地下鉄東豊線・美園駅から徒歩10分。道道札幌環状線からほど近い住宅街の一角に、「かの書房」はある。ガラス窓の大きな扉を開けると、8坪のこじんまりした店内に真新しい本棚がずらり。だが、棚の多くはまだ空だ。というのも、伺ったこの日は3月18日のオープンまであと2カ月という時期。開店準備ですごく忙しいはずなのに、店主の加納さんは「いらっしゃい」と笑顔で迎えくれ、3時間も話して下さった! 驚いたのは、彼女が札幌で書店員として働き出したのは4年前、2015年からのこと。当初は「自分の店を持つ」なんて考えもしなかったという彼女に、何が起きたのか? 物語は、サッポロファクトリーにあった「あすか書房」から始まる。
「あすか書房 サッポロファクトリー店」は、小説・文芸書から雑誌、実用書、児童書などを扱う普通の本屋だった。加納さんが入社したのは、札幌の大学を卒業後、事務の仕事をいくつか経験したのちの26歳で、たまたま求人を見つけたのがきっかけ。「そういえば私、本が好きだったな、と思って申し込みました。レジ打ちや接客のほか、売り場作りや在庫管理まで任され、最初は右も左も分からず焦りましたが、楽しかったです。一生懸命働いていたら、2年後に店長代理になっていました」
棚のどこに並べるか。どんなPOPを付けるかで、本に対する客の反応は変わる。加納さんは売り場のノウハウを日々学びながら、書店員の面白さに目覚めていく。さらに、「この作家はなぜ売れていないんだろう」という疑問から始めたフェアが、大きなやりがいとなる。好きな作家・知念実希人の「崩れる脳を抱きしめて」(実業之日本社)発売時には、感想を出版社に送ったところ北海道キャンペーンに協力することになり、著者や編集者が来店。初めてサイン本を売ったのも新鮮な喜びだった。
「実は、サイン本は返品できないため、扱わないよう社長から釘を刺されていたんです。でも、こんなに面白い作品があって、作家さんが来てくれるのに、売る立場の私が悩むのはアホくさいと思い、『売れ残った分は私が買います』と説得しました(笑)。知念先生にお会いしたらテンションが上がり、店の在庫全タイトル約30冊にサインをもらってしまいました」
そうして踏み切ったサイン本フェアだったが、「普段買わないような女子高生が『これ持ってるけどサイン本だって!どうしよう~』と喜んでいたり、『読んだことないけど興味がある』という方がレジに持ってきてくださったり、予想以上の反応があり、全部売り切ったんです!」。まだまだやれることがあると喜んでいた矢先、加納さんに告げられたのは、「閉店」という知らせだった。
勤務先の「あすか書房」閉店にショックを受けた加納さん。するとその頃、ある古書店が支店のオープニングスタッフを募集していると知る。場所は札幌のど真ん中、丸ヨ池内GATE。そう、本特集の記事に登場した「書肆吉成」である。さっそく応募し、採用された加納さんは、棚を組み立て、本をイチから並べる店の土台作りを手伝う。「長く勤めたい」と張り切っていたが、いざオープンすると戸惑いが生じたという。
「新刊書店の場合、新しいタイトルが毎日入荷するので日々棚を入れ替えますが、古書はそうした動きが緩いんです。私には刺激が足りず、新刊が恋しくなってしまいました。店主の吉成秀夫さんに相談したところ、『合う・合わないは個人の自由だよ』と、快く退職を認めてくださいました」
新刊を売りたい。面白い作品・作家の存在を伝えたい。自分の思いに改めて気付いた彼女が向かったのは、札幌市内の大手書店チェーン店だった。ところがそこで、現実とぶつかる。「売り場が大きくて扱う数が多い分、担当者は入荷本をただ並べる流れ作業になっていました。忙しくてレジでお客様と話す余裕はありませんし、薦めたい作家がいても売れる保証がなければフェアはやらせてもらえませんでした」。本との付き合い方が180度変わり、加納さんは悩んだ。私はベルトコンベアに本を置くような書店員になりたいのか。それとも、書店業界から離れるべきか…。
