アポイ岳ジオパーク

地球の奥深くから現れた、豊かなる緑の世界へ。

様似町市街のエンルム岬からアポイ岳をのぞむ。海に突き出した陸繋島のエンルム岬が天然の良港となり、江戸期から様似のまちが拓けた。海側の尖った山がアポイ岳

地球内部のマントルを作っている緑色の岩石「かんらん岩」は、地球の約80%の体積を占める。つまり、地球のほとんどは「かんらん岩」でできているのだ。地下深くにあるため、普通は直接見られないのだが、北海道には見られる場所がある。それは、様似町のアポイ岳。緑の岩が作りだした世界を、実際に登りながら体験してみた。

柴田美幸-text 黒瀬ミチオ-photo


巨大なエネルギーがぶつかり合った痕跡

アポイ岳は、標高約810mと、そう高い山ではない。高山植物の名所で知られ、子どもから年配者まで気軽に登れる山として親しまれている。登山道を歩き始めると、2人のおじいさんが楽しそうに話しながら前を行くのが見えた。
登山道入り口から山小屋のある5合目までは針広混交林の森だ。すぐ近くでクマゲラが驚いたように飛び去っていく。道端の乱暴に掘り返された木の根元は、ヒグマのしわざだろうか。
アポイ岳では、北方の針葉樹であるアカエゾマツやトドマツに、本州の山で見られるゴヨウマツ、落葉樹のサンショウ(山椒)などが低い場所で混じりあう。ここを北限(あるいは東限)とする植物と、本来はもっと高い場所にある植物が共存している。

登山道を這うように伸びる木の根。かんらん岩は硬いため土になりにくく、土壌が薄いので根を深く張ることができない

5合目(約350m)にたどり着くと、ガラリと風景が変わった。木々が姿を消し、先には岩だらけの世界が広がる。見晴らしも良くなり、眼下に様似のまちと海が見えてくる。ここから上は森林限界だ。本来はもっと高い場所でないと森林限界にならないが、この山では事情が違う。地面を這うようにハイマツが生え、さらに上の岩場では、アポイアズマギク、アポイハハコ、アポイクワガタなど、固有の高山植物が可憐な花を咲かせている。
だが、同行したビジターセンターの田中正人学芸員によると、「昔は緑が少なく岩場が多い高山植物が好む環境でしたが、ハイマツに覆われ始めています。温暖化が原因かもしれません」。一見、緑豊かでも、それが“良い環境”とは限らないことを教えられた。

タンポポに似たエゾコウゾリナ(固有種)など、固有種や固有変種を見ることができる

アポイ岳は、2つのプレートの衝突というダイナミックな運動から生まれた。約1300万年前、西側のユーラシアプレートと、東側の北米プレートが衝突して日高山脈ができた。その南端では、数十キロ地下深くにあるマントルの一部が突き上げられて地上に飛び出した。これがアポイ岳だ。
マントルは「かんらん岩」という緑色がかった岩石でできている。アポイ岳ではそれを地上で直接見ることができ、さらに、蛇紋(じゃもん)岩という性質の異なる岩石に変質することなく、マントルそのままの“新鮮”な状態を保っているのが珍しい。
しかし、かんらん岩に多く含まれるマグネシウムやニッケルといったミネラルが、植物の生育を妨げてしまう。だから、かんらん岩が露出する5合目を境に大きな木は育たず、擬似的な森林限界ができた。巨大な2つのエネルギーがぶつかり合う場所には、特殊な環境が生み出されたことがわかる。

保全活動に携わる「アポイ岳ジオパークビジターセンター」田中正人学芸員。植物や山の状態を定期的にチェックしている

暮らしの歴史を伝えるコンブと山道

海沿いの国道を、市街地から東のえりも方面へ進むと、穴があいた巨岩が見えてくる。このあたりは冬島という地区で、アポイ岳が海に沈み込む地点だ。幌満(ほろまん)川河口まで6kmにわたり、波に侵食された断崖絶壁が続く。大分県で名所の渓谷になぞらえて「日高耶馬渓(やばけい)」と呼ばれ、古くから交通の難所だった。
様似のまちは、松前藩の時代から東蝦夷地での交易の一拠点として拓けた。1799(寛政11)年、幕府の直轄領となり「シャマニ会所」が設置され、同時に北海道近海へ出没していた外国船の警備強化に伴い、断崖の上に「シャマニ(様似)山道」という内陸の道が開削された。町の郷土館には、「シャマニ会所絵図」という、山道がはっきり描かれた地図が残されている。
実は今、約7kmの山道がほぼ当時のまま、フットパスコースとして復活している。かつて途中に休息所があり、明治に入ると宿があったが、全貌はまだよくわかっていない。現在、発掘調査が行われている。

