その木偶は、不思議な姿をしている。頭にツノのようなものが生え、削りかけ(木をそいだもの)を首から下げ、毛皮らしきものを巻いている。表情は愛嬌があってかわいらしい。これは「セワポロロ」という名だ。もうひとつ、削りかけの上部に顔だけついたものもある。こちらは「セワ」といい、削りかけが広がった姿が特徴的だ。どちらもなんともいえない魅力があって、見ていると幸せな気持ちになる。本や雑誌で取り上げられるなどし、おもに道外から、この木偶を目当てに店を訪れる人は多い。
制作は大広民芸店(網走市)の大広朔洋(さくよう)さん。父親の朔峰(さくほう)さんとの共同制作だったが、今年5月に朔峰さんが亡くなり、現在は一人で作っている。工程は少しだけ変わったが、見た目は2人で作っていたころとほとんど変わらない。表情を決める顔の部分は、ずっと朔洋さんが担当していたせいもあるだろう。
ところで、この木偶はいったいなんだろうか。聞くと、こんないきさつがあった。
父の朔峰さんが民芸店を開いたのは、北海道観光ブームが到来していた昭和39(1964)年のことだ。木彫のお土産品を作っていた朔峰さんに、ある提案があった。それは、北方民族のウイルタの木偶をお手本に、網走らしいお土産品を作ってみないか、というものだった。提案したのは、市井の考古研究者として、オホーツク文化のモヨロ貝塚を発見したことで有名な米村喜男衛氏である。
網走には戦後、樺太(サハリン)から引き揚げてきた人々が移り住み、なかにはウイルタやニブフなどサハリン先住民族の人々もいた。よく知られているところでは、のちに北方少数民族資料館「ジャッカ・ドフニ」(現在は閉館)を設立した、ウイルタのダーヒェンニェニ・ゲンダーヌ氏がいる。ゲンダーヌ氏の養父であるゴルゴロ氏も移住しており、ゴルゴロ氏はおもに祭祀用の、神や精霊など精神世界を表した、伝統的なウイルタの木偶を作っていた。だが、今後木偶の作り手が途絶えることを惜しんだ米村氏が、親しかった朔峰さんの腕を見込んで声をかけたということらしい。
「父は、ウイルタについて調べた上で、セワポロロという名称と全体のデザインを考えました。父なりの思いがあって、本来のウイルタの木偶を、お土産品としてアレンジしたのだと思います」。生前の朔峰さんは、市の観光協会が主催する「オロチョンの火祭り」という、オホーツク文化やウイルタなどの北方民族をテーマにした夏の祭りでシャーマン役を務め、木偶づくり以外でも北の人々に心を寄せていた。もし、たんに目先の変わった観光資源とだけとらえていたとしたら、こんなに魅力的なものが作れただろうか。セワポロロのつぶらな丸い目を見ていると、そう思わずにいられない。
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