの人食い熊は討てないと、冷淡に追い返される始末。宿もなく途方にくれ、星月夜の真っ暗い道を歩く二人。厳しい自然の中を生き抜く人々に、向こう見ずな都会の若者など、簡単に受け入れられない現実を痛感する。

あの森の彼方、あの流れの奥に、二人のめざす一頭の兇悪な熊がいる。(中略)二人にとってその熊は、仇敵なのか、それとも理想なのか、見分けがつかなくなっていた。

果たして夏子は、人生を賭けるに相応しいものを見つけることができたのだろうか?
「夏子の冒険」は、昭和26(1951)年、「週刊朝日」に掲載された。2年後に人気俳優の出演で映画化されたことから、この北海道の旅物語が大好評だったことが伺える。
毅と夏子が歩き回った暗い夜道は、千歳市から支笏湖畔へ通じる、道道支笏湖公園線。
現在は「支笏湖スカイロード」の名称でも呼ばれ、鬱蒼とした樹海を通り抜けると、遥かに見える山々の稜線が美しい。

ランコシコタンへ向かう道


三島由紀夫(みしま・ゆきお)

大正14年(1925)年~昭和45(1970)年。本名・平岡公威(きみたけ)。東京に生まれる。戦後の日本文学界を代表する一人で、ノーベル文学賞候補にもなった。昭和45(1970)年11月25日、自ら組織した「楯の会」の隊員とともに、東京の自衛隊市ヶ谷駐屯地で自決。
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