好きになると、知りたくなる。
知ると、もっと好きになる。
映画と北海道をつなぐコラム「映画と握手」。
観た方歓迎、観てない方大歓迎!
新目七恵-text & Illustration
第6回

「居酒屋兆治」

“酒を飲むのは修行であり、酒場は品性を向上させるための道場であり、戦場だと思っていた。”とは、『居酒屋兆治』の原作者・山口瞳氏の文章だ。がむしゃらに酒を飲み、酒場では一段と声が大きくなりがちな私はドキッとしたけれど、実はこの文はこう続く。“酒では失敗ばかりしていた。(中略)酒だけを考えてみても、この人生大変なんだ。”
酒を愛し、酒飲みに優しいまなざしを注いだ山口氏。東京にあった行きつけの店をモデルにした彼の小説『居酒屋兆治』は、サラリーマンを辞め、小さな焼鳥屋を営む主人公・藤野と、彼を取り巻く人たちの人生模様を描いた物語。舞台を北海道・函館に移し、高倉健主演で映画化したのが本作だ。

初めて観た12年前、私は函館に住んでいて、観光地化する前の金森赤レンガ倉庫や人が行き交う中島廉売、夜の朝市、函館山麓の坂道など、毎日のように目にする街の面影になんだか懐かしい印象を受けた。もしかしたら本当に、この町の路地裏にはあんな居酒屋があったのかもしれない。そんな錯覚を抱いていたら、あるとき街中で「居酒屋兆治」という看板を見つけてびっくり。さっそく取材を申し込んだら断られてしまったけれど、その後、健さんが通ったというラーメン店の店主や、ロケ現場に何度も足を運んだという健さんファンの喫茶店マダムなど、本作に特別な思いを持つ人たちから話を聞くことができた。そうした出会いの数々も私にとっては忘れられない思い出だ。

情緒豊かな港町を背景に繰り広げられる人間ドラマの中でも、私のお気に入りシーンはラスト、兆治夫婦が会話する場面だ。かつての恋人・さよ(大原麗子)の存在に心を乱されていた兆治(高倉健)に、妻・茂子(加藤登紀子)はこんな言葉をもらす。「人が心に想うことは、誰にも止められないもの」。これは映画オリジナルのセリフで、20代だった私は〝大人の世界〟を感じてしびれたけれど、その後結婚し、母親になってみると、凛としたその言葉の裏にある不安や痛みを感じるようになった。それは、我が子を置いて出奔し、酒に溺れたさよに対しても同じで、「何て身勝手な女だろう!」と当時は怒りすら覚えたけれど(笑)、彼女と同じだけ歳を重ねた今なら、親になりきれず、道を外した彼女のやるせなさに思いを馳せることができる。

映画公開から36年が経ち、ヒロイン・大原麗子、主演の高倉健、そして今年5月には降旗康男監督が鬼籍に入ってしまった。享年84。本作を含め健さんと何度もタッグを組み、『駅 STATION』(81年)『鉄道員(ぽっぽや)』(99年)といった北海道ロケの名作を生み出し、『新網走番外地』シリーズ(69~72年)や『日本女侠伝 真赤な度胸花』(70年)なども手掛けた職人監督だった。「オホーツク網走フィルムフェスティバル」にもゲスト参加しており、北海道との縁を晩年まで大切にしてくれたことも嬉しい。
人も街も移ろいゆく世の中で永遠があるとすれば、映画に刻まれた輝きなのかもしれない。先達の残した柔らかな光を思い出しながら、一人静かに一献傾ける。そんな夜があってもいい。


映画は函館のほか、札幌・すすきのでも撮影された。キャバレー勤めのさよ(大原麗子)が千鳥足で帰るシーンは、秋水ビル西側の裏路地が現場に。当時のパンフレットには「見物人は昼の撮影の三倍にもふくれあがった。そのなかで、同時録音の撮影とあってスタッフの緊張感はいっそう高まる。」とロケの様子が記されている。この通りは今も健在で、しかも(酒飲みには)嬉しいことに赤提灯の店がある! ここは焼鳥屋「鳥てん」。映画公開後にオープンし、今年19年目を迎えるそうだが、カウンターがメインの小さな店内は映画のような居心地の良さがある。夏の夜、炭火でじっくり焼いた串を頬張りながら一杯…うん、思い出しただけでちょっと幸せな気分になる。

●やきとり 鳥てん(札幌市中央区南6条西3丁目 むつみ会館1F、TEL:011-518-4739)

「居酒屋兆治」1983年/降旗康男監督/出演・高倉健、加藤登紀子、大原麗子、田中邦衛/126分

新目七恵(あらため・ななえ)
札幌在住の映画大好きライター。観るジャンルは雑食だが、最近はインド映画と清水宏作品がお気に入り。朝日新聞の情報紙「AFCプレミアムプレス」と農業専門誌「ニューカントリー」で映画コラムを連載中。

ZINE「映画と握手」
新目がお薦めの北海道ロケ作品や偏愛する映画を、オリジナルのイラストと文で紹介するA3四つ折りサイズの手作りミニ冊子。モノクロ版は、函館の市民映画館「シネマアイリス」、札幌の喫茶店「キノカフェ」、音更のカフェ「THE N3 CAFÉ」で随時配布中。

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