江差の海と生きる漁師さんのお話

海抜20m、周囲2.6kmの鴎島(かもめじま)とその前浜に立つ瓶子岩(へいしいわ)。瓶子岩は漁師の守り神とされ、毎年7月の「かもめ島まつり」で大しめ縄飾りがかけ替えられる

江差のシンボル・鴎島は、天然の良港としてニシン漁や北前船交易の舞台となり、まちの歴史はここから始まったといわれている。島の入り口、赤い鳥居のすぐ向かいに、島を守るように建つ家がある。江差の海に生きる漁師の三代目、青坂貴章(あおさか・たかゆき)さんを訪ねた。
石田美恵-text 黒瀬ミチオ-photo

俺が漁師になったのは…

青坂貴章さんは家族とともに生まれ育った鴎島で暮らし、春からはサクラマス、ヤリイカ、ホッケ、カレイなどを水揚げし、夏はアワビにウニ、秋になるとサケ定置網、冬は岩のりにニシンの刺し網、ほかにもメバルやタコ、ブリ、ヒラメなどいろいろな魚をとる漁師歴36年のベテラン。江差追分の名人であり漁師だった父・満さんのもとに生まれ、同じく鴎島に住んでいた叔父から漁をたたき込まれ、いまや「島のことを聞くなら青坂さんに」と町役場で太鼓判を押される人だ。
どこから見てもかっこいい「海の男」で、でもニコヤカに穏やかに話してくれる青坂さんが、私たちはいっぺんで好きになった。

「俺が漁師になったのは本当にヘンな話でね。高校3年のときに車の免許を取りたくて、学校には就職が決まらないと免許は取らせない、というルールがあったんだ。だから、どこかいいとこないかと先生に聞いたら、スーパーがあったの。そこは面接も試験もなく入れて、それですぐ教習所に通って、3年生の正月前に免許もらって。隣町の上ノ国で5万円のカリーナを買って乗ってたんだ」
学校にはまだ内緒で、念願の車を手に入れ運転していた青坂さん。無事に高校を卒業し、スーパーに勤務することになった。しかし…。
「そのスーパーが就職したら本社に行かないとならなかったの。そしたら本社が白老町で、白老ってどこ?って。しょうがなく行ったんだけど、何も面白くないから、石の上にも3年でなくて3日で帰ってきたの」

わずか3日のサラリーマン生活を経て江差に戻った4月初めは、ちょうどヤリイカ漁の真っ盛り。とりあえず父のイカ漁を手伝うことになった。
「今は少なくなったけど、そのころはヤリイカがすごくとれてたんだ。島の影のほうに10間(けん)くらいの網を建てて、船に電気つけてると、イカが大群で来るの。真っ白くなってね。中に入ったら網を起こして、すぐ発砲詰めにして組合に出して。こういう生活もいいなと思って、そのまま漁師になったんだ」

江差町鴎島に住む漁師の三代目、青坂貴章さん。
江差追分は小学生のころに唄っていたが一時中断、数年前から再び娘さんと一緒に唄いはじめた

上から見るとカモメが羽を広げたように見える鴎島。かつては陸地と離れていて船で渡っていたが、現在は防波堤でつながっている(写真提供:江差町)

叔父さんの定置網

それから36年、江差の海で漁を続ける青坂さんだが、現在の頼もしい姿になるにはもう少し時間がかかった。
「でも最初は好きでなかったんだよ、漁師は。だから組合員にもなってなかったの。船の免許も取らないで、隣の叔父さんの手伝いして、たーだ眠たくなれば寝てさ、働けっていわれれば働いてさ。そしたら叔父さんが、『組合員になんねばダメだ、船の免許も無線の免許もみんな取んねばダメだ』と。したら取るかって渋々取ってさ」

そのころ、父は江差追分指導の仕事が忙しくなり、漁の仕事を教えてくれたのはもっぱら叔父だった。免許を取ってからは自分でも船を持ち、ウニやアワビなど磯周りの漁をしたり、定置網漁を手伝ったりと着々と経験を重ねる。それでも、ベテラン漁師の叔父にはまだまだ追いつかない。
「定置網ったって、俺は網のことが全然わからなかったの。網の修理ができるようになったのも、恥ずかしいけどだいぶん後だからね。見よう見真似で何となくはやってたけど、叔父さんにあれやれ、これやれって言われて、その通りにしてたから。嫁さんもらってもそんな感じだったな。それで自分では恥ずかしいから、嫁さんに『叔父さんに直し方習ってこい』って言って。そういうとこだけは一丁前なの(笑)」

その叔父が8年ほど前に病気で亡くなり、船や道具のほか定置網の漁場も青坂さんが引き継ぐことになった。それまでの仕事は一変し、すべてを自分で考え、決断し、動くことになった。天気予報とにらめっこし、家族に話しかけられても常に沖のことばかり考えて上の空。漁のことを考えて眠れない日もあり、結婚後に増えていた体重が15キロも減った。

「いやこれは困った、どうするべと思って、とりあえず前に手伝ってくれていた人に『いい年して網直せないから教えてけれ』って聞きに行ったんだ。そしたらちゃんと教えてくれて。網の建て方は、叔父さんの手元を見て覚えてたんだ。叔父さんは全部頭に入ってたけど、俺はそんなことできないから、自分なりにロープに番号をつけて、絵に書いて、恥ずかしいけど、他の人に指示するときも漁が終わってしまうときもこれがあれば大丈夫。この網はサクラマス、ホッケ、タコ、ヤリイカ、カレイ、ヒラメ、何でも入るんだよ」

