石屋製菓の創業は1947(昭和22)年。札幌市内で小さな駄菓子製造から始まった。しかし、昭和40年代の後半に入ると洋菓子が気軽に買えるようになり、駄菓子は衰退し始める。創業者の石水幸安と二代目の石水勲(現会長)が洋菓子開発を模索する過程で、当時ブームになっていたホワイトチョコレートと自社のラングドシャークッキー「シェルター」を重ねて食べてみると…。それが「白い恋人」誕生の瞬間だった。
食べやすく、北海道らしいお土産を追求し、たどりついたラングドシャークッキーとチョコの合体。しかし名前が決まらない。社員全員が頭を悩ませていた師走のある日、創業者が家に帰って玄関で「白い恋人たちが降ってきたよ」とつぶやいた一言で決まった。雪を見て1968(昭和43)年に開催されたグルノーブル五輪の記録映画「白い恋人たち」が思い起こされたのだろうか。二代目は後に「まさに運命的な一言だった」と語っている。
「白い恋人」は1976(昭和51)年に販売がスタートした。二代目は地道に百貨店を回り、その次に向かったのが千歳空港の土産店。そして飛び込みでANAのチケットカウンターにも足を向けた。「コネもなく、どこに売り込めばいいのか分からずにカウンターに行った」という。このときANAでは「でっかいどう、北海道」のキャンペーンを展開中。担当者を紹介され、試食してもらったところ「これはイケる!」。すぐに2週間の機内食として決定し、翌年にも採用。ここから口コミで広がって一気に全国区の北海道土産となった。
「白い恋人」のパッケージにはヨーロッパを思わせる美しい雪山が描かれている。この山は海外の山でも、空想のものでもない。深田久弥の「日本百名山」の頭を飾る秀峰・利尻山(1721m)だ。最もパッケージに近いのは沼浦展望台からの眺望。その展望台は2014(平成26)年6月に「白い恋人の丘」と名付けられた。
「白い恋人」のラングドシャークッキーは2012(平成24)年から道産小麦「きたほなみ」100%で製造されている。味や食感が変わっては本末転倒だし、何より安定供給へも不安もある。数年かけて試作を繰り返すとともに、自然災害へのリスクを、生産地を分散することでクリアして切り替えた。
石屋製菓の社員の方に、おすすめの食べ方を聞くと「私は凍らせて食べるのが好き」という返答が。ぜひお試しあれ。