——はじめに町長という仕事について日々感じていらっしゃることをお聞かせください。
佐藤 町長という仕事をあらためて意識して考えることはありませんが、ありていに言えば、まちづくりの先頭に立って成果を得るためのマネジメントをやる、すべての責任を持つのが町長の仕事なのでしょう。実際は、いつも迷いながら、悩みながらの毎日です。
谷 同感ですね。町長というのは、つまり政治です。町民の負託を受けて、選挙に勝ち抜いて町長になるわけですから。私は町議を長くやっていましたので「行政は住民の声を聞いているのか」とよく非難していましたが、いまは逆の立場。「ここまでやっているのに、そう言われるのか」と(笑)。
佐藤 私は役場の職員でしたので、助役や副町長も経験していますけど、町長はまったく世界が違います。やはり孤独ですよ。私もよく議会から「住民目線で考えているのか」と言われますが、果たして住民目線だけでいいのでしょうか。まちの将来を長期的に考えれば、住民の要望とぶつかることもある。そこで迎合に走ってしまえば、町長職は誰がやったっていいじゃないか、ということになるんじゃないかな、と。
谷 議決権を持っているのは議会ですから、議会に認めてもらえないと予算執行はできません。それでも行政の最高責任者は町長。すべてに責任を持たなきゃならない。訴訟が起きれば対応するのも首長ですからね。その点、覚悟も必要だし、孤独感もありますね。
——佐藤町長は3期目、谷町長は1期目と期間は違いますが、公約や計画の達成度と、人口減少等の課題についてはいかがですか。
谷 私は政治には大きな意義が二つあると考えています。一つは安心安全なまちをつくるために秩序の形成を進めていくこと、もう一つはより住みやすいまちをつくるために新しい営みをつくっていくことです。私は町長選に出馬するとき、町民50人にマニフェスト・オンブズマンチームを組織してもらい、10人ずつ五つの部会で話し合い120の項目の公約をまとめました。任期が終わる平成31年が下川町の開基119年にあたるので、120の公約を成し遂げて120周年を迎えたいという語呂あわせです。このほかに、すぐに取り組む約束を10項目掲げ、これらを含めて毎年オンブズマンチームに検証してもらいますが、町長になって2年、すぐに取り組む10の公約はほぼ達成、120項目も80%は実現できました。
佐藤 私は3期目ですが、第九次長期総合計画の初年度から今年でちょうど丸10年、町長として務めてきました。来年から第十次の長期総合計画を策定するのにあたり、あらためてこの10年を検証したのですが、計画の9割程度は成し遂げることができました。もちろん10年前とは環境も大きく変わり、新たな課題も出てきています。なかでも深刻なのは人口減少問題です。もはや企業を誘致して人口を増やすというような幻想は通用しません。だから私は議会にも住民の皆さんにも言うんです、「人口はまだまだ減る、そこを直視した上でどういうまちづくりをしていくか、一緒に考えましょう」と。
ヨーロッパのコミューンと呼ばれる自治体には、千人や二千人単位の小さなまちがたくさんあります。視察に行くと、学ぶべき点が多いと感じます。経済的な富だけを求めるのではなく、人間同士がつながりあうコミュニティが機能している。贅沢な暮らしをしているわけではないけれど、心は豊かです。確かに人口はこれからも減るでしょうが、必ず底を打つときがくるはず。ですから一喜一憂せずに、腹を据えてまちづくりの原点を考えなければならないと思うのです。
谷 下川町は1980年、当時の212市町村で過疎率1位だったんです。このままだったら大変なことになると早くから危機感を持っていました。北海道で初めて「ふるさと会員制度」、いまのふるさと納税みたいな取り組みを始めたほか、町外の人に町有林を買ってもらって分収林とし、2000年に売って利益を町と折半する「ふるさと2000年の森制度」や「子牛の名付け親制度」などもスタートしました。私は当時、商工会の青年部長でしたが、冬まつりを「アイスキャンドル」の名前に変え、「うどん祭り」と「万里長城祭」で3大イベントとして発信したのも、そうした危機感からです。最近は若い人たちが中心となって新たにチェンソーアートの大会などを行う「森ジャム」を企画、昨年は出店者が46店舗も集まり、下川町4大イベントになりました。