そんな彼女が「本屋の主になろう」と決心したのは、2018年4月のこと。背中を押したのは、多くの作家や編集者と知り合ったことで生まれた、「やっぱり書店業界の片隅にいたい」という思い。そして独自に調べたところ、自分が住む札幌に、今や個人で営む新刊書店が一軒もないと分かって芽生えた、「なら逆にやってやろうじゃないか」という反骨精神(?)だという。年内オープンを目標に、彼女は書店員とアルバイトのダブルワークの傍ら、準備を始めた。
新刊書店の開業を目指す加納さんに立ちはだかったのは、資金調達の壁だった。「独立開業の支援サイトを通じて知り合った方に相談したりして、金融機関からの融資を当てにしていたのですが、見込みが甘かったです。目標だった2018年12月のオープンを延期し、色々な方にご協力いただいて、ようやく年明けに資金繰りの目処が立ちました」。
山あり谷ありの開店準備のなか、嬉しい出来事もあった。店のツイッターを作って呟くと、「こんなに本屋好きな人がいるんだ!」と驚くほどの反応があった。クラウドファウンディングにも挑戦したところ、支援者がお薦め本を店の棚に置ける数万円の「選書コース」が目標数にすぐ達し、急きょ追加募集した。にも関わらず、オープンが延期となり、支援者たちに詫びたところ、返ってきたのは「大丈夫です。待っています」「じっくり時間を掛けてください」という温かい励ましだった。
「『本屋が出来ると知り、インターネットをやらないのですが応援したいです』と1万円を送って下さった方もいました。札幌に住む70代の女性からですが、匿名だったのでお礼もできず、ありがたいやら驚くやら。近所の方がお金をそっとドアに挟んでくれたこともあり、もう頭が下がる思いです。本屋は期待されている。必要とされているんだと実感しました」。加納さんがたった1人で始めたマラソンは、多くの伴走者と声援を得て、スタート地点に立ったのである。
「かの書房」のコンセプトは、“作家と読者、出版社の懸け橋”。最大の特徴は、店主が本気で薦めたい作家25人を“推し作家”として応援すること。作品を手厚く揃えるのはもちろん、店に寄せ書きノートを用意して、来店者に感想を書いてもらい、書き込みがたまったらファンレターとして出版社に送る計画だ。「最近は、読者がアプリなどに本の感想を書いて満足してしまうので手書きのファンレターは減っており、作家さんの中には直筆の手紙を受け取ると神棚に飾って喜ぶ方もいるそうです(笑)。読者の“生の声”を届けられればと思います」
ほかにも、サイン本の地方発送を受けたり、一次創作の同人誌を取り扱ったりなど、通常の書店ではできない試みを考えている。「本屋はやり方次第です。新刊の本をただ並べるのではなく、店から仕掛ければ動きも変わるはず。本に興味がない人をも巻き込めるような、書店業界の隅をつつく自由なイベントを展開していきたいです」と加納さんは力強く語る。
そもそも彼女が本好きになった原点は、故郷の上士幌にあるという。幼い頃、母親が読み聞かせてくれた絵本に興奮し、かえって眠れなくなったこと。町内唯一の本屋の孫が同級生で、毎日のように遊びに行ったこと。その本屋が潰れてしまった後は、隣町の書店に家族で毎週行くのが楽しみだったこと。中学生のとき文芸部を立ち上げ、同じ趣味の姉と競うように本を読んだこと。本と、本屋にまつわる記憶は限りなく、彼女の人生を鮮やかに彩っている。本が好き。作家を応援したい。そんな純粋な思いから産声を上げた「かの書房」が、誰かの未来に豊かな色を添える存在となりますように。近所にある、シャッターが下りた書店の前を通るたびにため息をついている私は、そう願ってやまない。
かの書房【2019年3月18日オープン】
北海道札幌市豊平区美園3条8丁目2-1
TEL:011- 376- 1856
営業時間:10:00~21:00
定休:不定休
店主のブログ「ひとり本屋の自由帳」
佐々木禎子/太田紫織/萩鵜アキ/葛来奈都/松田詩依/かがちはかおる/七福さゆり/m:m/恵三朗(※以上が北海道ゆかりの作家)
桜井美奈/佐藤青南/八巻にのは/桜井海/吉谷光平/鷹樹烏介/前川裕/はくり/Fe/志駕晃/内藤了/知念実希人/隙名こと/藍沢羽衣/天祢涼/谷瑞恵