いま、なぜ、産業遺産なのか

住友赤平炭鉱の立坑内部の様子。ガイドツアーに参加すると見学できる

私たちの生活は様々な技術や労働、暮らしの積み重ねの上にある。産業遺産はそうした現在の社会の輪郭を伝え、未来を考える機会を与えてくれる。それは地域アイデンティティを確認していく営みでもある。一方で、産業遺産を伝え、学ぶ視点は多面的で、難しさと面白さを有している。
平井健文 北海道大学大学院メディア・コミュニケーション研究院博士研究員-text&photo

「私たちが生きてきた時代」が歴史になる

産業遺産とは近代の遺産である。国際産業遺産保存委員会(TICCIH)は産業遺産を「歴史的、技術的、社会的、建築学的、あるいは科学的価値のある産業文化の遺物」(i)と定義する。日本に限れば「おおむね幕末ないし明治以降の産業化、近代化に関係した遺産であり、遺跡・遺構・遺物、そして景観を含める」(ii) という定義がもっとも平明であろう。類似する概念として近代化遺産があるが、これは文化庁が文化財の分類名として案出したもので、現在では「近代/産業・交通・土木」という分類名になっている。この分類名からも分かるように、産業遺産は工場や倉庫などに留まらず、鉄道などの交通に関係するもの、さらにはトンネルや橋梁などの土木構造物、そしてそれらを内包する景観をも指し示す。
日本では1990年代以降から産業遺産への関心が高まっている。役割を終えたと思われていた建築物や構造物が、一転して文化遺産として価値づけられ活用されようとしている。これは、近代が歴史となり、産業が文化となるという、現代における認識的転換を示している。
近代が歴史になるとは、「私たちが生きてきた時代」が歴史になるということである。産業遺産が、城跡や寺社仏閣などの一般にイメージされやすい文化遺産(文化財)と決定的に異なるのがこの点である。たとえ子どもたちであっても、親や祖父母の世代まで遡れば、その遺産に直接的な関わりを持っていた世代を見つけられる。こうした時間的な「近さ」は、歴史をより暮らしに身近な次元で感じることにつながる。空知地方の産炭地では、石炭という産業が終焉した後に、レジャー施設などの「開発」を志向した末にそれらが頓挫し、そこで改めて「足元を見直す」中で炭鉱遺産の価値が見出された。自分たちの足元には、地域の暮らしを支えた痕跡が至るところに残っている。こうした痕跡は、時間的な近さを伴って、現実的な歴史として体感されていく。産業遺産が、観光だけではなく教育的資源として見直されるのにはこうした背景がある。
一方で産業が文化になるとは、これまで文化の対極にあると捉えられてきた、労働や産業に関連する施設や技術、さらに労働者やその家族らの生活も文化の範疇で捉えなおすということである。これは、往時の働き方に見られる人間的な所産、工場や倉庫などの建築学的価値、工業に関わる技術や機器の重要性、そしてその周辺にある生活文化が見直されつつあるということを意味する。産業遺産というフィルターを通すことで、産業という対象に「人間」的な営みが見出されると同時に、それが「社会」との関わり合いの中に置き直される。こうして、先述した時間的な近さも相まって、産業遺産が「私たち」に引き付けられる形で理解される。同時に、個人を超えた集団や地域、国家にとっての文化としても産業遺産は位置づけられるようになる。

 