青坂さんが引き継いだ漁場は防波堤の向こう側にあり、深さが18mほどとかなり深い。ほかの場所では深さ6mくらいの網も多く、それに比べると網を巻き上げるのがたいへんだ。おまけに底が岩場なので、網の中に大きな岩が入ることもあり、網の傷みが激しいという。

「そんなら他の場所にしたらいいべ、ってよく言われるけど、そう簡単に気に入った所は見つからないし、漁場が変わったら定置網の形も変えねば。いま使っている網は叔父さんが亡くなる1年前に作ってくれて、残してくれた網なんだ。これを大事に直しながら使ってるの。今はどんな大きな穴が開いても、ちゃんと直せるからね」

青坂さんお手製の定置網の番号札

ニシンよ、再び

「江差の五月は江戸にもない」と称えられるほど、ニシン漁で沸き返った江差。その後乱獲などにより数が減ってしまったが、近年再びニシンが戻ってきている。青坂さんは2017年2月26日、大正時代からじつに104年ぶりとなる群来(くき)の第一発見者となった。
「朝の網おこしが終わって7時ころ、犬の散歩に歩いていたら、島の裏のほうの浜が白く濁って見えて。少し前のニュースで石狩の群来のことを見ていたから、もしかしたらと思って、組合に電話したの」

沿岸が白く濁っていたのは長さ150mほどで、発見後すぐにダイバーも加わって調査したが、ニシンの卵発見にはいたらず調査は打ち切られた。しかし2日後、ナマコの潜水漁業をしていた漁業者が、近くの水深13m付近で偶然卵がついた海藻を発見、調べた結果ニシンの卵と判明した。
「群来とわかったときは、うれしかったというか、ホッとした。8年前から俺を入れて4人の漁師が組合から委託されて、ニシン専門の刺し網(特別採捕)をやってるの。今年からは本操業になったんだけど、1月から2月末くらいまでの寒い間、外海は大シケでほとんど出られないから、湾の中に網建ててね。とったあとは檜山振興局の水産技術普及センターで卵を取ってふ化させて、それを放流してニシンを復活させよう、ってやってるんだ」

今年1月から2月末までに青坂さんたちが水揚げしたニシンは約3トン、昨年の約3倍と大きく伸びた。また、檜山振興局では2009年から「ひやまのニシン資源復活事業」で年数万尾のニシンの稚魚放流を実施。さらにこの事業を引き継いで檜山管内全町と関係機関が参画する「ひやま地域ニシン復興対策協議会」が設立され、種苗放流やふ化放流試験を行っている。これらのたくさんの積み重ねが、約1世紀ぶりの群来につながっているに違いない。
また、こうした動きと連動し、町の食堂などでいつでも江差産ニシンが食べられるよう一定量を町で確保し、安定供給を行う仕組みもできている。ニシンのまち・江差はかつての栄華だけでなく、今もたくましく動き続けている。

2018年冬、水揚げしたばかりの江差港のニシン
(写真提供:青坂貴章さん)

江差町が日本遺産に認定されたことを記念して制作した「日本最大のニシンのぼり」。
2018年5月、鴎島近くの大空にゆったりと泳いだ(写真提供:江差町)

島と、家族と

ニシン漁を行う厳冬期、青坂さんは妻の芳子(よしこ)さんとともに島の東崖、「千畳敷」とよばれる岩礁に自生する岩のりを採っている。のりだけでなく網おこしも一緒に船に乗り、「うちは小さい家族経営だから、私も何でもやるんです」と笑う芳子さん。早朝にニシンの網をおこして組合に出荷し、子どもが学校に行く前に家に戻り、8時から午前中いっぱいのりを採り、午後は翌日のニシンの準備と忙しい。

さらに、岩のりは採取から加工まで全てが自前で、気温がほどよく氷点下になる日を選んで干すのでタイミングが難しい。今年できた製品のうち、干すときに「風が強くてちょっと失敗」という自家用を軽く炙って出してくれた。醤油をほんの数滴たらして食べると、潮風の香りと海の養分が身体に染み込むように広がった。この土地のごちそうだ。

「うちは娘が3人で、前に子どもらに『もし島から立ち退けって言われたらどうする?』って聞いたら、『絶対いや』だって。やっぱり愛着あるんだろうね。まわりが静かで——お祭りのときはすごく賑やかだけど、魚食べたいと言ったらすぐ船でとりに行けて。岩のりも、江差が一番うまいと思うよ、ほかの町にもあるけど。これで『のり弁』を作ると最高においしいです。
あれ、江差のお祭りに来たことないの? じゃあぜひぜひ来てください。お祭りの日はのり弁もたくさんつくるし、ごちそうもお酒もいっぱいありますから」

青坂さん家族がくらす鴎島と、その島を包む海と空と、江差のまちがぐっと近くなった。
これはもう8月の姥神大神宮渡御祭に行かなければならない。

青坂貴章さんと妻の芳子さん。前浜の磯船の横で

鴎島は遊歩道が整備され、ぐるりと散策するのも気持ちがいい

島の東側には岩礁が広がる。この先に降りていって岩のりをとる

岩肌に美しい瑠璃色の野鳥を発見。鴎島は多くの野鳥を観察できる場所としても人気

日本海に沈む夕陽。ちょうど太陽がかくれる場所に奥尻の島影が見えた

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