——そういう意味では、本当の地方の時代はこれからなのかなと感じます。まちづくりにおいても、「変革と外への視線」が重要なのではないでしょうか。
佐藤 大きく変革したのは地域医療です。私は町長になって2年目、91床あった病院を思い切って縮小しました。地元に専門医を揃えたくても難しいので、この地域に見合った総合医療を提供しようと改革に着手したのです。北海道家庭医療学センターと提携して、なんでも診られる家庭医を4名体制で派遣してもらっています。重篤な患者さんは旭川の総合病院や専門病院で受け入れてもらえるように連携していて、いま住民から医療に対する心配の声は聞かれません。
また、防災体制も大きく変えました。かつては上川のほか鷹栖、当麻、比布、愛別の5町で消防組合を組織していたのですが、これでは大きな災害には対応できないだろうとあえて解散し、新たに旭川市に消防業務を委託。医療と防災に限っては旭川との広域体制を築きました。
谷 道立の下川商業高校の存続が重要な課題です。遠方から入学する生徒の寮費を無償化したほか、年に一度の帰省旅費を助成するなど、手厚い支援をしたところ、これまで0.6倍だった入試倍率が今年1.3倍になり、特にスキーのジャンプ競技を志す高校生2人、中学生3人を本州などから受け入れることになりました。今後、人口が減るのは間違いないにしても、その減少の程度を緩やかにして、世代間バランスを維持していかなければなりません。
佐藤 上川では上川高校と上川中学が連携し、2002年度から北海道の公立学校として初めて中高一貫教育を導入しました。高校の教員が中学で授業をしたり、中学生と高校生が一緒に体験学習をしたり、独自の取り組みを続けてきましたが、ここ最近は旭川の高校に進学する子が増えてきて、上川高校では逆に旭川から通学する生徒が7割ほどになっているんです。町外の生徒には下宿代や通学の交通費を助成していますが、そうしたちぐはぐな実態があります。
谷 下川では去年初めて広域で生徒募集を仕掛けたんです。音威子府の美術工芸高校、剣淵と幌加内の農業高校、そして下川の商業高校と、四つの職業高が一緒に札幌のチカホで生徒募集のキャンペーンをしたら、この春、札幌から2人入学したんですよ。
——安心して暮らせる環境をつくるため、人口を維持するために、さまざまな施策を展開されているのですね。
佐藤 私自身は首都圏や東南アジアへ観光誘致に毎年欠かさず通っています。そうした積み重ねが今のインバウンドの集客に結びつていると考えています。また、若い職員にもいろんなところへ出かけて、今後のまちづくりに活かせるアイデアを学んできてほしいと、5年ほど前からそのための予算も確保しました。消化率100%になるくらいの積極性を見せてほしいとハッパをかけています。
谷 まちの資源の活用には高付加価値化が欠かせませんが、プロデュースできる人がいないんですよ。ですから地域内で人材を育てる、あるいは誘致をしなくてなりません。下川では森林施策と農業施策に力を入れていますが、たとえば森林施策では旭川農業高校の森林科学科の体験実習を去年から始めました。1年生は植林、2年生は育林、3年生は伐採を体験してもらったら、今年、森林組合に一人就職が決まりました。一方、農業施策では「実習道場」として10棟のハウスを建てたほか、新規就農者向けの住宅をこれから建てる予定です。既に2軒が移住してきていて、2年間研修して自立を目指します。
※後半に続きます(7月12日公開予定)。
上川町 佐藤芳治 町長
1949年遠軽町生まれ。1967年に上川町役場に採用され、商工観光課長、議会事務局長を経験後、助役、副町長を経て2008年に上川町長選に立候補し当選。現在3期目。
下川町 谷一之 町長
1955年下川町生まれ。(株)谷組の代表取締役を務めながら長く町議会議員として活動。NPO「日本自治ACADEMY」、北海道地域づくりアドバイザーなど数多くのまちづくりに参画し、2015年5月より現職。