産業遺産の多面性

産業遺産保存の先駆者である英国では、早くも1960年代にその萌芽が見られた。これは、当時の経済状況の裏返しでもある。つまり産業遺産保存とは、第2次世界大戦後の産業の衰退を背景とするノスタルジアの発現であり、その活用により地域経済の活性化を目指す戦略でもあった。1990年代以降の日本において、産業構造の転換に苦しむ地域で産業遺産が注目されたのも、同じような文脈で考えることができる。しかし、草の根運動としての産業遺産保存は、自らが住まう地域とは何か、自らのあるいは家族の歴史とは何かを見つめ直す機会でもあった。こうした中で、たとえば英国のウェールズの元炭鉱町では、かつての炭鉱労働者が次の世代に向けて自らの経験を語り継ぐプロジェクトが企画された。日本各地の産業遺産でも、元労働者や地域住民らによるガイドツアーが行われていることが多い。これは、産業遺産を通して地域アイデンティティを確認していく営みでもある。
このように、産業遺産とは多面的なものである。その価値が、どのようなスケール(世界、国家、地域)で、誰の目線(国家、企業、労働者、住民)で記述されたのかに、まず注意を払う必要がある。さらに、たとえば一言で労働者、住民といっても、それぞれの社会的立場や暮らし方によって、その内部には語りの多様性が見られる。一面的に価値を理解しても、産業遺産を本当に学んだ、あるいは体験したとは言えないであろう。むしろ、そこに多面性があるからこそ産業遺産は興味深いと筆者は考えている。

旧国鉄士幌線の第五音更川橋梁。渓谷美に調和するデザインが美しい

「学ぶ旅」はまず体感から

産業遺産は「学ぶ旅」の資源でもある。近年、「物見遊山」型の観光(マス・ツーリズム)が訴求力を失いつつある中で、体験や学び、滞在などを重視する新しい観光形態が注目されている。その中でも文化遺産を観光対象とするものを「ヘリテージ・ツーリズム」と呼ぶが、産業遺産はこうした観光形態に対する適合性が高い。ヘリテージ・ツーリズムは、遺産の価値をホストとゲスト双方が学び、それが遺産の保存や継承に発展していくことが成立の条件となる。産業遺産の旅は、先述した価値の多面性を前提として、さまざまな人の語りに耳を傾け、さまざまな物に触れ、自らで考えることに醍醐味がある。では何を考えるのか。もちろん、その地域や産業の歴史のことでも、日本の近代化の道筋のことでも構わない。加えて、こうした過去を通して、産業遺産は「現在」と「未来」のことも考える機会を与えてくれる。どのような技術と労働と暮らしの積み重ねの上に、現在の社会があるのか。その上で何を学んで未来に繋げるべきか。たとえば、石炭というエネルギー産業の栄枯盛衰の上で、これからのエネルギー戦略はどのようにあるべきか。産業遺産はさまざまな学びと思考の場となる。
こうして書いてみると、産業遺産とはどこか高尚、というよりも取っつきにくいイメージを与えてしまうかもしれない。しかし、あまり難しく考える必要もないように思える。実際に産業遺産を訪れると、そこには得も言われぬ「迫力」がある。美的対象として産業遺産を捉え、廃墟趣味の一環としてその地に赴くようになったという人も多い。入口はどのようなものでも良いのではないか。最近では、現代アートの場として産業遺産を活用するという動きもある。自分が観光者であれ、地域住民であれ、まずは実際に産業遺産を「体感」することが大事であり、なにより面白い。その上で、自分が興味を持った産業遺産に、そしてその地域に目を向けて少しずつ思考の歩みを進めると、そこにはさまざまな発見が待っている。
(別項で私が勧める道内の産業遺産を5つご紹介しているので、そちらもぜひお読みください)


i TICCIH「ニジニータギル憲章」より(2003年7月17日採択)。
ii 平井東幸・種田明・堤一郎編著『産業遺産を歩こう:初学者のための産業考古学入門』(東洋経済新報社,2009年)、p.22より。

著者略歴

平井健文(ひらい・たけふみ)
1985年栃木県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、民間企業勤務を経て、北海道大学大学院国際広報メディア・観光学院博士課程修了、博士(観光学)。専門は観光社会学、文化遺産研究。炭鉱・鉱山跡を中心に、日本各地の産業遺産でフィールドワークを行う。研究テーマは、産業遺産の観光資源化プロセス、地域社会による自律的な産業遺産保存の方法論など。最近はロシア連邦サハリン州の製紙工場・炭鉱跡の調査も行う。NPO法人北海道遺産協議会将来構想検討委員会委員。

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