週末だけの喫茶店が誕生するまで

撮影をした日、目の前の水田で稲刈りが行われていた。そしてなんと、数日前に大きなペアガラスに鳥がぶつかり、外側の窓が見事に割れて9月末の修理待ち。この水田は高柳家伝来の土地だが、自分たちで耕作はできないため、昨年に売却したという

岩見沢の中心部からおよそ20分車を走らせて到着するコンテナハウスの店は土日だけの営業。妻の「手作りスイーツを提供する店をやりたい」という希望を夫の定年退職後に形にし、夫婦二人で切り盛りしている。外に向いたカウンターの向こうには水田と里山の風景が広がっていた。
髙柳広幹(髙柳珈琲店経営)-text 伊田行孝-photo&caption

喫茶店との出会い

1975(昭和50)年、高校を卒業して岩見沢市内にある職場に就職しました。そこに同期で入社した6歳年上のOさんとの出会いが私の人生に刺激を与えてくれました。
職場は入所当時から忙しく、土日も関係なく毎日夜9時頃までの残業続きで、楽しいことは何もありませんでした。当時の私には特に趣味もなく、自宅と職場の往復の毎日でした。
半年ほど過ぎて仕事も少し落ち着いてきた頃、Oさんに職場の近くに新しく建てられた喫茶店に誘われました。 
店の名は「ゴヤ」。とてもモダンでセンスが良く、ジャズがかかっていた記憶があります。
珈琲は深煎りで、添えられてきたクリームはホイップされていました。一口飲むと想像以上に苦かったのですが、砂糖を入れなくてもホイップクリームを入れるとまろやかになり、やがてこの珈琲の味が好きになってきました(当時は酸味が強いものが多かった)。
また、店の雰囲気と女性店主(ゴヤママ)の魅力、そして店員の人たちも皆話しやすく、毎日1~2回(昼休みと勤務後)と通い始め、二階のジャズ喫茶「志乃」にも行くようになりました。
詳細は省きますが、妻とは「ゴヤ」を舞台に出会い、結婚することに…。
また、もう一軒「琥珀」という喫茶店が街中にあり、こちらにもよく通いました。男性店主(栗さん)が魅力的で、多くの人から好かれ博学でした。後日、琥珀を事務局にして映画好き10名ほどで「岩見沢映画サークル」を設立しました。
両店主の共通点はお酒とJAZZが大好きで、店は年中無休で元旦も営業していたことです。
やがてOさんに誘われて札幌の喫茶店にも行きはじめました。
最初に連れていかれたのは「ELEVEN」。店に入ると天井からコーヒーカップが数百個ぶら下がっていて、人の出入りが多いことに驚いたものです。珈琲は深煎りで、ゴヤと同じチモトコーヒーでした。
大谷会館地下の「OFF」もとてもセンスのいい店で、かかっていたレコードから流れるJAZZの曲が特に印象に残っています。
それから私の毎週末の札幌通いが始まり、喫茶店巡りや映画館廻りが日々の楽しみになっていきました。それに伴うように喫茶店のマッチや映画のポスター・チラシ・パンフレットを集めだしました(平成からはショップカードを集めはじめ数百枚になっている)。
喫茶店は珈琲の味にこだわっていた「可否茶館」、「らんばん」、「北地蔵(閉店)」、「サンパウロ(閉店)」等やロック喫茶やジャズ喫茶、新しくできた店など、とにかくよく行きました。

かつては多くの喫茶店で提供されていたオリジナルのマッチ。懐かしい店の名も見える。それでもかなりのマッチを整理したらしい

近年は「ミンガスコーヒー」、「ハリネズミ珈琲店」、「ベーシック」、「ネルドコーヒークラブ」等が好きな喫茶店となっています。「カフェ・ド・ノール」と「ラッパかんかん」、「岩田珈琲店」、「さっぽろ珈琲工房」などは閉店となり、とても残念に感じています。
店主やお客さんとの会話も楽しく、いろいろな話題で盛り上がることもあり、珈琲はもちろん、こうした人との交流もまた、喫茶店の魅力だと思います。
職場の出張や研修で道内外へ行くことがあれば、老舗喫茶店やジャズ喫茶などを事前に調べて行くことを楽しみにしていました。

