離れてもう10年が経つというのに、函館の街のことが忘れられない。自分でも不思議に思っていたら、こんな文章に目が留まった。
輪郭は輝き、山は息づき、発光体になっている。生きているんだ、と僕は思った。あの山は、呼吸をし、生き、僕を見つめているんだと思った。
佐藤泰志の連作短編集「海炭市叙景」の中の一編「一滴のあこがれ」に出てくる少年が、山の現象を目撃する場面。突飛なイメージのようだが、函館をモデルとした街が舞台だと思えば腑に落ちる。あの山には、あの街には引力がある。佐藤の著書を開くたび、彼の原作映画を観るたび、私はそう考える。
2010年の『海炭市叙景』に始まった佐藤文学×函館有志による映画化は、『そこのみにて光輝く』(14年)『オーバー・フェンス』(16年)『きみの鳥はうたえる』(18年)と続いた。国内外で高評価を受けた作品もあり、第1弾に市民スタッフとして携わった私は誇らしかった半面、実はちょっと不満だった。というのも、『海炭市』以上に心を揺さぶられることはなかったからである。
特に『そこのみ』はタイミングが悪かった。人生初の出産を経験し、授乳に苦戦中だった私は、男女の絡み合いに全然感情移入できず、性の描写に嫌悪感さえ抱いたのだ。
ところが今、観直してみたら、なんと豊穣な映画であることか! 冒頭から主人公・佐藤達夫(綾野剛)の色気にしびれ、千夏(池脇千鶴)の情感あふれる演技に心乱れ、弟・拓児(菅田将暉)の愛嬌に笑っていたら、彼が最後に見せた気迫に参ってしまった。何観てたんだ私は!と6年前の自分を張り倒したい気分で見入ったラストシーン。
浜辺で立ち尽くす千夏に、朝日が差し込む。黒いシュミーズ姿が眩い黄金色に包まれていく…。
と、そこで私はてっきり池脇の全身が輝くように記憶していたけれど、実際は顔のアップだけ(このときの表情が凄まじく素敵だ!)。ありもしないシーンを夢想するほど、実は強烈なインスピレーションを受けていたらしい。
映画は第一印象がすべてではない。冒頭に挙げた海炭市の少年は、街に越してから何度も胸に「亀裂のような虹色の光」を感じる。
(前略)また一瞬、胸深く、虹色の輝きが走り抜けた気がした。でも、それは一本ではなく、何本にも感じられた。きっと、さっき見たと思った山からの発光体のひとつが、もう僕の中に入っているんだ。
きっと、私の中にも“光”が入り込んでいるのだろう。佐藤泰志と函館の街が放つそれは強く、心の奥底深くまで届いている。
「そこのみにて光輝く」2014年/呉美保監督/出演・綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉/120分 「オーバー・フェンス」2016年/山下敦弘監督/出演・オダギリジョー、蒼井優、松田翔太/112分
「きみの鳥はうたえる」2018年/三宅唱監督/出演・柄本佑、染谷将太、石橋静河/106分
新目七恵(あらため・ななえ)
札幌在住の映画大好きライター。観るジャンルは雑食だが、最近はインド映画と清水宏作品がお気に入り。朝日新聞の情報紙「AFCプレミアムプレス」と農業専門誌「ニューカントリー」で映画コラムを連載中。
ZINE「映画と握手」
新目がお薦めの北海道ロケ作品や偏愛する映画を、オリジナルのイラストと文で紹介するA3四つ折りサイズの手作りミニ冊子。モノクロ版は、函館の市民映画館「シネマアイリス」、札幌の喫茶店「キノカフェ」、音更のカフェ「THE N3 CAFÉ」で随時配布中。