小説家の筆が描いたまち。書かれた時代と現在。土地の風土と作家の視座。
「名作」の舞台は、その地を歩く者の眼前に何かを立ちのぼらせるのだろうか。
*この連載は、作家の合田一道氏が主宰するノンフィクション作家養成教室「一道塾」(道新文化センター)が担当しています。
第37回

日本の黒い霧・白鳥事件(松本清張)

あらすじ

戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は、日本の民主化を推し進め、非合法だった日本共産党も合法政党として活動を始める。昭和24(1949)年に中華人民共和国が成立し、朝鮮半島も一触即発の情勢となると、GHQは一転して、日本を反共の防波堤にする政策に変える。札幌市公安警察の白鳥一雄警部(36)が射殺された。警察は共産党の犯行と確信し、多くの党員や学生を逮捕する。だが、冤罪の指摘もあった。清張は、彼独自の推理を展開していく。

清張が抱く大いなる疑惑

河原崎暢/一道塾塾生

昭和二十七年一月二十一日の午後七時半ごろのことである。札幌市内を蔽った雪は、暮れたばかりの夜の中に黒く吸い込まれていった。南六条の西十六丁目辺りを二台の自転車が走っていたが、突然、銃声が聞こえると、その一台は雪の上に倒れた。もう一台の自転車はそのまま、三百メートルくらい進んで、やがて闇の中に消えた。

今、歩くと、電停の近くに大規模ストアもあり賑やかな住宅街だ。当時は、凍った道路に暗い街灯がちらほら見えるだけだった。それでも4人の目撃者がいる。
パーンという音を2回聞いた後、一台の自転車は西17丁目通りを南方向に消えた。雪上に倒れていた男が白鳥警部で、犯人の特徴は一瞬のことで良くわからない。
白鳥は北海道芽室町生まれ。戦中に特高警察として左翼活動を抑え、戦後、札幌市警の警備課長になると、共産党活動の監視や風紀の取り締まりにあたった。共産党の方針が武力闘争に変わると、その弾圧の元凶と恨まれる。
この夜、中央署を出た白鳥は、南4条西4丁目の薄野歓楽街のバーに立ち寄る。ここは、CIC(米軍陸軍防諜部隊)のアジトで、右翼活動家や暴力団も出入りしていた。清張は、白鳥とCICは密接な関係があったと推測する。

路面電車通から西側を見る。中央の白色マンション付近で撃たれた


札幌市中央区南6条西16丁目の犯行場所。犯人は交差点を左に曲がり逃走する


現在の地図より。X印が犯行現場

国警は、当時、風雲急な北海道の警備に全力を集中していた。単に日本側のみならず、アメリカのCICも、その優秀なメンバーを当時の北海道に投入していた。それは、朝鮮事変が終わった直後であり、アメリカとソ連の関係、或いは中国関係が非常に緊迫した時期であったことが背景にある。

GHQ指令により、共産党員が、それぞれの職場から大量に解雇されると不穏な事件が続く。昭和25年に朝鮮戦争が勃発すると、米軍は北海道の石炭を優先的に使用した。共産党は、輸送中の石炭貨物列車を襲撃することを企てる。この時の指揮官が、共産党札幌委員長だ。白鳥がこのような動きを抑えると、殺害予告をする多くの手紙が送られて来た。正に、札幌は日本で最も警戒が必要な地域となっていた。
警察は、白鳥殺害を当初から共産党の仕業との見方をする。この頃、警察は国と地方自治体の二重構造で、お互い反目し合うのもあり捜査は難航した。ところが、事件から4か月後、札幌の共産党員Nが、伊豆の温泉街で保護されると、捜査が一気に進む。共産党札幌委員長を含む党員OやTらが次々に逮捕され、実行犯を含む7人を殺人または幇助罪で指名手配した。
Oは委員長命令でSが2発撃ったと証言し、さらに、幌見峠で射撃訓練をした供述もあり、2年後に実地検証をする。幌見峠でTが発見した弾丸は、白鳥から摘出された弾丸の種類と一致した。
清張は、次のように推理する。
現場に落ちていた薬莢が一個であることから、犯人は、相手の心臓を一発で打ち抜く射撃のプロに違いない。目撃者は、反響した音を2発目と錯覚した。すなわち、Oは目撃者の証言を書いた新聞記事の内容をそのまま供述し、Tの見つけた弾丸も錆はなく偽装と推測する。
殺害される前、白鳥はS信用組合の不正の摘発もしていた。だが、その理事長がCICの資金源という関わりを不幸にも知らない。犯人は理事長に雇われた軍隊関係者と憶測した。
最後に清張は、もう一つの推理をしている。戦前に非合法の共産党を壊滅させた特高警察のスパイMの事だ。Mは共産党幹部になると、党員に謀略を誘導し、世間に党が悪の印象を植え付けさせたのに成功した。白鳥事件は、検察はなぜかN、O、Tら転向した党員の証言を立件の決め手にして、裁判官は彼らを執行猶予の判決で終了させる。
小説は、次の様に締め括る。

全く別なショッキングな事件が他に起きたとしても、結果的には、やはり同じ「札幌の共産党の仕業」になったであろう。(中略) 見るがいい、「白鳥事件」が起きて、北海道で最も強く、全道の中心だった札幌地区の日共地下組織は、めちゃめちゃに壊滅し去ったではないか。これこそ「白鳥事件」を起こした者が狙った効果ではなかろうか。

今でも、事件は闇の中だ。

Aが白鳥警部の体内から摘出された弾丸。BとCが幌見峠で発見された弾丸。錆びていないのが解る(写真出典:本書より)


松本清張(まつもと・せいちょう)

1909-1992。福岡県北九州市生まれ。1953年に『或る「小倉日記」伝』で芥川賞を受賞。『ゼロの焦点』『日本の黒い霧』で、戦後日本を象徴する作家になる。推理小説や歴史小説を中心に執筆。代表作に『点と線』『砂の器』など。
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