喫茶店巡りをするうちに、自分でも珈琲を淹れるようになりました。最初は可否茶館がペーパードリップしているのを見て、自宅でも器具があれば珈琲を淹れることができるのではと思い、早速カリタとメリタのドリッパー、手回しのコーヒーミルとポットを購入して、試行錯誤が始まりました。
豆は札幌で喫茶店や映画館を回る途中、大手豆販売店(ウエシマ、三本、キング、美鈴他)か、スーパーで挽いてある豆を買っていました。
しかし、自分で淹れても喫茶店で飲むような美味しさを感じません。もちろん、素人なので喫茶店のような味にできないのは当然なのですが、ある時、豆が浅煎りで鮮度も悪く、酸味が強くて酸っぱいのだと気づきました。
それから、やや深煎りの豆を選んで淹れると酸味より苦みが勝り、自分には美味しく感じられ、また、ドリッパーもいろいろと試した結果、円錐形が自分には合っているとわかりました。ポットも口先が尖って細いお湯が出るものを代えると、少しずつ美味しくなっていくのを実感することができました。
そのころから、自家焙煎した豆を販売する喫茶店が増え、より好みでおいしい豆、深煎りの豆を買えるようになっていきました。その後は、多くの店で、いろいろな豆を買って、自宅で試すことも楽しみの一つになっていきました。

道道38号(夕張岩見沢線)からほんの少し入ったところにある。うっかりすると通りすぎてしまう。この看板を目印に

念願の週末喫茶店オープン

私の家では結婚当初から、毎日朝食後に私が淹れた珈琲を飲みながら妻の作ったお菓子を食べるという習慣が現在まで40年間続いています。結婚当初は昼食後(昼休みも自宅に帰って食べていた)も夕食後も。つまり1日3回、珈琲とお菓子を楽しんでいたわけです。
妻は平成9年から自宅でお菓子教室を23年間続けていて、将来は教室の生徒だけでなく、一般の人たちにも自分の作ったお菓子を食べてほしく、その店舗をやりたいと思っていたそうです。それは作って売るだけの店ではなく、お客さんとお菓子の感想や話題を話せる空間であり、ではどんな店かと考えていくとお菓子と珈琲を楽しめる「喫茶店」になるわけです。
妻は以前から私が定年退職したあとを目標に、場所と建物などを検討していたそうです。
私の職場が60歳から65歳に定年が延長になり、両方の親も健在だったこともあり目標年次は遅れましたが、私の実家跡地に念願の喫茶店『髙柳珈琲店』を昨年10月中旬に開業することができました。

店内はコンテナをベースにしたとは思えないほど広く、落ち着く。
丸テーブルや椅子は札幌と奈井江の骨董品店で見つけたもの

CDよりもレコードをかけているという。奥様の葉子さんは「こんな小さい店に、なんでそんな立派なオーディオが必要なのかと言ったけど聞く耳を持たずです」と笑う。レジの下でレコードが回っていた

二人とも、商売はまったくの素人で不安だらけでした。そもそも、もう10年ほど前になりますが、妻がお菓子教室を閉めて喫茶店をやりたいと初めて聞いたときはとても驚きました。二人とも事業経験はなく、まして飲食店経営は非常に難しいと思ったのです。客商売という点でも、妻が結婚前に洋菓子店に勤務していた経験だけです。
それでも、そこまで考えているのならと、希望を聞いた後に岩見沢市が開催している「創業塾」に二人で申し込み、受講しました。妻は真剣に講師の話を聞いていましたが、私はその時点ではまだ自分事としてとらえておらず、事業計画書や複式簿記、収支決算書など面倒なことが多いなと感じながら、妻の隣でお付き合い程度に聞いていました。
その後、実際に創業された喫茶店などを見て回りましたが、積極的に開業する気持ちにはなかなかなりませんでした。
妻は街中では開業したくなく、できるだけ自然環境がよい場所でやりたいと思っていたようです。私の実家跡地が最終候補になったときは先祖の土地を守れることから、少しはうれしかったのですが、商売として本当に店をやっていけるかは不安でした。
しかし、店から500メートルほど離れた場所にメープルロッジという温泉施設があり、最近とても宿泊客が増えてきたこと、またこの辺りの地域に移住者が増え活気が出てきたこともあり、この場所に新しい建物を建てて開業してもいいかと思うようになりました。
2023(令和5)年6月からは私一人で2回目となる創業塾へ通い、10月開業へ向けて今回は真剣に受講しました。
それでも本当に、ここにお客さんが来るのかと思っていましたが、お互いの友人知人、そしてSNSを見ていただき、わざわざ足を運んでくれる人がいて、とても感謝しています。
私は退職後も平日は仕事をしていることから営業は土曜、日曜日だけにしていますし、冬期は店舗の除雪費用も負担となることから12月~翌4月までは休業しています。
生豆の購入・焙煎は30年以上、自宅で趣味として焙煎を行っている札幌在住の弟に頼み、毎週カフェ横のプレハブ小屋で豆を焼いてもらっています。
お菓子類は月替わりのメニューを決めて、すべて妻の手作りです。

