洞爺湖有珠山ジオパーク

「変動する大地」に暮らす喜び

恥を承知で白状するが、これまでずっと洞爺湖は有珠山の噴火でできたカルデラ湖だと思い込んでいた。
本当は洞爺湖のカルデラができたのが先で、11万年前。その後、湖の真ん中で起きた噴火により中島ができたのが5万年前、湖の南側で始まった火山活動で有珠山が誕生したのはもっと新しく、およそ2万年前だという。
今回、洞爺湖有珠山ジオパークを訪ねて、そのおいたちを初めて知った。

井上由美-text 伊藤留美子-photo


火山を通して見えてくる、自然とのつきあい方

2009年8月、日本で初めて「世界ジオパーク」に登録された洞爺湖有珠山。登録エリアは、伊達市、豊浦町、壮瞥町、洞爺湖町の1市3町に加え、洞爺火砕流の地質が広がる留寿都村と真狩村の一部も含まれている。洞爺湖有珠山ジオパーク推進協議会の加賀谷にれさんは、このジオパークのテーマを「変動する大地との共生」だと教えてくれた。
「火山の活動域のすぐそばにまちがある。場合によっては国道や住宅地の真下から噴火する可能性もある。こんな場所は世界でも類をみません」

有珠山は世界で初めて事前避難に成功した火山としても知られている。1910(明治43)年、前兆地震が始まったとき、室蘭の警察署長が指揮を執り、山から15km以内の住民を避難させたという。
このときの噴火後に湧き出したのが、洞爺湖温泉だ。今年がちょうど開湯100年。古くからの湯治場とばかり思っていたら、意外に歴史が浅いことも初めて知った。
その後1944(昭和19)年、1977(昭和52)年、2000(平成12)年と、有珠山は20世紀に4回噴火している。
「以前は、噴火のたびに災害の痕跡をきれいに消し去り、安全で美しい観光地としてアピールしてきました。しかし2000年の噴火後は、被害を受けた道路や建物を含むエリアごと保存し、防災や地学教育に役立て、観光資源に活用しようと変わってきた。これがジオパークの原点になっています」
2000年の噴火の被災地は大地の変動の足跡として保存され、今は誰もが自由に散策できるフットパスとして整備されている。なかでも温泉街に最も近い金比羅山コースを、洞爺湖ビジターセンターの後藤静さんが特別にガイドしてくれることになった。

洞爺湖ビジターセンターで自然体験業務を担当する後藤静さん

災害遺構散策路は7:00〜18:00まで開放(10・11月は17:00閉門、冬季は閉鎖)

金比羅山コースは2.3km、後藤さんの解説を聞きながらゆっくり歩いて1時間半の道のりだ。直径200mもの大きな火口湖、噴気で立ち枯れた白い樹木、熱泥流が流れたルートなどをたどって歩く。
次の噴火に備えて新たに造られた巨大な砂防ダムの内側には、巨大な橋桁が雑草に埋もれて鎮座していた。「600tもの橋が上流から100m押し流され、公営団地の角に激突して、向きを変えてここで止まったと考えられています」という後藤さんの説明を聞き、橋桁がぶつかった5階建ての公営住宅を見ると、1階部分が完全に泥流で埋まっていた。
すぐ近くにある町営公衆浴場だった「やすらぎの家」は、山側が流れ込んだ熱泥流でめちゃくちゃに破壊されているのに、谷側はガラスも壊れておらず、ほとんど被害がない。生々しい痕跡を見て、噴火の恐ろしさがリアルに想像できた。
「被災した住宅を数軒残したり、施設の中に移築して展示したりする場所は他にもありますが、ここは火山災害の遺構がエリアごと保存されているのが特徴です」と加賀谷さん。そのため防災教育をテーマにした修学旅行などに活用されることも多いという。修学旅行生をガイドすることもある後藤さんは「中学生にしてみれば、2000年の噴火さえ生まれる以前のこと。噴火の恐ろしさや避難の大切さはやはり絶えず伝えていく必要がある」と感じている。

2000年の噴火でできた火口湖。エメラルドグリーン色の水は、日によって変化して見えるそう

橋が激突して壊れた団地。1階は完全に泥流に埋まり、奥に傾いて見えるのが橋桁

しかしなぜ、危険な場所と知ってなお、人々はここに住むのだろう。洞爺湖周辺には、よそから移り住んでくる人も少なくない。東京出身の加賀谷さん、大阪出身の後藤さんも移住組だ。
「火山がもたらすものが災害だけなら、このへんに人は住まないはずです。でも洞爺湖が観光地として発展したのも、もともとは火山のおかげ。火山があるからこそ私たちはこんな美しいカルデラの風景や、気持ちのいい温泉や、水はけのいい台地で採れるおいしい農産物を味わえる。つまり火山からたくさんの恵みを受け取っているんです」と加賀谷さん。後藤さんも「それに有珠山は必ず前兆地震で知らせてくれる。リスクが明確だから対策がとれます」と補足する。つまりは、噴火への備えを引き受けることと、火山の恩恵を享受するのはセットだということなのだろう。

噴火から17年目、金比羅山は植物が徐々に芽生えて、植生が回復している最中

もちろん、地元では火山と一緒に暮らしていくための防災教育もさかんに行われている。子どもたちが学校に泊まり込み避難生活を体験する防災キャンプ、防災リーダーを育成する洞爺湖有珠火山マイスター制度など取り組みもさまざまだ。
「近年、有珠山は20〜50年おきに噴火してきました。これは、親が子どもに実体験として伝えることができるスパンなんです。2000年の噴火からすでに17年ですから、次の噴火のときには子どもたちが減災のリーダーとして活躍してくれることでしょう」と加賀谷さん。ジオパークを通して火山の恐ろしさだけではなく、いい面も知ってもらえれば、ふるさとに対する愛着も強まるのではないかと考えている。

そういえば、伊達市有珠に暮らしたアイヌ民族の歌人バチェラー八重子(1884〜1962)にはこんな歌がある。

幼ごろ恐しかりし有珠嶽に 今はこよなき親しみぞもつ

洞爺湖有珠山ジオパークは、マグマのうごめく地下の世界と、私たちの暮らす地上の世界が分かちがたく結びついていることを実感させてくれる貴重な場所だ。

洞爺湖有珠山ジオパーク推進協議会
WEBサイト


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