松前藩に献上するため描かれた「シャマニ会所絵図」。曲がりくねったシャマニ山道は楽ではなさそうだ。ほかにシオガマ山道、ヒラウ山道もあったことがわかる

このように、古くからアポイ岳周辺に人が往来し住みついた理由のひとつは、前浜で良質な日高コンブが採れたことにある。コンブには浜格差というランク付けがあり、特に日高耶馬渓から幌満川の前浜は上位とされる。品質に差が出る明確な理由はわかっていないが、かんらん岩に含まれるマグネシウムや鉄分などのミネラルが川から海へ溶け出し、コンブに影響を与えているらしい。高品質なコンブは貴重な交易品だった。
現在の様似では、コンブ干場にかんらん岩のかけらを敷いている。コンブ干しをしていた漁師さんは、「前は玉砂利を使っていたけれど、かんらん岩は重くてコンブにくっつかないからいい。風通しもいいしね」と話す。コンブは1日で干さないと、白っぽくなり評価が下がってしまうので、乾きの良さは重要だとか。「地元のかんらん岩を使ってるんだよ。知ってるかい、アポイ岳の」と誇らしげに言い、切り揃えて出たコンブの端っこをたくさん持たせてくれた。

様似町内のコンブ干場に敷かれたかんらん岩。干場は、かんらん岩の色で緑がかって見える

かんらん岩の渓谷がつくり出す、現代のパワー

コンブ干場のかんらん岩は、アポイ岳の東を流れる幌満川沿いから採掘されたものだ。アポイ岳を含む広大な「幌満かんらん岩体」を貫いて流れる川が、幌満峡という渓谷を作った。高低差が大きく急峻な流れを利用して、1935(昭和10)年、民間によって日高地方初の発電所が設置された。現在は新日本電工が操業している。
昭和20年代からある第3発電所を見せてもらった。年期は入っているが、現役で稼働中だ。中に入ると、大きなタンクのようなものが2台あり、ゴーゴーとすさまじい音を立てている。「この中に発電機があり、水車で回しています。機械以外はほぼ当時のままです」と、新日本電工の高橋敦さんが教えてくれる。
地階では、水の量を調節して、水車が毎分600回転するよう調整し電圧を一定に保つ。いわば発電の心臓部だ。司令を送る送電室は、さまざまな計器が並び、まるで秘密基地のよう。計器パネルはすべて手づくりというのにも驚いた。
水は上流のダム(幌満湖)から送られている。ダムのある場所には、険しい渓谷から一転、なだらかな土地が広がっていた。ちょうどかんらん岩体の端にあたり、地質の変わり目だという。ダムから下流を見ると、川の流れが急に狭まっているのがわかる。ダムはちょうど渓谷の出発点に作られ、発電に必要な流れのパワーが自然に生み出される。つまり発電所にとって理想的な地形で、かんらん岩が作り上げた天然の発電システム、と言っていいだろう。

1954(昭和29)年竣工の第3発電所。水は下流の第2発電所でもう一度利用され、海へ流される

幌満川が急に狭くなるのは地質の違いによる。ここが幌満峡のスタート地点

発電所を案内していただいた、新日本電工株式会社日高工場環境安全課長 高橋敦さん

アポイ岳に登って約2時間半。8合目の「馬の背」と呼ばれる場所にたどり着いた。
作物が採れる肥沃な土壌、植物を育む森、生き物が暮らしやすい気候や地形…。かんらん岩の地は、人が思い浮かべやすいそんな“豊かさ”とは対極にあるのかもしれないと、岩だらけの風景を見て考える。しかし、ほかのどことも似ていない独自の豊かさをもたらしたようだ。だからこそ、アポイ岳から眺める様似のまちは、こんなに美しいのかもしれない。

*文中の高橋敦さんの「高」は、はしごだかです。

アポイ岳8合目付近「馬の背」から様似市街方向をのぞむ。かんらん岩のほか、海からの霧や強風が山に特殊な植物相をもたらした

様似町アポイ岳ジオパーク推進協議会
WEBサイト
※幌満峡の発電所見学は様似町アポイ岳ジオパーク推進協議会にお問い合わせください
TEL:0146-36-2120


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