(上)カウンターには弟さんが毎週焙煎する豆が並ぶ
(下)葉子さんお手製のケーキが月替わりで楽しめる。右の珈琲は「大」

まだまだ不慣れで想像していなかった苦労もあります。商売をやられている方から見れば、何をいまさらと笑われそうですが、いくつか列挙してみます。

  • 最初のメニュー作り(品数)と価格の設定
  • 利益を上げないとならないが、客の立場からは安い方がいいのでは、とつい考えてしまう(妻はすべて手作りなので安売りはしたくない、正当な価格で販売したいという考え)
  • 土日二日間の営業なのでお菓子の売れ残り処理と逆に土曜に出すぎると翌日のお菓子が不足となり、帰ってから妻が夜にお菓子を作ることとなり負担となる
  • 支払いは現金だけなので、金銭の間違いがある
  • 込み合ってくると注文品を間違ったり、運ぶときに慌ててこぼしたり落としたりする
  • 複数の来客があるとパニックになる時がある → 最近は少し慣れてきて何とか対応
  • 飲み物とお菓子を持っていくタイミングが難しい(作る時間が飲み物でも違い、お菓子もすでにできているものとオーダーされてから作るものがあるため)
  • 私は珈琲淹れとアイスドリンク作り、妻は紅茶他と役割を決めているが、お菓子類はすべて妻が担うため作業が多く、私が的確に動いて補助してほしいとのことだが、なかなか二人が思った通りに作業ができないことが多く、妻の不満となっている
  • レジ打ちも簡単そうだが、慣れるまでよく間違えるのでレジ表と現金と伝票がすべて合うことが営業当初の去年はなかった(今年はほぼ改善された)
  • 複数の珈琲の注文が入ると気持ちに余裕がなくなり、同じ味が出せていない
  • 分量を量って作る飲物でも氷の量や材料の種類などで微妙に違ってくるので、同じものを提供することが難しい
  • 自分が客の場合、注文した品物は簡単に出てきたように見えていたが、実際はたくさんの作業をしていて大変なことがよ~くわかった

こうした開業前には思いもしなかった苦労はありますが、妻とはまず5年継続を当面の目標とし、それをクリアできれば私が75歳になる10年間の営業に向けて頑張ろうと話しています。店までは自宅から車で約20分かかるので、運転技術なども今後の不安材料となります。

2024年9月のメニュー

私は永年いろいろな店を巡って、珈琲の味や店主・店員の人柄や店の雰囲気、お客さんとの会話など、お気に入りの喫茶店には何度も通わせていただいています。そして、新たなお気に入りの店を見つけると本当に嬉しくなります。
今は携帯電話が普及して、喫茶店が待ち合わせの場として利用されることも少なくなりました。そして、ほとんどの店が禁煙となり、オリジナルのマッチ箱を置く店はほぼ絶滅しました。口コミは人づてではなくスマホの画面越しという時代となりました。あらゆる面で昭和とは変わってきていますから、私たちが喫茶店を経営していくうえでも様々な考慮をしていかなければいけないと感じています。

先祖が入植した場所で喫茶店を始めることになるとは夢にも思っていませんでした。そして、妻の「お菓子を作り、それを売り、お客さんと話しをする」ための店を出したいという希望がなければ、65歳を過ぎて次のステップへ歩を進めることはありませんでした。文字通り「第二の人生」です。いろいろと妻に怒られながらの毎日ですが、(きっと)日本中の家庭がそうであるように、気づかない顔をしたり、愛想笑いを向けたりしながらも、実は本当に感謝しているのです(これを妻が読むことを20%くらい意識しての言葉ですが…)。
高齢になってからの起業です。かといってお金儲けを狙ってのものではありませんし、私がそうだったように、この空間で喫茶店や珈琲を好きになってもらえたり、多くの人たちの出会いの場になるようなことがあれば、何よりだと考えています。また、田舎の週末の喫茶店が私の張り合いと活力の元になってきているのです。

「気がつくと、私の名刺に“店主”と入っていたんですよ。まったく、もう」と文句を言う葉子さんの横で、聞こえないふりをする広幹さん。厨房で動くお二人からは居心地の良い空気が流れてくる


高柳珈琲店
北海道岩見沢市毛陽町124
TEL:なし
営業:土日11:00〜17:00(L.O.16:30)
※ 平日は休み、12月〜4月休業
座席数:8席
駐車場:あり
支払い方法:現金のみ

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